80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

ミーちゃんの日記にも、空の様子や買い物の話の他に、
ごく自然に、テレビから流れる戦争のニュースが
登場してきます。
戦争を経験した人が観たら、
同じテレビ番組でも、まったくちがって見えるのでしょう。

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3月21日(金)室温17C 湿度53%(午前あり)

今朝も右下が少し欠けた様な月が綺麗に見えた。
月から下界を見て
イラクで始まった戦争をなげいているかな?なんて
変な事を考えていた。
新聞には「フセイン大統領殺害狙う」
(横書きの黒に白い大きな活字で)
「米、所在つかみ作戦変更」
(縦書きで大きく)
第一撃「心理的重圧も重視」等有り
写真は大きなマンションが中心に有り
周りも同じ様な建物の有るバグダット市内から見える
異様な「光のかたまり」が写っていた。
他にも「イラク反撃・クウェートに着弾」等と有り
いよいよ始まったと、思わせていた。
こんな事を忘れさせる様に、
東の空から目を射る様な太陽が出てきた。
どこから見ても空には雲一つなく真っ青だ。
宇宙からは戦争なんか関係ないのでしょう。
あまり良い天気なので
デジカメで花など写してみたくなり
先ず部屋の中で、いろいろやってみて
外へ出て明るい日ざしを受けながら、
この間と同じ様なのを撮ってみた。
水仙が殆ど咲き始め「前橋まつり」の
[子供の鼓笛隊]を見ている人の雑踏の様に
大きいのや小さいのが、ごちゃごちゃと続いている。
球根を植えた私は
これでも間隔をよく植えたつもりだったが。・・・。
農業研修生が見たら笑われるかな?。うふふ。
恥ずかしい。これでも私はこんなに元気に咲いた
水仙が好きで堪らない。
今日も新しいのを切ってきて挿し替えた。
お昼は金井家から「おはぎ」(ぼたもち)が届き
美味しくて喜んでいただいた。
甘党の私はお彼岸が嬉しい。おほほ。
午後は文真堂からイイズカへ回って買い物をしてきたが
風もなく暖かくてもっと歩きたいくらいだった。
6時頃玄関へ行ったらぼーっと赤い空に
浅間山が灰色がかった藍色で
くっきりと綺麗な姿を見せていた。
一日中雲一つない青空で
本当に「春」になったなーと感じた。

3月22日(日)室温・湿度(見なかった)

今朝は少し早すぎるお目覚めだったので
用をたしてからもう一度ベッドに入って
ジッと我慢していた。
違反にならない程度の頃起き出した。
空には月だけが右が欠けた形で、
つまらなそうにボーっと出ていた。
ひとりぼっちは寂しいわね。と私は言ってあげた。
うふふ。
イラクの事がニュースであるかな?と
テレビを出したが未だ、ゴルフだった。
時間がばれたかな?
昨夜の電話で、二三日前から話が出ていた
亜弥ちゃんの家に午後は遊びに行く事が決まったので、
楽しみだ。
さーて「受信」と「送信」が重たい程入っているので
毎日少しづつ消してゆく事にした。
始めよう。
時間が有ったので大分削除出来た。
「受信」の2000年7月が終わったところだ。
6時過ぎたらだんだん曇ってきた。
今は薄いグレーだけの空で今にも雨が降りそうだ。
ニュースはまだイラクの様子でいっぱいだ。
現地の住民はどんなに困っているでしょう。
昼前パン屋とイイズカへ行ってきて
亜弥ちゃんの家に1時頃行った。
お母さんとニコニコと迎えてくれて
お昼御飯も美味しいものばかりで
デザートも果物や桜餅など有り
私の好きな物ばかりで、喜んで戴いた。
話も旅の事などでとても楽しかった。
お母さんはこの間私が熱川温泉の帰りに
横浜で見てきた中原淳一展へ
お友達と行ってきたと、又、話が合った。
楽しい時間はたちまち終わり
5時頃?お母さんの車で
亜弥ちゃんと私の家まで送ってもらった。
其の後すぐに紀子と初美さんはお茶のお稽古に出かけた。
今日は夕焼けもなく静かに夜は更けた。

3月23日(日)室温18C 湿度55%(朝のみ)

空には60%くらいの月が出ているが他には何も見えない。
静かな夜明けと言う感じ。
イスラエルの享子さんから
久し振りに「今は何もないが子供達は学校ヘ行く時は
ガスマスクを持ってゆく」と。
早く戦争が終わる事を願うばかりだ。
返信して居たら、東の窓から今日もミカン色の
ボーっとした空には欅などの影絵になってきた。
この「ぼかし」は人間には画けない様に綺麗だ。
こんなに静かな朝を迎えている自分が、
「なんて幸せなんだろう」と、神様に感謝している。
今日はやっと、お墓詣りに行けそうだ。
山のお寺からの眺めはどんなに良いかと楽しみだ。
今日は少し東まで行けば富士山が見えるかも知れない。
でも春は霞んでいるので見えないでしょう。
この辺は「富士見村」なので見える所も有るのだが。
早めに昼御飯を済ませて紀子と車で出かけた。
先に山のお寺へ私の実家の祖先と
隣にある姉と義兄の墓にした。
今頃は毎年寒いのに今日は汗ばむ程の暖かさで
とても落ち着いていた。
春の彼岸はこの小さい山の上の墓地を赤城おろしが、
吹き抜けてゆくので寒い事に決まっていたが、
初めて暖かい春の彼岸だった。
我が家の庭で咲いた水仙も
祖先に自慢そうに供えてきた。
西に榛名山が目の前に見え
南は前橋の市内が下に見え遥かに
秩父連山が霞んで見えて居て
私は此処へくるとせいせいする。
其の後は市内のお寺の古い親戚の墓を
お詣りする事になっている。
終わって帰ったのが3時頃だった。

3月24日(月)室温18C 湿度56%(朝のみ)

あまり寒くない朝だ。
半月が出ているが、うすーい雲が懸かっている様だ。
どんよりした空に星もなく寂しそうに出ていた。
今日は相馬先生が来てくれる日で
お医者さんにも行きたいし、どうしょうかと考えている。
連休の後なのできっと混んで居て
待ち時間が大変かと。...。
6時過ぎてふと、東の窓から外を見たら
夕焼けの時のように真っ赤で大きな太陽が光っていた。
見る見る内に灰色のもやもやした雲に
隠されてしまって急に暗くなってきた。
どんなお天気になるのか。   
朝の仕事を済ませて少しゆとりが有ったので
先生に質問する疑問点を、メモしておいた。
何枚かデジカメで写真を撮ってみた。
この間私が撮った写真の中で
先生が一番良く撮れたと思っているらしいのと、
同じ所で撮ったのが今日も
先生は一番良いと思っているらしい。???
先生は先日亡くなった秋山庄太郎先生の、
写真学校を出て居るので、
いろいろ見る目がちがって凄いのでしょう。
何も解らない私のなんか見てもらうのが
申し訳ない気がする。
今日は私の疑問点を答えるのが沢山有ったので
先生の予定の葉書に写真を印刷するのが出来なかった。
授業が終わってから先生とお茶にするのが愉しみで、
今日はお隣のケーキを
初美さんがお昼御飯のデザートに持ってきてくれた
オランジェンが有った。
夕焼けのない寂しい玄関から見送った。
テレビのニュースではイラクの状況報告が
未だ続いている様だ。
早く戦争を止めて
平和な世界になってもらいたいと祈っているが・・・。

3月25日(火)室温・湿度(見なかった)

この頃は「受信」が無いので
開けてみてから他の事をしている。
10時過ぎてお医者さんへ出かけた。
やはり連休明けの昨日では無いので
待っている人が少なくて良かった。
午後は臨時にお仕事になった。
クッキ−詰めを一人でした。
火曜日なので八千代さんは来ていないので
お喋りも出来ないし仕事は、はかどったが夜にかかった。
明日にまわしたく無いのでやってしまった。
片付けてお風呂へ入って寝る事にした。

2003-04-10-THU
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