言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

7 イタコになること







昨日の更新直後に、読者の「あ」さんから、
次のようなメールでの感想を、いただきました。

「毎回、興味深く読ませていただいています。
 レベルは違うけれど、私は毎日が
 自分との通訳みたいな所があります。
 住んでいる場所が場所(カナダ・モントリオール)なので
 仕方ないのですが、今日は特に大変共感を覚えました。
 米原さん糸井さんが、
 『通訳をしている時には、自分の考えと
  違うモノサシで話さなければならないからつらい』
 とおっしゃっていたこと、そのとおりだなぁと思います。

 私は英語や仏語で話している時、そう感じます。
 自分の伝えたい言葉の
 意味の細部まで伝えられていないと、
 もどかしいどころか、ストレスさえ感じます。
 特に議論めいた会話になってくると、尚更です。
 英語や仏語が完璧でない、という問題もありますが、
 日本語の私の言いたいことに一番近いだろう、
 と思って喋っているので、完全に
 頭の中のニュアンスと一致している訳ではないのです。
 自分が言いたいことを
 言えている、という実感が得難いのです。

 まさに、自分の思いや感情は
 『尺』なのに、表現は『cm』でしかない、
 といった感じで、いつもいつもこんな気分です。
 だから日本語で時々話さないと、
 おかしくなりそうになります。
 でもこれまた笑っちゃいますが、
 日本語で話せたからといって、満足でもないんですよね。
 今度は価値観とかそういうものが、表面に出てくるから」

相手の言葉を使って話すという、
本来、アイデンティティとしてはつらいはずのことが
職業になっているのが、通訳なわけなんですよね。
今日は、昨日の話のつづきで、
「更に、相手になりきってしまうということ」
について、対談が、進んでゆきます。ではどうぞ!!








米原 さきほど、「型」っておっしゃったけども、
通訳は、それとは違いますね。
つまり、先ほどいったように、
「字句どおり通訳する」
ということは不可能で、結局は
話し手の言いたい内容を伝えるというのが
いちばん簡単なんだけれども‥‥
その、言いたい内容を伝える時には、
言っている人の立場になる方が早いんです。

話し手の立場になった方がいい。

同時通訳するときには、
何を言うかわからないまま聞いています。
次に何を言うか、予想しながら
文の形をつくっていくわけですね。

そうすると、予想する時には、
その人の立場になった方が
予想しやすい、ということなんです。
糸井 イタコですね。
米原 そうそう、イタコみたいに。
だから「そうなるふり」が必要なわけ。
一方で、それをちょっと突き放して見る立場と、
今度は聞き手の立場と‥‥ぜんぶが必要です。
だから、完全に「型」ではないんですけれど。
糸井 そうか。
米原 それで、とんでもないとおっしゃるけれども、
字句どおり訳すことの方が、ずっと大変なんですよ。
字句どおり訳せる人は、
天才だと私は思うんですね。
糸井 そういう人もいるんですか。
米原 時々いるんです。本当に早口で。
糸井 ああ、そうか。
その場合、「早口」が大事ですね。
米原 早口で、かつ、
聞き取る能力もすごくある人。
糸井 つまり回転数の高い人ですね。
米原 思考の回転も舌の回転も早い人ね。
糸井 そうか。
マシンとしてすごい優秀じゃないと
できないですよね。
米原 できないです。
ただ、そういう人の訳が
わかりやすいかというと、わかりにくいんです。
糸井 長所の中に欠点ありですねえ。
米原 そうなんですね。
糸井 そうでしょうねぇ。
僕は今、聞いているだけで
つらかったですもの。
どのようになさっているかを
説明受けているだけで‥‥。

割と僕は同化するタイプなんです。
米原 イタコ的な才能があるわけね。
糸井 どうもパターンとしては
宗教家タイプなんだと思うんですけど、
相手がつらいだろうなと思うと、
どこかそれを引きずっちゃうタイプなんで。
米原 俳優に、向いているんじゃないですか。
糸井 向いてないんです。
俳優よりもスタッフの側にいるものだから、
「どう自分が下手か」がわかっちゃうんです。
米原 ああ、そうか。
糸井 だから、重心が違うんでしょうね。
でも、きっと俳優さんは
そういうセンスをもっと投げ出せるんでしょうね。
米原 そうですね。
糸井 きょう、ちょうどその話を、朝していたんだけど。

ぼくはたまにお遊びで
俳優の役をさせられる時があるんです。
そういうことは好きだから、カラオケと一緒で、
「やるよ」っていってやるんですよ。
絶対下手なのがわかっているわけだけど、
でも、ものすごく好きなんです。

その話をかみさんは知ってるもので、
かみさんは俳優だから、
「あなた、好きだから」なんて言うわけです。
「もう、おかしくてしょうがない」みたいに。

で、
「何でできるわけよ?
 おまえだって、最初にやったときは
 素人じゃないか?」と訊いてみたら、
「でも、できると思ってた」っていうんです。

その姿勢の差は大きくて、つまり、ぼくは
俳優を「できない」と思ってやっているんですね、
とても好きなのに‥‥。
彼女は、できない時から、
「できた」と思いこんでいるんですよ。

だから、彼女の場合は、今見ると、
とんでもない下手くそなのに、その時から、
演技する場面が終わるたびに、自分では
「できた!」と思って帰っていたというわけです。
米原 そうですね。
さめ過ぎてるとできないかもしれない。
踊りでもそうですよね。
自分が夢中になってないと、
人を夢中にさせられないですよね。
糸井 ということは、
米原さんも通訳しているときには、
何かあるモノが憑いているみたいに
なっているんですかねえ。
米原 どうなんでしょうね。
糸井 さっきの神様の立場を
もうひとつ持っているわけですよね。
米原 ただ、本人だけは
「自分はきちんと通訳している」
と思いこんでいるけれど、
客観的に見るとすごい誤訳、というのが
いっぱいあるんですよ、他人のを見ていると。
自分のは棚に上げちゃうんだけれども。

ロシア語だから、おそらく両方できる人は
日本にあんまりいないじゃないですか。
だから、かなりウソを言ってもバレないですが、
そういう誤訳は、やまほどありますね。


(※明日につづきます。おたのしみに!!!)

2002-11-07-THU


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