YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson29 ほんとに、自由ですか?

2000年3月、私はサラリーマンをやめた。
フリーになった。
でも、自由になったか?

なんだか違うような気がする。
やりたいことが、やれていない。

鈴木その子さんが亡くなられた。
死は、ほんとうに、あっという間に、
毎日、確実に1日分、
押し寄せてくる。

完全な自由なんて、一生かかっても
手に入らないかもしれない。
でも、
たかだか寿命70年くらいの、
こんな小さい自分ひとり、
どうして、もっと自由にしてやれないんだろう。

何が障壁になっているのか?
今日は、それを考えたいと思います。
あなたと私が、もっと、いや、
ぶっちぎり!  自由になるために。

でも、自由ってなんだ?

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会社員

毎年、人事の季節になると、疑問です。
辞令が出れば、よその土地、別の仕事に
つかなくてはいけません。
これって、たった1年先の
自分の住む土地と、
自分のする仕事を、
自分で自由に決められないっていうこと?
サラリーとひきかえに、
会社にあけわたしているものって。

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オンデマンドな私

テレビは見たい番組だけ、録画で見ます。
CMは抜いて、かったるいシーンは早送り。

料理は、好きなものを、好きな時に店から買って食べます。
つくる手間も、かたづけもいらない楽チン。

好きな人とだけつき合います。
私と考えの会う人、歳や趣味の近い人、
会って気持ちのいい元気がもらえる人。
やな人は、
心の中でシャッター降ろしちゃいます「サヨナラ」。

ネットは、好きなこと、自分に関係あることが、
イッパツ検索できるから便利です。
好きなサイトを「お気に入り」に登録すれば、
もう、次から迷わない。

何でもほしいものが、イッパツで取り出せる時代です。
もっと便利になれば、やりたいことに向かって、世界と
自由にコミュニケーションできる時代です。

仕事は、クリエイティブなことだけやらしてください。
これでも大学で優秀だったんです僕。
そんな地味な作業は、この僕には似合わないないから。

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一緒に食べる人

ボーナスが出た。
こんな大金を自分で好きに使える。働いてこそ、の自由。
あの店で、とびきりうまいものを食おう!
金はたんとある。
花金だ、時間もある。

でも、一緒に食ってくれる人がいない。
いやケータイで呼べば誰かいる、でも、俺には、
いちばんうまいもの、一緒に食いたい人がいない。

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芝居をやっている友人が、
若い子は、
「自分が好きな芝居をやればいいんですよ」って、
明るくいうのよ。
ちょっと困った顔をした。

僕が好きなようにする。

たしかに、たしかに、
そういうことは、社会にもまれてやってきた人が言うと
すごくかっこいい。

でも、社会経験のない人が、
ツルツルしていうと、
とても不安になるのだ。
なぜだろう?

きっと、自分の中にもある、
自由のはきちがえがデフォルメされるからかなあ。

日本の子どもは、
自由を、親や先生に意見を言う、とか、
授業をサボること、とイメージしていて、
それは世界でも特徴的らしい。

自由にのびのび育てよう、
勉強さえしていれば、
あとはどうでも、
家の手伝いも、親戚づきあいも、
道で、ばあさん倒れていても、
ぜんぶパス、

いろいろなものが、
便利になっているから、
好きなことだけイッパツ選択!
やなこと後回しって
やっていった結果、
皮肉にも、自由のイメージがやせてしまった。

自由でいるためには、自分の世界をはばひろくしておきたい。
ところが、好きなことだけイッパツ選択でやろうとすると、
逆に、世界は小さく小さくなっていく。なぜか。

自分のはばたく世界を広げるためには、
どんなことが必要だと思いますか?
いま、あなたに欠けているのは何ですか?


***

わたしの、これまでの人生を振り返って
いちばん自由だと感じたのは、
根っこから、新しい雑誌を立ち上げたときだ。

時間がなかった、体力的にもきつかった。
まわりからもしょっちゅう責められた。
なのに自由だと感じたのはなぜだろう?

同僚が、いちばん自分らしく自由だったときを
恋愛をしていたときだったといった。
恋愛には苦しみがつきまとう。
自分とは違う人間が相手だから、
思い通りにならないことばかりだったろう。
事実、その恋は終わった、
にもかかわらず、
「あんなに自由でいられたときはなかった」
と言った。
なぜだろう?

あなたが、これまでを振り返って、
いちばん自由だと感じたときはいつですか?


***

自由っていうのは、制約がない状態じゃない。

それどころか、
自由人っていうのは、
人一倍何かを背負っている人じゃないか、
とさえ思う。

自由人が、たくさんのものを背負えるのは、
知っているからだろう。
いま、自分が置かれている状況、
いいことも、わるいことも、
「自分の決定だ」
ということを。

そうして、自分に責任をとらせていく。
責任をとった領域の分だけ
その人がつばさを広げられるスペースになると思う。

以前チーフだった女性は、会議で
「誰が責任取るんですか?」
と言われて、「私がとる」と言った太っ腹の人物だ。
彼女は本当に、幅広い範囲で自分に責任をとらせている。
事業をゆるがすような戦略から、
部下の小さないさかい、悩み相談。
めんどうな雑用、もろもろまで。
本人も、それは、とても煩雑でめんどうだと思っている。
にもかかわらず、
自分の意志で関わる。

チーフは自由な時間がなくて大変だ。
と思った私は大間違いだった。

彼女は、それで、どんどん、どんどん自由になっているのだ。
まず、事業を成功させて会社に責任を果すから、
会社は彼女に、次は、もっと自由にやらせてみようとする。
また、悩み相談にのってもらってやる気のわいた部下は、
歓んで、どんな仕事のシーンにも協力しようとする。
雑用にかかわれば、その分、
現場やものづくりへの知識が増える。
そうすると次の、もっとのびやかな戦略が生まれる。

関わった人が、道をあけ、気流をつくる。

その気流が、つばさを
押し上げる力になっているようにおもう。
羽を広げても、気流が悪ければ空をとべない。

会社員には自由がない、
というが本当だろうか?
転勤や転属、昇進。
いったん入社すれば自分の意志では
どうにもならないことがあるのをわかって、
自分の意志で、お願いしますと言って
入社したのではなかったか。

会社には、利益をだすという目標がある。
これに対する責任を果さないうちに、
「俺の道をあけろ!」と言っても
それは無理というものだ。
入社したてなのに
とんでもなくプライドがあって、
煩雑な作業をバカにし、
面白いことだけやらしてください。
という人に、だれが道をあけるだろうか?
自分がバカにしている作業できちんと責任が果せなくて
何をやるというのだろう?

自分のわくにとらわれない幅広い経験、
技術を磨くこと
人望
仲間

それらも、自分を自由にしてくれる。
入社してから、私が「これだ!」という自由を得るまで、
10年たっていた。

あなたが植物として、いま、
どこに植えられていますか?
そこで咲くとしたら、
あなたは何に対する責任を果たしていきたいですか?


***

フリーになって9ヶ月。
私が、編集者の時のように自由でないのは、
あたりまえのことなのだ。

それは、組織だからとか、個人だからとか、
いまの世の中がどうのこうのとか、
そんなことではない。

新しいことを始めて、
幅広く自分に責任をとらしていくことが、
まだ始まったばかりだから。
フリーとしての実績も
それで歓んでくれる人も、
まだこれからで、そんな人に道をあけないのは当然だ。

でも恐ろしく面倒をひきうけながら、
一つ責任を果すごとに、
羽がクッと伸び、
一つ道があき、
一つ気流が生まれると思うとワクワクする。
これを続けていると
ある日飛んでいるのではないだろうか?

***

責任という言葉をたくさん使った。
なんだか自由って、窮屈だなあと思った人がいたら、
それは違う。

自由と責任もセットだけど
自由とLOVEもセットなんだ。

根っこから、すごいLOVEがあれば、
たくさんを背負っても、
ひとつひとつ責任を果していくことは、
驚くほど苦ではなくなる。

安楽の奴隷になるな。
オンデマンドの罠に絡めとられるな。
責任をとり、
人を愛せよ。

そんなふうに自分を叱りながら、
私は自由を求めている。

あなたは、いま自由ですか?

2000-12-13-WED

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