言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

12  感情をこめると、相手に通じる







みなさん、こんにちは!
いつも読んでくださり、ありがとうございます!
今日の対談本文はかなり気合いが入っていますよぉ‥‥。
米原さんの迫力と経験が、直に伝わってきそうな
会話がかわされますので、どうぞおたのしみに!

さて、今日も感想メールを2通ご紹介いたしますね。
どちらも、文化と文化の摩擦や交流に関して、
とても強く、何かを思っているかたのメールなんです。
一生懸命なので、敢えて長いまま、お届けいたします。

「インドネシアに住んで約六年。
 微妙な違いに『?』の毎日です。
 辞書で調べるとインドネシア語と日本語は、
 一見、意味としてはそれぞれ対応しているのですが、
 どうもその単語や説明では腑に落ちない。
 ここに長く住んでいる日本人同士の会話の中でも
 『日本語ではむずかしいんだけど、
  わかんないんだけど‥‥』
 という会話が普通になってます。
 文化・習慣・宗教・等々で直訳できないことが
 たくさんあるのを解かっているつもりでも、
 言葉の意味を考えながらの毎日です。
 公の場所での通訳、考えただけでも胃が痛くなります」

「11/1のシネスイッチ銀座の夜中のイベント
 『ダークブルー(チェコ映画)の会』に
 幸運にも参加させていただき、ありがとうございました。
 ‥‥ところで! そのイベントと
 米原さん、何か繋がっていましたね。
 米原さんの本『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』が
 あまりにも面白いので、いっきに2日くらいで
 読みあげちゃったのですが、ちょうど、
 世界大戦のはなしも本の中に出てきていたので、
 映画の状況とダブらせながら、
 頭の中を整理しながら、
 映画を観ることができたような気がします。
 そして、ほぼ日刊イトイ新聞にも、
 米原さんとの対談コーナーを発見!
 なんだかすごく嬉しくなってしまいました。
 とっても興味深く読ませていただいています。
 米原さんの本読むと、いろんな事考えさせられます。
 温泉に入ったり、お寿司を食べたり、
 富士山を見たり、風邪をひくと
 お粥とかおそばを食べたくなったり‥‥そうすると、
 なんとはなしに思う、『日本人』である自分。
 そういうとってもシンプルなことの、
 なんて幸せなこと、と思い知らされます。
 幸せが故に、母国を想う気持ちやら、
 日本を想うことに疎くなっていますが、
 疎くいれるほどに、日本国民は幸せなんだなぁと。
 (だからって、その幸せにつかりきっていると、
  これからは痛い目にあう時代ですから、
  のほほんとしていられませんが)」

「こじバリ」さんと「ひ」さんのメールでした。
今回は、メールをくださったおふたりも
その周辺を考えているであろう、
「相手に自分の思いが通じるということ」という、
真正面のテーマが語られますよ。じゃ、早速どうぞ!!!








米原 理性的な発言っていうのは、
割と、人の心に入ってこないんですよ。
糸井 あぁ、「ウソだから」ですねえ。
米原 うん、ウソだから。
感情がこもった発言のほうが、
相手の心の中に、入るんです。

それはもう‥‥例を挙げると、
官僚が、いろいろ発表するじゃないですか。
糸井 ‥‥言ってること、
聞こえてこないですね。
米原 音声としては、聞こえているはずなんだけど、
聞いた先から、何を言ったのかを
忘れちゃうでしょう?
‥‥印象に残らないんですよ。
糸井 小泉さんは、そうじゃないものを
持っているんですよねぇ、きっと。
だから、人気があったんでしょうね。
米原 そうですね。
ちゃんと感情のフィルターを通した言葉は、
やっぱり、相手の感情に入っていくんですね。
感情を通さない言葉は、感情には入っていかない。

それから、言葉って‥‥
声を使って出すんですけれども、
この声を使って、声を出す時にでも、
不思議なんですけれども、
同じ言葉でも、感情をこめるとこめないのとでは、
聞き手にとっては、まったく印象が異なるんです。


たとえば、
何か不祥事があって謝るじゃないですか。
企業のトップや、あるいは官僚や、
警察のトップだったり、何とか省の次官だったり。
でも、それは、何一つ印象に残らないでしょう?
「いったい、何を言ったのか」が、残らない。

まぁ、謝ったんだろうな、
というのはわかるし、
土下座までしているんだけれども、じゃあ、
その人が心から謝っていると思うかというと、
絶対に思わないでしょう?

それは、文章そのものを、
おそらく部下が書いているからなんですよ。

部下はどういうふうに書くかというと、
「被害者に対する
 申しわけない気持ちを絞り出して、
 それを言葉に結晶させる」のではなくて、
おそらくもう、そういう時のパターンがあって、
それをいくつか引っ張ってきて、
組み合わせて文章をつくる‥‥。
糸井 クレームをつけにくい言葉に、直すわけですね。
米原 直すわけです。
それで、企業のトップやお役所のトップは、
そうやってでき上がった文案を、
心をこめて被害者の気持ちになったり、
申しわけないという気持ちをこめて
一言一句読んでいくのではなくて、
「謝っているというポーズを
 とにかく社会的に見せなくてはいけない」
というんで棒読みするわけですよね。

いい俳優さんだったら、
それにきちんと思考と感情の両方とも使って、
その言葉をいちおう読んでいくだろうから、
人を感動させるんだけど、
どんなに文章そのものが感動的でも、
やはり棒読みするとだめ。

棒読みするってどういうことかというと、
「字句の音だけを言うこと」なんです。

われわれが、何か言葉を出すときの
メカニズムというのは、
「本当はまだ言葉にならない状態があって、
 心の中に言いたいことや考えや感情や、
 そういったものが何となく形づくられてきて、
 やっとそれをいいあらわすのに
 最もふさわしい言葉とか文の形とか、
 それから言い方、スタイル‥‥といったものが
 まとまってきて声になって出る」

ということなんです。

しかし、官僚の書いた文案というのは
そのプロセスを経ない言葉なんですよ。

感情のプロセスを全然経ない、
表面だけの言葉というものには、裏がない。
言葉が生まれるプロセスを経ない。
もう残骸みたいな言葉なんです。


そうすると、そういう言葉というのは、
相手に入っていかないのね。
糸井 見事に、入らないですよねえ。
米原 ところが、そのプロセスを経た言葉というのは、
ちゃんと、受けとめられた時にまた入っていく。
ほとんど相似形しているんですよね。
糸井 僕はつくづく感心するんですけど、
アメリカの俳優さんたちが
演劇学校の生徒さんを前に
自分のことを語るインタビュー番組があって、
あれを見ているともう、これはプロなのか、
本当にいい人なのかは、わからないけれども、
とにかく、たしかに、すごいんですよ。

それぞれの俳優の
「自分の言葉」が絶えず出ているんですね。
「これはだいじだから覚えておいてね」
という要素も入っているし
「おれっていう人をわかってね」
という内容も入っているし、もう全部‥‥。
米原 それは、セリフを読むんじゃなくて、
自分で言うんですね。
糸井 そうです。
だけど、質問されて答えるときに、
とっさに、あれだけ立派にはできない、
と僕は思うんですね。
つまり、書き言葉でさんざん‥‥
米原 練って。
糸井 ええ。
練ってつくったものに近いぐらい
よくできているんです。

ということは、彼らはやっぱり
その訓練までもしているうえで、
俳優なんだ、と思うんですよ。
米原 日本の俳優はそこまでできないね。
糸井 できないですね。
「ぶっちゃけた話だけどね」
というような要素を、
「学生さんたちだから、
 ここでは、ぼくはいいますけどね」
といって雑談みたいに言うことに関してでも、
必ず何が伝えたいか見えるんですよ。
これはねえ、スゴイ!
米原 きちんともう自分の中で、
話の構造ができてるんだ。
糸井 だから、大詐欺師ともいえるし。
米原 でも、その言っている瞬間は
本当に誠実に言ってるんでしょうね。
糸井 ええ。すばらしいですね。

だから、政治家は、
きっと、あれを見た方がいいですね。
米原 つまり、言葉でもって人の心をとらえるという。
糸井 ええ。
「夢中になって押しつけてる」
というんじゃなくて、
「向こうからも歩み寄らせる」
ぐらいの引き方っていうか、
距離感を持ってるというのは、
それぞれの個性が、ぜんぶ違うんですよ。
米原 それはもう全然、
メモも何も見ないでしゃべるわけね。
糸井 ないです。
「質問者がこんなことを聞く」
というのは、おそらく前々から
言ってあったとは思うんですね。
アメリカのやり方ですから。

ですけど‥‥
それにしても、すばらしいですねえ。
ああいうことができる人ならば、
本当に天下とれますね。
米原 そうですね。
小泉さんで、あれだけとれちゃうんだからね。
糸井 そうですね。


(※明日につづきます。
  明日も濃いですよー。おたのしみに!!!)

2002-11-13-WED


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