言葉の戦争と平和。 米原万里さんとの時間。 (「これでも教育の話」より) |
16 グローバルスタンダードはない
□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□ こんにちは! いつもご愛読ありがとうございます。 今日もたのしく、2通のおたよりをご紹介しますね。 「はじめてお便りします。 毎日更新される米原さんの連載を たのしみにしているイチ読者です。 私は現在学生として国外に住んでいますが、 たまに通訳まがいの仕事をする機会もあり、 また、こちらにくる前は 国際会議の運営業務に携わって 同時通訳者のかたがたのお仕事を 直に拝見していましたので、米原さんが描写される 現場の雰囲気やご苦労など、とてもリアルに伝わります。 そして、豊富なご経験による鋭い視点の数々にも ハッとさせられ、遠くにいながらも、リアルタイムで こんな貴重な対談が読める幸せを実感しています。 話は変わって、本日の対談の中で、 『アメリカの俳優が日頃から 自分の言葉で語る訓練をしている』 といった件で思い出したのが、 最近は監督業も順調な俳優のショーン・ペン。 彼は先月半ばに、米政府のイラク攻撃姿勢に対する 抗議文を、ブッシュ大統領に宛てた公開手紙として、 ワシントン・ポストの一面を56.000ドルで購入して 発表したようですが、その時の文章は 『わたしもあなたと同じように、子供の父親であり、 一アメリカ国民である。わたしも あなたと同じように、わが国に愛国心を持っている』 という出だしで、ゆっくりと彼の気持ちが綴られていました。 音として聞いた訳ではないのに、 文と文の間にこめられた、 彼の怒りの感情がズンとこちらに響きました (今いる欧州の国の言葉に翻訳されたものを読んだので、 原文とは若干違う部分もあるかもしれません)。 今日の対談で、もうひとつ感じたこと。 日本人の間では特に、理性的な発言をするほうが 良しとされる風潮があるように感じていたのですが、 こちらではそこに自分の感情が 存分に入っていないと、全く話になりません。 大人になってからの外国語習得以上に、 感情を込めながらも論理的に、 筋道立てて話すことの難しさは、 日本の教育を受けた私にとっては想像以上のものでした。 長々とすみません。米原さんの著書も これから探して読んでみようと思います」 「今日の『作文について』の話を聞いて、 目からうろこが落ちました。 というより、曇っていたガラスが 少し晴れたような感じかなぁ。 日本の小説はそういうかんじだったのですねえ。 私も作文は、あまり好きではなかったのですが、 そういえばそんな理由があったのかもなぁと思いました。 ロシアの小説を、いくつか読んでみたくなりました」 「M-C」さんと、「みーみー」さんからのメールでした。 特に「M-C」さんのメールからは、 異文化に常に接している方独特の 「風当たりの中に立っている」みたいな印象を 強く受け、読んでいて勇気づけられるものがありました。 論理を通すことも、 そしてそこに感情を入れることも、 ほんとうに大切なんだよなぁと思っています。 感情を入れるのって、仏像に目を入れるみたいな、 ものすごく大切なことなのだなぁ、と みなさんからの反響の大きさに、痛感しているところです。 では、今日の対談を、どうぞおたのしみください。 今日は「グローバルスタンダードという幻想」について、 米原さんが、経験をもとに語ってくださっています。 □■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□
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2002-11-18-MON
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