おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson 36 小さな死をくり返し、自分の表現を生かす 表現していくうえで、いちばん恐いのは、 マンネリに陥ってしまうことです。 人があきるとか、そんなことより、 自分自身が、自分の内面をどう感じるか、 そこが大切です。 自分の中で、何かがとまる、よどむ、固まる。 新しい風が起きない、 そういう状態はつらいものです。 特に新しいことをしていなくても 何か自分の内面が新鮮で、 風を感じているような状態でいたいものです。 創造の息吹、というか、 新しいものがわきあがってくるような感じ。 今日は、そのために必要なことを考えてみましょう。 表現は、やっぱりそれを支えている 生き方が大きく影響します。 だから、自分を停滞させない、 風通しがいいところへ 日々の生活をもっていくことが大切です。 それは、どうすることでしょうか。 ●何かをつかんだ後が問題 編集の仕事をしていて、 表現の停滞は、何かを確立したあと、 それに固執することから起こるように思います。 独自のものを確立する。 認められ、安定する。 そこに権威みたいなものが生まれる。 その人のところには賛辞ばかりがよせられ、 マイナスの情報がはいりにくくなる。 そういう回路になると、 表現の停滞がおきやすくなります。 また、生徒の書いた小論文の中にも、 十代というのに、なにか、 固まってしまった印象を受けるものがあります。 世の中の見方というか、価値観というか、 一つの定見をもってしまった。すると、 どんなテーマでも、強引にそこに結論をもっていってしまう。 そういう子の答案は、 次から、ある程度予測ができてしまいます。 そういうときは、固執している価値観を いったん手放さないと、 生きるものも生きないのですが、 新しい知識やテクニックを獲得するよりも、 思い込んでしまったものを捨てることのほうが、 ずっと難しいようです。 マンネリに陥らないためには、 停滞から動きだして、 変化することが必要です。 では「変わる」とはどういうことでしょうか? 変わるというのは、 何か新しいものを獲得する、 そのことによって、 より便利になったり、視野が広がることと とらえている人が多いように思います。 でもそれは、 その人の領域の拡大であって、 変わる、というのとは違うのではないでしょうか? 変わる、とは、 獲得ではなくて、 捨てる、壊す、取り去る、 生きながら迎える「小さな死」のようなものだと 私は思います。 それくらい、変わるというのは、 実はつらい、したくないことなのだと、 覚悟をして、備えておいた方が いいのではないかと思います。 それを意識するようになったのは、 ある、友人の話がきっかけです。 それはとてもつらい話なのですが…。 ●どちらにしても死 私の友人は、20歳のとき、 同級生を摂食障害で亡くしています。 それは、友人にとって非常にショックなことでした。 事実は、たぶん当人にしかわからないと思いますが、 この死を、友人がどう受けとめたかに、 私は強い印象を持ちました。 彼女は、同級生の死から、 人はこんなにも自分を変えたくないものなのだ。 ということを学んだというのです。 それはこういうとらえ方です。 彼女の同級生は、環境に適応できなくて病気になった。 だから生きるためには、 自分を変えなくてはならない。ところが、 食べ物を拒み、 自分の肉体を死に追い込んでまで、 自分を変えなかった。 変えたくなかったというのです。 変わらなければ、肉体は死ぬ。 変われば、肉体は生きる。 でも、自分を変えるということは、 結局、それまでの自分を捨てるということだから、 ある意味、自殺。 肉体の死か、それまでの自分の内面の死か、 どちらにしても 死と向き合わなければならなかったというのです。 その話はとても象徴的でした。 それまでの自分を捨てるという、 ある種、自殺を遂げなければ、 生き残れないという逆説は、 ものを創ったり、 表現をしていくときにも、 あてはまると思ったからです。 ひとつのやり方に固執してしまうことが、 表現を痩せさせ、 命までは奪わないにしても、 創り手としての生命を絶つことがある。 しかし、 苦労してやっと確立したものを捨てるのは、 自分が信じてきたこと、 からだになじんだ行為、 それまでの自分の死でもある。 自分自身を振り返っても、 変わる、というのは、 痛みと勇気と、 途方もない不安定なところへ身を放りだすような、 とにかく、すごく体力がいることでした。 異質なメンバー、 異質な環境とのぶつかりあいの中で、 自分のいままでのものを手放したほうがいい、 手放すべき、と頭ではわかっていても、 からだの奥で、 まだ何か守っている自分がいる。 その最後の何かを手放した果てに、 新しいものが生まれ、 必然的に自分も変えられていた、という感じでした。 それは、生まれてはじめて 自分の内面に感じた小さな死でした。 友人は、恋愛も同じだといいます。 未知のものが目の前に現れたとき、 のるか、そるか? のれば、もしかしたら、 いままでの自分を手放さなければ ならないかもしれません。 恋愛にしても、 表現にしても、 その時、自分の確立したものを捨てても、 より自分の可能性を生かす選択を しなければならないときある。 そのとき「変わらない」という選択は、 あると思います。それは、その人の尊厳だから。 でも、勇気がでなくて、 変わりたくても変われない、 ということがないように、 日ごろから、 自分を鍛えておくことが必要ではないでしょうか。 鍛えるとは、 新たに何かを獲得することではなくて、 日常の小さなレベルで、 捨てる、壊す、取り去る、 自分の確立したものを手放す勇気を持つことです。 それは、小さな死をくりかえすことで、 停滞から、風を生み 自分を大きく生かす訓練でもあると私は思います。 |
2001-02-07-WED
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