言葉の戦争と平和。 米原万里さんとの時間。 (「これでも教育の話」より) |
10 オクテの方が、完成度は高い
□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□ こんにちは。 ご愛読ありがとうございます。 異文化どうしの交流に興味を持っているかたが たくさん、読んでくださっているようですが、 こないだ「歴史資料作成」の仕事をしている方から、 丁寧なメールを、いただいたんですよ。 今はもういない人たちの声を、 残された資料から読みとる‥‥。 夢もあるし、難しさもある仕事なのだそうです。 歴史をさかのぼるのは、翻訳にも似ていて、という そのメールを、ちょっと長めに、ご紹介しますね。 「毎日楽しく読んでいます。 最近のお気に入りは"言葉の戦争と平和"です。 それは、わたしの仕事と関係があるからです。 仕事と言っても、それは通訳ではありません。 わたしは、歴史資料の目録の作成をしています。 つまり、資料を制作した人がその場にはいなくて、 資料から浮かび上がる言葉を、 現代にわかりやすい形で伝える‥‥ 自称、"時空を越える通訳"です。 この仕事は、案外むずかしいんです。 資料の文章をそのままデータ入力しても、 資料の全体像を把握することが、できない。 顕微鏡で細胞は見えるけれど、何の生物かわからない、 という状態に似ているかもしれません。 自分で一回、内容を咀嚼して、それから文章化しないと、 資料の内容が、人に伝わらないのです。 しかし、ここに主観を全面に出すと、 資料とかけ離れた目録になり、 目録の意味が、なくなってしまいます。 こういう仕事を続けて4年になるのですが、 『同じ人の通訳を1週間ぐらいやっていると、 その人を絞め殺したくなる』 という米原さんの言葉に似た気持ちを、 わたしは仕事をはじめてから2年半、ひきずってました。 (私の場合は絞め殺すと言っても、 もう亡くなっている人がほとんどなのですが) 『言いたい内容を伝える時には、 言っている人の立場になる方が早いんです。 話し手の立場になった方がいい』 という米原さんの言葉も、ほんとにそうで、 そうしないと、理解をしあえない二人となり、 平行線の状態を突き進んでしまいます‥‥。 目録作成は、自分を出しちゃいけないけれど、 でもその言葉を受ける自分がないと 人に伝えることができないというビミョーな立場で、 その自分の位置がわからなくて、 最初は、暗中模索だったんだなぁと思っています。 自分を相手に同化させようとすると、 絶対無理が出てしまうし、かといって自分を消して、 字句ばかりを追うと、何が言いたいかわからない。 でも、これをコミュニケーションとして考えると、 すとんと胸に落ちて、殺したい気持ちが消えて、 資料の作成者達の思いに反発せずに、 受け入れる気持ちを持てるようになりました。 この仕事は、縁があって始めた仕事で、 けっして熱望してついたわけではないのですが、 今はとても愛おしく、キチンとプロ意識を持っています。 まぁ、実は万年アルバイトなんですけどね。 こういう対談に出会えるのは、 日常のささやかな幸せに似ています。 これからも、たのしみにしています!!!」 いろんなお仕事の人から、 それぞれの仕事なりの発見をうかがうことって、 すっごくおもしろいですね。 そんなことを思いながら、メールを読んでいました。 今回の会話の中には、言語にかぎらず、 「ヘタなやつのほうが、最終的には 完璧になれる可能性を秘めている」 という話が出てきます。 「確かにそうだ」と思えるとともに、 勇気の出てくるような対談になっていきますよ。 では今日も、どうぞ、おたのしみください。 □■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□
(※明日につづきます。おたのしみに!!!) |
2002-11-11-MON
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