YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson41 人とつながる力

もしも、あなたが、
いまの人間関係をリセットされ、
見知らぬ土地に一人、放り出されたら、
あなたは、どんなところから、
人とのつながりの糸口をつくり、
自分のネットワークを築いていきますか?

組織にいても、
個人でも、
何かをやろうと思ったら、
人の協力が必要です。

人とつながるために何が必要か、
今日はそれをいっしょに考えてみましょう。

私の場合は、
人とつながる力の素は、
人と会わないことでした。

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部屋に帰るのが恐い

とにかく人と会っていよう。
予定を入れよう、次々と。
飲み会、映画、コンサート。

スケジュールが空白になると
向き合ってしまうから。

自分は何をやりたいのか?
できるのか?

映画に行って、本屋に行って、
用はないけど喫茶店で時間をつぶそう。

部屋に帰ると考えてしまうから。
これからどうするのか?

部屋に帰ったら、すぐテレビをつけよう。
テレビがついている間中、
なにも考えなくていい。
不安から目をそらそう。
向かうべき課題から逃げてしまおう。

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進学とか、異動とか、結婚とか、退職とか、
これまでの人間関係から離れ、
新たな人間関係をつくっていかないといけないとき、
人はやっぱり不安になります。

逆説のようですが、
そういうとき、一人、孤独な時間を持つ
というのは、なかなかいいものです。

私は昨年、やりたいことがあって会社を辞めましたが、
いまの日本で組織を離れることは、
とても不安なことでした。
ヘタすると何日も人に会わない。
このまま人間社会からとり残されるんではという恐怖が
振り払っても、わきあがってきます。

自分は何をしたいのかと、
それをどうやってやるのかと、
それをやりきる実力と行動力はあるのか、
これらの問いが逃げようもなく襲ってくる。

4月の夕暮れだったか、
孤独と不安がピークに達した私は、
暗い部屋で、ひざを抱えて泣いてしまいました。
これは、今考えても、とてもいい時間でした。

これから、とてつもなく不安になったり、
孤独になったりしたときは、
ああして、気のすむまで泣けばいい。
それがわかったら、とても楽になりました。

もう人脈は、何一つ、自分で動き出さなければ創れない。
それが徹底的に、身にしみてわかり、腹がくくれました。
人見知りで、受け身で、
なかなか自分からは働きかけない。
そんな私の、何かが変わりはじめていました。

人から離される孤独な時間から、
人とつながる芽が生える。

あなたが今までで、最も孤独を感じたのは、いつですか?
そのときをどう過ごしましたか?


不安が大きい時期ほど、
裏をかえせば、
その時、どう考え、どう行動するかで、
人生のふり幅が大きく変わる
大事な時期といえます。
だから、そういう時期の孤独を何かで紛らしてしまうのは、
けっこうもったいないことだと思います。

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「なんでもやります」の魔法が消えるとき

なんでもやります!

私は、人とのつながりを求めて、
そう自分をアピールしてみました。
でも、結局、声はかかりませんでした。

なんでもやります。
なんだか便利に気軽に声をかけてくれそうです。
人と、たやすくリンクできそうです。

でも、ある程度の年齢になると
「なんでもやります」は通用しなくなってくる。
相手の記憶にとどまらない。

これは、ぜひあの人に。
そんなふうに、自分を人の記憶にとどめる必要がある。

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人とつながるとき、
自ら人を巻き込む力、と、
何か面白そうなことを人がやるとき、
人から手を引っ張ってもらう力、
というものがあります。

自分より、他人の数の方が圧倒的に多いのだから、
そういう、引っ張ってもらう力を身につけるのは、
人とつながる近道でしょう。

だから、
相手にとって便利な存在になる。
どんなことでもいやがらず、
なんでもやります…、
というのは、一見、間口が広いように見えます。

ところが、
年齢主義でものを考えることが、ほとんどなかった私も、
フリーを1年経験してみて、
また、30代の友人たちの話を聞いていて、
どうも、年齢というものを考えざるをえなくなりました。

この日本で、年をとっていくことは
けっこう厳しいぞ、と、今は思っています。
人や組織につくしてきた、
実力もあって、経験も豊かな人が、
ある年齢になると、
引っ張ってもらえなくなることがあるのです。
これはどういうことでしょうか?

人間の心理を考えれば、とても簡単なことです。
なんでもやってくれる便利な人なら、
意のままになり、人件費もやすい若い人がいい。
これは、使う側なら、だれでも思うことでしょう。

だから、一定の年齢になると、
何かのスペシャルなもの、
その人にしかできないとか、
実力や経験がものをいうとか、
いわゆる便利じゃないところで
人とつながっていかざるを得なくなるような気がします。

自分というメディア力で、人とつながれるかどうか。

仕事でも、趣味でも、
「あなたでなくては」と人に手をひかれるものはありますか?
今からそれをどう育てますか?


私の場合は、
外へ外へと、人のつながりを求めたことが、
けっこう徒労に終わり、
逆に、一人孤独に内面をみつめ
これまでの蓄積を文章にすることが、
人とつながる近道だったりしました。

では、孤独を見つめ、
自分のスペシャルなものを追及していけば、
いいのでしょうか?
今の世の中、そんなに甘くないようです。

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私ってすごい

わたしがやっていることは、
すごくレベルが高く、
すごく価値のあることです。
自信とプライドを持っています。
ついてこれない人もいますが、
わかる人にはわかるのです。
なかなかお金になりませんが、
いまの世の中、
いいものはお金になりません。
だから自分のやり方を変えるつもりはありません。
きっと近い将来、すごい展開になると思います。

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自分のスペシャルなものを深め、
他人にマネのできない存在になっていくことで、
どんどん人のネットワークが広がっていく人がいます。
ところが逆に、
自分のスペシャルを追及していけばいくほど、
周囲から孤立していく人もいるようです。

この差はなんでしょうか?

人とつながる力を持つためには、
人と人との関係の中で、
自分がどうつながっているか、
ちょっとクールに見ることが必要です。

でも人間は、
主観的にいいことをしていると思えば思うほど、
ひとりよがりになりやすいもの。
自分と自分のまわりだけが盛り上がっているうちに、
実は孤立していた、なんてことになりかねません。

では、どうしたら、
相手や組織や社会の人々と、
自分のつながり、
自分の価値を、
突き放して見ることができるのでしょうか?
例えば、こんな問いが役立ちます。

あなたがもらっているお金は、もともとどこから出て、
どこを流れてあなたのところに来ますか?


お金は世界に通用するものです。
その通用するものの流れで見たとき、
人と人とがどうつながり、
どこに人の共感が生まれ、
自分の何に対してお金が支払われ、
自分は食べていっているのか?

それをクールに観察してみてください。
面倒でつらい作業かもしれませんが逃げないで。
きっとあなたと人のつながりを開くカギになるでしょう。

2001-03-14-WED
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