言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

8 神と透明とのジレンマ







昨日のお昼ごろにいただいたメールに、
「なるほど‥‥そうなんでしょうねぇ」
と思わずうなずいてしまったので、さっそくご紹介します!

「米原さんの対談、毎回思わずPCにむかって
 『そうなのよ〜!』とうなずきながら読んでいます。
 私は専門の通訳ではありませんが、
 中国で働いていますので、日本からお客様が見えたり、
 上司のお供で通訳まがいのことを、よくします。
 『同じ人の通訳を1週間続けていると、
  その人のことを絞め殺したくなってくる』
 ‥‥ほんと、上司を絞め殺したくなったことが
 わたしにも、何度あったことか!(笑)
 特に業務契約や社員の解雇など
 微妙なニュアンスが大事な通訳の時、すごく緊張します。
 日本語独特の言い回しをどう訳すか迷った時、
 上司と現地スタッフとにジッと見詰められると、
 『もうどうしたらいいのー!?』
 と頭を掻きむしりたくなります。

 それと、数人での会話が、
 明らかに話がチグハグになっている時、いつも思うのが、
 『果たして自分が軌道修正していいのか?』
 ということです。友人同士の会話ならば
 適当にごまかせばいいのでしょうが、
 仕事となるとそうはいきませんよね。
 ですから、米原さんと、扱っているレベルは段違いですが、
 米原さんのお話、とっても身にしみました。

 『言葉の壁を越えて』ってよく言いますけど、
 それってほんとにむずかしいと思います。
 原始的な感情(喜怒哀楽)は万国共通でしょうけど、
 言葉には、考え方や文化や歴史が
 もう凝縮されまくってるわけですよね。
 分かってれば分かってるほど訳せなくなる時があります。
 だからウツクシイ通訳を耳にすると
 ものすごく感動します。自分もいつかこうなりたい!と。
 辛い時もあるけど、自分が二つの言葉の間に立って
 うまく橋渡しができて、お互いが
 『あ〜通じ合ってるな』
 という表情をされた時の充実感はたまりません。
 これからも楽しいお話聞かせてください」

「ケロロン」さんからのメールでした。
仕事で通訳的なことをしなければいけない人の言葉は、
とってもリアルだなぁ、と感じましたよー!
今回も、「通じなければ雇われない」などなど、
気合いの入った通訳者ならではの言葉が、響きます。

では、さっそくおたのしみくださいませ!!!








米原 英語の通訳だと、
もう、どの会社にもどの官庁にも、
「俺は英語がよくできて、
 きょうから来た通訳なんかよりも
 ずっとできるから、
 あいつが間違えたら俺が指摘してやって、
 教養あるところを見せてやろう!」
というような人がいます。
EFGH(匿名)県の知事なんかも、そうですけど。
糸井 嫌だなあ。(笑)
米原 嫌なんですよ。
もともと、それを指摘したくて
しょうがないというだけの人
だから。
糸井 あぁ‥‥わかるなぁ、そのムード。
米原 姑みたいに、
どうでもいいところで指摘するんですよ。

ですから、通訳をやっている最中は、
「ここにいる中では、私が一番うまい。
 私がやるしかないんだ!」
という風にやっていないと、
パフォーマンスは、よくないんです。
糸井 でしょうねえ‥‥。
米原 ところが、その気持ちを、
姑の指摘みたいな形でくじかれると、
その後、もうやっていけなくなっちゃう。
糸井 たまんないでしょうね。
米原 うん。
それをIJKL(匿名)知事にやられて、
3か月間、失語症に陥った通訳がいますね。
糸井 失語症になるほうの気持ちは、
めちゃくちゃわかりますよ。

例えば、クライアントの中に、
クリエイティブ出身の人がいるとして‥‥。
今はキャリアができちゃったんで、
「言っていいですか」
みたいな感じの指摘になるんだけど、
ぼくが若くて相手が年上で元クリエイティブだったら、
「その案はさあ、一つの可能性としてね」
なんて言われると、嫌なんだなぁ‥‥。

まちがいじゃない指摘なだけに、
「わかっちゃいるんだけど、
 おまえとケンカしている場合じゃないよ」
というところもあるじゃないですか。
重しをつけて走らされているみたいな。
米原 そうですね。
ただ、やっている最中は
「自分しかいない!」と思って
やらなくちゃいけないんだけれども、
そのパフォーマンスがよくなければ
二度と雇われないわけですから、やっぱり
客観的に自分を評価できないとダメですけど。


通訳をやる前は自信がないまま、
そのぶん一生懸命準備した方がいいし、
やり終わった後、やっぱり反省しなくちゃ、
うまくなっていきませんからね。

通じなければ二度と雇われないわけですから。

そうすると、やっぱりやってみて、
その時は本当に話し手になり切りながら、
しかも同時に、客観的に、神様みたいに
ちゃんと冷たく見ている目も必要なんですよ。
糸井 役割として上に立たない限りは、
仕事にならないということですよね。
言語に関してね。
米原 そうですね。
糸井 その場の司祭みたいな役割を
果たしちゃいますね。
米原 そうですね。
けっこう、権力持っちゃいますね。
糸井 持っちゃいますよね。
‥‥そういう方だったんですか(笑)
米原 英語の場合は、けっこう難しいと思うんですよ。
そこらじゅうにわかる人がいるから。

でも、そうじゃない言語の場合は、
完全に違うストーリーを聞かせて
満足させるということもありますので。
糸井 ワザを見せちゃうわけ。
米原 生命にかかわるときとか、
ちょっとそれを言いますね。
食事を選ぶときなんか、
自分が食べたいものに誘導していくとか。
糸井 あぁ、それはした方がいいね。
そういうことも混ざんないと、
仕事内容が、カラダに悪過ぎますね。
米原 どうなんでしょうね。
ただ、そういう時に、
自分が勧誘して誤訳したというのは
何か申しわけないというか、
罪の意識を持つんですよ、宗教的に‥‥。
糸井 最高権力を持っていながらも、
自分はゼロであれという、
すごい引き裂かれた場所
にいるわけですから。
米原 そうですね。
糸井 リーダーシップをとるというのが、
あらゆる場所で日本人はとっても苦手で、
リーダーじゃないという顔をしながら
動かすのが、いちばん好きですよね。
米原 そうですね。
責任はとらなくていいですからね。
糸井 で、「何かあったら水に流して」とか、
いろんなやり方でその都度やっていくのが、
非常に日本人に向いている生き方なんだけれども、
今のお話を聞いていると、米原さんは、
自分がここではいちばん言語に関しての
リーダーシップを、実際に持っているわけです。

「そこの場所に立つ」という決意は、
何か相当思考の大転換がないと
できないと思うんですけど‥‥。
その考えを獲得するのって、いつですか?
米原 いや、本当に通じてなくて
困っている時に通じたというのは、
話している両方ともがうれしいし、
私も、うれしいんですよ。
糸井 つまり、
「私がやっていることは人のためになっている」
という実感があって、リーダーシップをとるわけだ。
米原 そうそう。
これは、何か本当にうれしいみたいですね。
糸井 みたいですねって。(笑)
米原 ほんと。
わかりあえるというのがあって、
それはたとえ誤訳であるがための
誤解であってもね‥‥でも、
何を言っているのかがわかるというのは、
すごくうれしいんですよ。


(※あさってにつづきます。おたのしみに!!!)

2002-11-08-FRI

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