言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

18  ロジックは記憶の道具







こんにちは!
今日も冒頭に、1通のおたよりをご紹介します。

「私は今年から京都で大学生をしています。
 今年の3月まで
 父の転勤先のカナダに住んでいました。
 とはいっても2年半という短い期間で、
 私はまたカナダに帰りたいなと思っています。

 そんな短い、そして結構中途半端で
 『もっと学びたい、もっと住みたい』
 と心残りで帰って来たのですが、
 それでも思い返してみると
 いろんなことを学んだなと思っています。

 カナダから帰国する前に自分がどんな体験をしたか
 『ポートフォリオ』を作り、
 自分がカナダに到着してから帰国までを
 自分の言葉でまとめました。
 後で読み返してみると、
 あんなこともこんなこともやったんだ、と驚くばかり。

 もちろん言葉の壁も最初はありました。
 日本で高校生をやっていたときは、
 英語が最も苦手な科目で、
 それまで海外にも出たことがない、
 パスポートも持っていないような私でしたから、
 カナダに行った頃は幼稚園の子供よりも喋れないような、
 そんな感じだっただろうと思います。
 何か聞かれても、"yes, I do." "No, I don't."という
 文法英語で受け答えをして。
 と、自分の体験話を語っていたらキリがないのですが。
 カナダに行ったとき、自分の言いたいことを
 言えないもどかしさ、辛さを初めて知りました。
 今まで何不自由なく生活していたのに。

 所詮英語は私の第二ヶ国語。
 日本語が私の母国語であって、いちばん
 伝わりやすい・伝えやすいのは日本語なんだ。
 と頭ではわかっています。
 でも、その垣根を越えてでも
 分かり合える・分かりあえたらいいなぁ、
 と思う友人がたくさん出来ました。
 “その『心で伝えられないもどかしさ』は
  新しい言語に触れる上で避けて通れない道だ”
 と私の大切な友達は言っていました。

 それからカナダで生活をしていくうちに、
 やっと自分の気持ちを乗せて伝えることに
 慣れてきたようなそんな気がしました。
 どうってことない『お腹空いたよ〜』という
 文章でさえも、以前は『気持ち』で
 伝えることが出来なかったのに。
 だから、私はこれからも
 英語の勉強をしたいと思ったし、
 彼らとつながっている手段として、
 英語という言語を大切にしたいと思いました」

「マリー」さんからのメールでした。

今日は「ウソを言うことと真実を言うこと」ということと、
「論理という道具はなぜ生まれたか」についての会話です。
そろそろ、クライマックスに入ってきています。
では、どうぞ!!!








米原 今、「つくり過ぎ」じゃないですか。
自動車でも何でも。

日本の道路面積って
先進国の中で一番少ないんですよ。

国土面積対道路面積で。
だけど、自動車の量が
毎年5%ずつ増えていくから、
渋滞になるし、空気も汚れるし。
糸井 そういう知識も、
外国の人に説明するために、
だんだん覚えていったということですか。
米原 結局、
「日本に来ると、車が渋滞になる」
と言われたりして‥‥つまり、
人々はそこに物語を求めるわけです。

車が多いって伝えるだけじゃ、
ダメなんですね。
物語をつくっといてあげなくちゃいけない。
糸井 説明が必要になるわけだ。
米原 そうそう。
そうすると、何か日本を
知ったような気分になって喜ぶんですよね。
糸井 そんなことは
本当はどうでもいいのに‥‥。
おもしろいなぁ、その例って。

観光案内について、
米原さんは最初は
「大変ですね」って言っていたけど
じつは楽しいですね。
米原 楽しいですね。
あと、先ほど作文で
ウソと本当の話があったけれども、
現実の恥ずかしい部分を
ぜんぶ出してしまうことが
評価されるといったけど、
本当のことをしゃべるよりも、
私はウソをつく方が恥ずかしいのね。

‥‥と思いません?
ウソをついているほうが、
本当の自分が出ると思いませんか。
糸井 出ます。その中に自分の考えが出ますから。
米原 考えが出ちゃうから、
私はそっちの方が恥ずかしくて。
そのまま本当のことをしゃべると、
けっこう、ウソを言えるんですよ。
恥ずかしい部分をいったとしても、
すごく平気でウソをいえるんですね。
糸井 米原さんの本、そのものじゃないですか。
米原 すみません。
糸井 つまり「抑揚」というやつですよね。
米原 そう。
本当はみんなが
フィクションでつくっていると
思っている部分に一番自分が出ている
から、
フィクションするのは
すごく恥ずかしいと思いながら
フィクションしているんですよ。
糸井 米原さんの本を読むとよくわかるんですよ。
米原 ああ、そうですか。
糸井 あれは、強弱のつけ方が
ドラマツルギーになっていて。全部本当のこと。
だけど、ここのところは大きい音でいうみたいな……。
笑いますもの。
米原 ありがとうございます。
糸井 最初に読んだときに、
このやり方は発明だなあと
思うぐらいおもしろかったですね。
米原 ああ、そうですか。
糸井 でも、あれもロジックの構築が
できているからですよね。
米原 さあ。
ただ、たぶん、才能がある人は
ロジックは要らないんですよ。
糸井 あぁ、深いなあ、それは。
米原 おそらく直観で全部できちゃうと思うんですよ。
糸井 古今亭志ん生にロジックは要らないですよね。
米原 そうそう。
でも、そうじゃない人はやっぱりロジックで、
それを見える形にするか隠す形にするかは別として、
ロジックがないとやっていけないですね。
糸井 遠くまで大勢を運ぶためには
トラックで運ばなきゃならないけど、
足が丈夫だったら別に大阪まで走れますよね。

‥‥というのと同じで、
ぼくはやっぱり今の時代では
自動車は要ると思うんですよ。
ロジックという機械、道具は、
すごい武器だと思うんですね。
米原 恐らく日本人がロジックが苦手になったのは、
教育もあるけれども、紙が余りにも
潤沢に手に入り過ぎたせいだと思います。
糸井 おもしろいなぁ、その考えは。
米原 結局ロジックって何かというと、
私、通訳していてわかるんだけど、
日本の学者は
ロジックが破綻しているのが多いんです。
基本的には羅列型が多いんです。

それでヨーロッパの学者は非常に論理的なんです。
現実は、世の中そんなに論理的じゃないんですよ。
論理というのは何かというと、
記憶力のための道具なんですよ。
物事を整理して、
記憶しやすいようにするための道具。


ところが、紙が発達した国は書くから、
書く場合には羅列で構わないんですよ。
耳から聞くときには
論理的じゃないと入らないんです。
覚え切れないんです。
糸井 おもしろいなぁ。
米原 だから、日本人とか
漢字圏の紙が豊かな文化圏の人たちの
脳というのは、視力モードなんですよ。
目から入ってくるものを基本的に受け入れやすく
覚えやすい脳になっているんです。

ところが、ヨーロッパ圏の人々は
聴力モードなんです。
耳から入ってくるものにより敏感に反応して、
より覚える脳になっているんです。
製紙業が始まったのは中国ですよね。
それで日本も非常に紙が豊かな国で、
試験もほとんどペーパーテストですよね。
それで、考えをまとめたりするときにすぐ書く。

ところが、ヨーロッパでは、
紙はものすごく高価だったんです。
だから、ほとんどの人は紙を使えないわけです。
授業で生徒が紙を使うなんてぜいたくだった。

そうすると、紙を使えない人はどうするか。
なるべくたくさん覚えなくちゃいけないわけです。
覚えるためには論理が必要なんです。
論理とか物語とか、そういったものがないと、
大容量の知識を詰め込むことはできないんですよ。
だから、論理が発達するんですね。


(※ついに、明日が最終回です。おたのしみに!)

2002-11-20-WED


戻る