YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson20 ありのままを観る


小論文の素質があるってどういうことだろう?

ダメ出しの吸収がはやくて、
どんどん自分を伸ばしていく人と。

次がよくなっていくイメージさえできない。
しばらくたっても、同じ持論を唱えて、
固まっている人がいる。

「小論文が伸びる人と、伸びない人の違いって
なんですか?」
私はよく、現場で指導にあたっている先生に聞いた。
そしたら、

書きたいことがある
ものごとをありのままに観る

この二つで一致する。
「書きたいこと」っていうのは、
心の火種(Lessonn15)みたいなもの。
これがないと、どう引き上げようにも、
箸で豆をつまむように、つるつるとひっかかりようがない。

そして、物事をありのままに観る、素直な目。

大学入試の採点官がとても嫌っているのが
「仕込みの答案」。
さきに自分の中に何か仕込んでおいて、
無理にそこへ引っぱろうとしてものを読むこと。
ものを書くこと。
こういう文章は観る人が見れば、一発でわかる。

まっさらな頭と心で、文章を読んで、
筆者という一人の人間に出逢い、
他のだれでもない自分で考えたことを書けばいいのだ。
人と話す時もそう。

ところが、ありのままを、ありのままに観るって、
なんて難しいんだろう。

今日は、あなたと、何が障害になっているのか?
一緒に考えてみたいと思います。

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感動しようとしていく映画

最近、心がささくれてる。
いいものを観て、きれいな涙いっぱい流して。
感動しよう、感動しよう…、
ああ、泣けてきた。感受性が強いんだわたしって。
感動しないとソンだから?
尊敬するあの人も絶賛していたから?
クリエイティブな人たちの間で話題の作品だから?
これでまた、しばらく優しい自分になれるから…???
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失ったものをダウンサイジングする

とうとうアイツは離れていった…。

アイツ、最近、さえない感じ。顔色だって悪いんだよ。
そう言えば、アイツの今の仕事、あれイケテねえーよな。
なんかこれから落ち目じゃないの。
最近タカビー、あれじゃみんなも離れていくんじゃないの?

それにひきかえAさんの仕事っていい! 
Aさんは俺によくしてくれるから。

アイツはすべてイケてない。
まわりにも、アイツは落ち目と言っとかなきゃ、
アイツの被害にあわないように?
あんなにアイツのことを好きだと言ってたのに??
こんなにポッカリ心に穴があいてるのに…???
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むかつくオマエ

ムカツクんだよ。
やりたいこともやれねえで、
言いたいことも言えねえで。
頭も動かなきゃ、行動力もねえ。
グズグズぼんやりトロイんだ。
まったく、おまえを見てるとイライラするぜ。
だめなオマエを指導してやらねばな。
救って、変えてやらねばな。
俺はオマエと、ま反対だから?
オマエと全然似てないから??
俺は、やりたいことやれてるから?
頭も良くて、実行力もあるんだから???
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あなたもこんな情景、見たことありますか?

なんらかの権威(学歴・ブランド・有名)
打算(感動しよう・いい自分になろう、エゴで作品を見る)
無知
自分の中の引き受けられない欠点

先入観
(尊敬する人からのインプットだったり。
一度イヤなことがあった人を永遠に拒絶したり)

恩・義理・利害
(自分によくしてくれる人の発信は良く、
感情的なもつれがある人の仕事をダメに見る)
自意識(人より自分が優れていたい。よく思われたい)
恋するような、何かにかぶれること

これらはすべて、ありのままに観る眼をにごらせるもので
クリエイティブな仕事をするためには、
犠牲にしないといけないと思っている。
けど、それがむずかしい。

「無知」をとりさるためには、
見・聞き・さわって、勉強していくしかなくい、
これはある意味、楽しい作業。

でも、
ちいさい自分
しっとする自分
才能がない自分
ズドン! と受け取るのは難しい。
それでも最近は、自分の醜いとこを
ある意味サディスティックに、じーーーっと観ている。
それは、6年前のクリスマスの一件からだ、
その日、私は、友人と大ゲンカをした。

最大の原因は、
彼女が自分から離れてしまうのではという恐れ。
その不安から
さらに近づこうと、不自然を重ね
しまいには彼女の自由も自分の自由も縛っていった。

もう一つは、
彼女にいだいていた幻想と、
現実の彼女がちがうということ。
妄想といってもよかった。
人が近づきあう時、互いの欠点が見える。
いいものだけ観て、
悪いものにフタをするなんて無理なのだ。

二つの現実を受け入れられなかった私は、
一方的に彼女を攻撃するという行動にでた。
なんと幼稚な自我。
なんてエゴイスティックな思考回路だろう。

私は、心にポッカリ空いた穴を受け止められなかった。
それで、
彼女は悪い人で、だから、私は彼女をきらいになった、
だから二人は離れた。これでよかった。と。

失ったものをダウンサイジングする。

これも、ちいさい人間がすること。
プライドもしばしの心の平穏も保てる。
しかし、その代償は大きかった。

大好きな人をきらい、と自分に言った。
こういう自分へのウソは、
きれいなものをきれいと、
だめなものをダメという目を、じわじわと澱ませていく。

この日から、私の世界観が少しずつねじくれていった。
あのままいくと
編集者としてもダメになったんじゃないかなあ。

編集は、情報の配列がものをいうから。
関係性にすぐれていなければいけない。
大事なものと、そうでないものの関係、
過去と現在の、いまと未来の、
部分と全体の。人と自分の。
ほんとうと、ウソの…。

そのころ、寝食を忘れて働いた。
ほんとにはずかしいが、どうも
「死んでもいいから、いい仕事したい」
と思ってたようだ。
疲れた頭でさらに対象を正確に観る目を失っていった。

当時、田舎に帰ると、母に執拗に小言を言った。
やりたい編集を存分にやっている私にくらべ
母は、夫や子どものためにやりたいことをやれず
そのストレスを抱えているように思えてしかたがなかった。
「もっと前向きに、今からでもやりたいことをやったら?」
母は、そう言われてつらかったに違いない。

そして「命」について考えさせられる事件が起きた。
責任は私にあった。
人の心や体よりも仕事の質を優先させた天罰だ。
その時、もう全身、水を打たれたように思った。

「たかが編集じゃねえか!
私がやってることなんて、なくたって世界はまわる!」

それは世界の中で、自分の仕事の位置が
正しく見えた瞬間だった。
体を壊してまで仕事をやる人は
自分のやってることを
つい過大評価してるのではないだろうか?

わたしが一生かけてどんな編集の域に到達しても、
人の命に遠く及ばない。

いちばん大事なのは人の命で、自分の命で
どんな仕事もこれにかなわない。

その夏、さすがに元気を失い、
自己嫌悪になっていた私は、
「イグアナの娘」というドラマに出会った。

本当は美しい少女なのに、自分と母親にだけは、
醜いイグアナに見えてしまう。
なんとも奇妙なドラマだ。
いったいイグアナとは何なのか?

その時の私は「イグアナ」とは、
自分でも受けいれられない自分の欠点だと思った。

欠点は、他人に宿っていると倍増して見える。
登場する母親は、昔、自分の欠点にフタをしたのだろう。
ところがその欠点が娘に宿ってしまった。
だから娘が醜さのカタマリに見える。
娘も、そういう歪んだ母親の世界観でものを見てしまう。

「自己像をゆがめれば、世界観も歪む」。

その夏、私は、すぐに元気になる方法で、自分を励ましたり、
立ち直らせたりしないでいようと思った。
私は、一人、自分のみにくさを、いつまでも見据えてすごした。
それは、傷口に塩をすり込むように、
痛く、涙がボロボロ出る作業だった。
それでも痛み続けていようと思った。

私は、自分の母のことを考えた。
やりたいことができなかった母の人生に、どうして
あんなにイラついたのか?

山で遭難した人が、
霧の中からしのびよるモンスターに怯える。
でもそれは、霧に写った自分の影だった。

今、思えば、母は自分の人生をちゃんと受け入れている。
たぶん、私が見なければいけなかったのは、
自分のストレスだった。やりたいことを存分にやる中で、
睡眠・食事・自由な楽しい時間がなくなっていた。
やりたいことがやれなかったのは実は私。

その不満を、
母に投影して、憎んでいたのだ。
甘え、逃避…。

自分の親はイヤだ、あの芸能人みたいな親だったら…
という人は、
もしかしたら自分の向かうべき不安から逃れるために、
その不安を親に投影して憎んでいるのかもしれない。
それは自分が親に甘えているということに他ならない。

そういう日々の中で、
あの日ケンカした彼女のことを考えた。

私は彼女のことを大好きで
大好きな彼女に私は嫌われてしまったのだ

受け入れなきゃいけなかったのは、
たった一つこの事実だけだった。
自分についたたった一つのうそのために
ほんのちょっとずつ世界が歪んでしまった

「私は彼女のことを大好きで
大好きな彼女に私は嫌われてしまったのだ」

帰り道だったので、月を観ながら
もっぺん自分に言った。認めたところでやっぱり寂しい。
でも、ここから始まるような、確かな手ごたえを感じた。
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あなたが、今、いいと見えるもの、キライと見えるもの
どっかにうそがないだろうか?
打算はないか。何か得をしようと思ってないか。
無知なために、わかれないだけではないか。
権威がちらつかないか。誰かがいいと言ったのではないか。
自己像はゆがんでないか。

空っぽの頭と
空っぽの心で、
観て、感じて、さわってほしい。
私は、あなたの声が聞きたい。

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自分のうそを認めた晩、彼女から留守電が入っていた!
そして、彼女とは今も友だちだ。
彼女とのあの日のケンカのワンシーンを思い出した。

私: 思っていても、言葉にしなきゃ、伝わんないよ!

彼女: 伝わる! 想いは、観えなくても絶対伝わる。


(Lesson20 おわり)

2000-10-11-WED

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