おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson24 自分を発見するpart2 −伝わると、伝わらないの境界線− 「伝わる」と「伝わらない」の差は何だろう? 言いたいことを言うのと、伝えることは違う。 「好きだ、好きだ、好きだ!」 「わかって、わかって、わかって!」 自分の気持ちを押し付けても愛はちっとも伝わらない。 でも、相手が必要としていることをさりげなく差し出すと、 「私のこと、大事に思っててくれたんだ!」 って、コンマゼロ秒で愛は伝わる。 この差は、たいそうなことを言えば、 自分の中の世界=マイワールドか 世界の中の自分か のちがい。 だから「伝わる」ということは、 世界の中の自分を発見することでもある。 どうやって、自分の世界という閉じた殻を破って、 ひろーい世界を見、その中の自分を発見するか? 今日は、それを探ってみたいと思います。 その時、あなたの言いたいことはスポ――ン! と気持ちよく伝わるから。 私の経験を題材に、いっしょに考えてみましょう。 私が編集の仕事を通して「伝わる」を実感したのは、 地方から東京勤務になった年でした。 いま思えば、ものすごく井の中の蛙、 私は編集者としてイケテルと思ってたんです。 理由は主にふたつ。 小論文の知識があることと、 いい先生からいい原稿をとってくる みたいなことだったようです。 小論文の専門家は今もだけど当時はもっと少なかったし、 第一線でいい仕事をしている人たちの原稿を ものすごい情熱でとってきていたので 「えー? あんな人が書いてくれたの!」 なんて同僚に言われていい気になっていました。 思えば、専門知識と、 著者の方を向いて仕事をしていました。 すっぽり抜けている何か、 大事な何かに気づくはずもなく、 東京でブイブイ言わせたる、くらいの勢いでいたのです。 ●イ…イケテないかも? いよいよ東京のメンバーと会議。 ところが、私の発言がぜんぜん通じないんです。 それどころか東京のメンバーが 言ってることさえ聞き取れない。 いったい何がおきたんでしょう? 地方にいた時の図式はこうでした。 私が企画を発表する。 メンバーから質問される。 私が「それは小論文教育という見地からみてこうです」 と説明する。 メンバーは 「小論文のことは山田さんがいちばんくわしいんだから まかせておけばいい。」 企画が通る。 ところが、東京では、私が 「それは小論文教育という見地からみてこうです」 と説明すると、 「だから、何なのさ?」 バンバンつっこみが入る。 専門知識があることや編集スキルを磨いていることは、 例えば、よい指導者について練習を積んだ 「歌のうまい人」のようなもので、ゴマンといる。 それだけではまだ価値と言えない。 人に歓びを与えられるかどうか。 魅力があるかどうかはその先の問題。 同様に、よく研究され、いい執筆者が書く、 内容のよい雑誌というのは、 それだけではビジネスにのらないし、 ましてやメジャーになれない。 いままでの頑張り方とは、 領域や方向を大きくかえないと先はない。 だけど、足りない視点がなんなのかわからない。 いいようのない壁に、前途をふさがれてしまいました。 焦るから、寝る時間を削って、研究して、企画書を書く。 でも結局いままでのやりかたを出てないから、 企画書はより専門的になるだけ。 だから、ますます会議では伝わらない。 悪循環。 ついにその日、体力と精神力がつき 私は会社にいくことができなくなりました。 この壁がこえられなかったら、もう編集者として、 一生自分で自分を信じられなくなるような、 進退きわまる状態でした。 偶然その日、カナダに写真を勉強に行った友人から エアメールが届いたのです。 セルフポートレイト、 志のために日本を離れた友人の顔には、 覚悟と勢いがありました。 それを見てるうちに、もっぺんがんばってみようと思い。 「肉を食おう」と思いました。 一人でステーキ屋に行き、奮発して肉を食いました。 体の内から力がこみあげてきました。 人間というものは、ちょっとしたことで やる気をなくしたり、やる気を出したりする生き物です。 翌日出社した私には、 いま思えば、限界突破につながったキーワード 外を見る 要約する 動機を創る の3つが、ほぼ同時にふりかかってきました。 この3つは編集に限らず、いろんな場面に通用する原則 として私は大事にしています。 まず、外を見るから、みていきましょう。 ●外がナイ! ------------------- 「はだかの王様」は自分が裸だと、 もっと早く気づく手はあったのです。 自分の王国を出て、外の国に行けばよかった。 ところが王様は、自分の王国こそ 世界いちだと思っていたので 外に行く必要を感じませんでした。 つまり王様の世界には「外がなっかた」のです。 ------------------- それまで、読者の声を 聞くということはやっていたのですが それは、雑誌の巻末についているアンケート。 つまり、 その雑誌を買って、読んで、 その上アンケートまで出してくれる人の声、 だいたい、いいに決まっています。 まじめで、勉強がすきで、小論文も好きな人たち。 たまに会って読者の話を聞く「ヒアリング」でも、 目の前にその雑誌を広げ、 小論文のこと、勉強のことしか聞かなかった。 そういう情報の取り方は、 とざされた世界観をつくりやすく、 編集者を裸の王様にしやすい。 それでやっと、「ぜんぜん雑誌を読んでない読者と 小論文に関係ない話をする」という発想が生まれました。 いま好きな音楽は? 最近ニュースでひっかかったのは? いま一番気になっていることは? もっとも興味があるものは? 読者対象は17歳でしたが、 それまで抱いていた読者像が ガラガラくずれていきました。 まず、字を読まない、というか見ない。 また、私がこの著者すっごいと思っている人物の 写真を出したら、 高校生:「ダレ、このおじさん? 知らない」 え? でも小論文入試とかに バンバン採られてる有名な人よ。 あなたの志望大学だって。 高校生:「言われればそうかと思うけど。 でも、なんか、こういうおじさんの顔の写真が バンと乗ってたら、それだけで読む気しない」 ……。 高校生が喜ぶだろうと、 著名な人物に原稿を書いてもらい、 テキストベースの雑誌をつくっていたことは この子には何にも意味がなかったということです。 多くの子は勉強がきらい。 家にかえってまでする勉強は極力したくない。 ましてや明日の授業で聞かれない小論文なんか やりたくない。 彼らの人生に占める小論文の比重は小さい。 自室にある勉強モードの物体は それだけで構えてしまう。 そしてとどめ。 実にたくさんの子が、 私の編集している雑誌の存在を知らなかった……。 壁の前で立ち止まっていた私が、 見なくてはいけない方向が少しずつ見えてきました。 そのころ、友人が 「ねえ、コンビニの商売がたきってなんだと思う? よそのコンビニじゃなくて、家庭の冷蔵庫なんだって。 家の冷蔵庫をカラにするっていう 発想でつくられたらしいよ」 って言ったのがひっかかっていて考えました。 この雑誌のライバルはだれだろう? いままで、なんの疑いもなく、同業者 つまり小論文業界だと思っていましたが…? ●ライバルは誰? ちょっと自分が高校生になってみようと、 かばんをもって、学校から 家に帰ってくるところをやってみました。 ただいま。 一日授業で疲れてる。宿題も気になる。恋愛も。 部活のもめごとも。 でも、ちょっとなごみたい。 ここに、どんな色の、 どんなものがあったら手にとるのでしょう。 私の編集したものを置いてみる。 いかにもまじめくさってて、とてもチャーミングではない。 「これだったら、カレシに電話をするだろう」 「テレビのスイッチをつけて、ドラマを見るだろう」 そうか。ライバルは競合他社じゃない。 カレシだったり、ドラマだったり。 ドラマを見る一時間を削っても、この雑誌を読む。 どうやらそれくらいの引力があるものでないと、 だめなんだということがわかってきました。 私に足りなかったのは、まず読者、しかも 一般の高校生の論理でものを見ることでした。 読者側からみたとき、この雑誌は何か、 面白いのか、いいことがあるのか、 一発でわからなければなりません。 読者は全部読んでいい、悪いを決めるのではなく、 ぱっとみて、読むか読まないかを決めるのです。 そこで「要約力」が必要になってくる。 そして、もう一つ大切なのは、 この雑誌に向かう「動機」を創ることでした。 どんなにいい内容があっても、 読者側に読む動機がなければ成立しません。 一冊単位でも、コーナー単位でも、すべて、読者が これを読む動機を引き出すことから始めなければ、 買われないし、読まれないのです。 それからプロモーション。 編集時間を削っても営業をもりたてること。 存在を知ってもらわないことには 何にもはじまりません。 いままで、ごっそり、抜けていた領域が見えてきました。 毎日、目からウロコの日々。 そうして秋にあげたプロトタイプは会議を一発で通り、 ドライテストでも高校生が、 「こんなのがほしかった!」と身を乗り出してくれました。 何より、東京にきて 共通言語を探すのに苦労した同僚たちと 一発で通じ合えた、伝わった、という手応えが 本当にうれしかった。 私は、カナダの友人に国際電話をしました。 うれしいことがあった! という私に、彼女は 「●●先生と仕事ができたの?」 とまず聞きました。無理もありません。 著名な作家たちと仕事ができることに あこがれていた私です。でも、いまは変わった。 東京にきてからいろんなことがありすぎて、 友人もカナダでいろいろあっただろうし、 何から話していいか、どう話していいか、 さっぱりうまく言えなくて、 「読者がいた… 読者がいることがわかった… 読者の側からものを見るということがわかった…」 とだけやっと言えました。 自分ながら、わっけわかんねぇー! ところが、今まで、すっげー仕事したんだよって、 さんざん語っても、動じなかった友人が、 しばしだまったのです。 友人は電話の向こうで涙を出していました。 ものが伝わる境界線は不思議です。 次週は、今日詳しく触れられなかった。 「要約する」と「動機を創る」について 具体的に考えてみたいと思います。 (つづく) |
2000-11-08-WED
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