YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson16 「やりたいこと」の迷路から自由になる

自分の心の火種をどう発見するか?
守りぬくか?
について、前回このコーナーで意見を求めた。
予想以上に、たくさんの深いメールが寄せられた。

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私は今、自分探しをしています。
毎日がなんとなくだらだらと過ぎていきます。
焦りだけが胸の中を渦巻き、ひとつも考えがまとまりません。

これこそ私が求めていたものだ!と
突き進もうとしましたが、長続きしませんでした。
現状を打ち破ってくれる“新しい何か”を
追い求めていただけではなかったのか。

自分の無力さ、つまらなさが目につくばかりで、
苦しくてどうしてよいのかわからなくて。
私は今、現実と夢の板ばさみで、
日々死んでるような気分です。
この夢を守り通した先に何があるんだろう。

入社したその日に
心にひっかっかるものがありました
----そんなモン売ってどうするんだ? 私なら買わない。
早い話、仕事に意味を見つけられませんでした。

彼とフランス料理屋をはじめました。
好きな人と好きなことをしている。
この上ない幸せと思うのに、満足できない自分がいます。

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など、自分のやりたいことがみつからない、
あるいは、できないという人が
現実にはとても多く、痛みは深い。

そして、質・量、充分なメールをいただいたからこそ、
やっとわかった、改めてわかったことがある。それは、

最終的には自分で考え、自分で動き出すしかない

ということだ。
過酷なようでいて、
きっぱりと背中を押してくれる結論だった。
正解はない。
自分以外のだれも、
自分のやりたいことについて答えられないし、
自分が頭と心と体を使って動き出さない限り、
何もはじまらない。この点において、みんな平等だ。

そしてやるかやらないかは、まったく個人の自由なのだ。
読者のUさんは教えてくれた。

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やりたいことがさずからない体になった人は
きっと、引き換えになるものを得ているはずです。
家族とか、信頼とか、時間も、お金も。
得た上でしあわせになるかどうかは、
これも本人の努力によると思います。
だって憲法にすら規定されてるじゃないですか。
13条 幸福追求権
12条 …国民の不断の努力によって、
     これを保持しなければならない…

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Uさん、私もそう思います。
カードを1枚とるために、1枚捨てるように、
どの道を選ぶかによって、得るものと失うものがある。
客観的には、プラス・マイナスゼロ。
しかし、どのカードを残すかで、
主観は大きくちがってくる。

私は、面白さを取り、安定を捨てた。
「やりたいこと」のために今、
私は私流のアプローチを試みたいと思う。
その様子をこのコーナーで、
不定期のシリーズとしてお伝えしたいと思う。
なにしろ、知的・精神的・肉体的な体力がいることだから、
持久戦でいこうと思う。

「自分がやりたいことは何か?」さて、
この問いにどうアプローチしたらいいのだろう?
恐い問いでもある。
はまってしまうと、脅迫観念になったり、
身動きができなくなったりしそうだ。

読者の浅野さんは教えてくれた。

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問いそのものの切実さのゆえに
自分の中での好きなこと、やりたいことの見つけ方は
間違いやすく見逃しやすいとも思っています。
実際そうして見失いかかった経験から、
もう少し広めにココロのレンジを取ってみて、
面白がれることはなんだろう?というあたりから
さぐりを入れることにしてみました。
まさにそういうことをテーマに
ブンカサーバー
http://www.bunnka.com/
というサイトを立ち上げました。」

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どんな経験をしたんだろう?
何を大切にしてこのサイトを開いたのだろう?
という問いが立った。
読者の中には、浅野さんのように
すでに動きだしている人も多くいた。
そういう人たちに、いつかお話を聞いてみたいと思う。

小論文の基本は、「問い」を発見すること、
それによって、面白くダイナミックに頭を動かすことにある。
そして、見たり・聞いたり・調べたり、心と体を動かしていく。
いい問いを発見しよう。
いい問いには、かけがえのない価値がある。
と、私は生徒に言ってきた。
自分がやってきた小論文は、
自分の人生にとってどれくらい価値があるのか。ないのか。

私は試しに、こんな問いをつくって。
ほぼ日のコンビニ哲学のメリー木村さんに送った。

自分がやりたいことは何か?という問いに、
哲学的なアプローチをしていくとすれば、
例えば、どんなことがあげられますか?


メリー木村さんから、すぐ返事が返ってきた。

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ほんとうに、例えば、になっちゃいますけど・・・。

例えばウィトゲンシュタインなら、
「問題は、答えまでも規定する。
 なにしろ、問題は表現の仕方のなかに潜んでいるからだ。
 新しい装いで表現をできれば、それまでの問題は、
 それまでの装いとともに、脱ぎ捨てられるだろう」
と思うだろうので、即答できない問いに対しては、
その問いがどうでもよくなるぐらいの
大切な問いを見つけようとするかも。

フーコーの場合だと、文化だとかまわりの環境だとか、
どんな影響を受けて、問題関心が生まれるのかと考えると思う。
つまり、山田さんの場合、フーコーは、
「どうやって、どんな環境で、山田さんがいるの?」とか、
「世界史のなかで山田さんという人はどういう位置付けで、
 だから、どういうふうに『やりたいこと』になのか?」
とか考えるかな・・・?

ふたりの例に過ぎませんが、
今きかれて、何となく思ったことです。

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知的な体力があると、こんな時、自由なんだなと思った。
なるほど、やりたいことが、
かすむくらい大切な問いを発見することか。
それから、
こんなにたくさんの人が、やりたいことに右往左往する、
今っていったいどんな時代なのか?

教育の問題も大きそうだな。
好きなことは、早いうちにわかっているにこしたことはない。
しかし、あなたの才能を発見しましょう、
それを生かす道を考えましょう、なんて授業を、
私は、受けてないもんなあ。
私たちは、そんな時代に放り出され、
個人でやるしかない状況にさらされている。
ちょっと引いた目で、
この時代と社会を見ておくのもよさそうだ。
自分が立っている位置がわかれば、
いたずらに自分を責めたり、
叱ったりしなくてすみそうだから。

そんなふうに頭を動かすと、
ちょっと風通しがよくなってきた。
自分がやりたいことは何か、
科学的にアプローチするとどうなるんだろう?

今度、科学者の春野蝶々さんに聞いてみようと思った。
経済学でみるとどうだろう?
やりたいことの実現に、
お金という壁がのしかかってくるけど、
やみくもに不安がってもしかたがない。
いったいいくらあればいいんだろう。
やりたいことを追っていく人が増えたら、
日本の経済はよくなる? わるくなる?
経済にくわしい人を探さなくては。

ちょっと面白くなってきた。
最終的には、自分で孤独に考えるしかないにしても、
私は、もう少し、問題にアプローチする
知的な土台がほしいと思った。
身近で、志に忠実な生き方をしている人、
かつ体系立てたものの考えができる人はだれ?

そういう人と、ディスカッションすると、
自分の考えがひきだされ、整理されていく。
例えば、知り合いの大学の先生とか、院生とか、
そういう人に話しを持ちかけてもいいだろう。

私は、迷わず編集者の先輩Yさんのところへ出かけた。
Yさんは、環境問題や国際問題、文化論など、
どんなテーマを投げかけても、
オリジナルの体系立てたアプロ−チを組み上げる人だ。
しかもそれが人間の生き方や実感に根ざしたものだから、
腑に落ちるのだ。

やりたいことの発見・維持について、
いったいどんな問いを立て、どんなアプローチをするか、
私は、Yさん得意の手料理とともに、
とても楽しみにして行った。

Yさんは、やりたいことの発見・維持について
主に3つの問いを提示してくれた。

一つは、自分の内面に対する問いかけ
やりたいことをやるということは、
自分の世界観を形にするということではないか? 
まず、自分の内側に、きちんとした世界観が描けるか? 
自分の中の絶対価値をいかに見つけていくか? 
という問題。

私たちは、やりたいことを
「編集者」とか、「教師」とかいう職業名で考えがちだ。
でも、そのような外側から、
社会が与えてくれたワク・記号としてとらえていると、
現実にその職業に就いても、
理想と違うということになりがちだ。
ワクの中に、どんな世界を
クリエイトしたいかが問題なのでは?

もう一つは、「他者」との関わり
内にこもって好きなこと、
気持ちいいことを追求してもかまわないが、
「自分のやりたいこと」
そこに他者がいないとつまらないのでは?
自分にはもともと好きなことがあり、
才能があるという考えに、期待しすぎると
他者とのつながりを断ち切ってしまうことになりかねない。
人に導かれたり、いろいろな経験則を通して、
やりたいことにたどりついていくしかないっていうことは、
つまり、他人がいてはじめて成立することである。
好きなこと・やりたいことと、他者はどうかかわるか? 
という問題。

最後に、具体性のある生活を
どう立ち上げるかという問題

実のある生活がクリエイトされていれば、
やりたいことの底力になるし、
やりたいことからも自由になれる。

これらについて、くわしくは、
次回のこのコーナーでお伝えしたいと思います。

(つづく)

2000-09-14-THU
YAMADA
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