おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson44 自分の「思考停止ポイント」を発見する 「何か話をするときには, お互いが心のどっかに揺らぎみたいな物がないと 議論にならないな」 読者のS.Kさんからこんな言葉をもらった。 自分の頭でものを考えるとは、 常に「揺らぎ」続けることでもある。 絶対というものを持たず、不安定なまま、 自分の内面、まわりの人間や状況に応じて、 その場、できる限りの ベストな判断をしていこうとすることだ。 ところが、これは、なかなかしんどい作業だ。 だから、 揺らぎを止めて、ゆるぎないものに どかん! と腰を下ろしたくなる。 それが「思考停止のポイント」だ。 大きいか、小さいかは別にして、 だれにもそういうものがあると思う。 あなたの「思考停止ポイント」はどこだろう? それを発見するのが今日のレッスンだ。 人によって、 さまざまな思考停止のポイントがある。 会社では、トップが提示した言葉が、 よく流行する。 顧客第一主義、とか、高利益体質づくり、とか。 トップはメッセージを発信するべきなので罪はない、 問題は、それを絶対視して、 人に押し付けてしまう社員だ。 会議で議論が分かれたときも、 企画の決定を出すときも、 部下を説教するときでさえ、 トップのスローガンを、独自の咀嚼もせず、 まんま、つきつける。 その言葉が出ると、だれも、何も反論できなくなる。 会社員であった私も、人がやってるのを見ると、 「うわ、かっこわりぃ。」 と思うのだが、気がつくと、 自分もやっている。なぜだろう…? カリスマ性のある人のまわりも、 やっぱり思考停止になりやすい。 「○○さんのおっしゃるように…」 と、つい、求心力のある人の発言によりかかろうとする。 同じことを言うのでも、 「私はこう思います」という時、 反論されるのでは、とドギマギするのに、 「○○さんもおっしゃるように…」 と頭に置くと、 自分でも胸を張って言えてしまう。不思議だ。 あとは自分の内面の正義、みたいなもの。 私の場合は、 教育の編集を通して、 「人は一人一人かけがえのないものを持っている、 それを活かし、伸ばすサポートをする」 という身上があって、 そのこと自体は悪ではないのだけれど、 論文を書いていて、 頭が疲れると、 つい、そこに結論を持っていこうとする、つまり、 「いま、一人一人のかけがえのない個性を活かし…」 っていう、極めて優等生のつまらない文章になってしまう。 あと、積極的に自分の可能性を生かそうとしない人を、 おためごかしで傷つけてしまう恐れもあるので いつも注意が必要だ。 「環境を守る」とか、「男女平等」など、 あまりに正しいものでも、 自分が寄っかかってしまうと 思考停止ポイントになる。 学識や、データも、 思考停止のポイントになりやすい。 本来は、学識もデータも、 もう一歩突っ込んだ「揺らぎ」へ 議論を進める助手として、使いこなすものだ。 それが、有無も言わせず、 相手を言い負かす材料になることがある。 その瞬間、自分のゆらぎも止まっている。 それから、自分が連発する言葉にも 落とし穴がある。 一時、若い女の人が「かわいい」を連発するのが はやった。 パンダを見ても、おじさんをみても、 田舎のどびんを見ても、 とにかくなんでもかんでも 「かわいい!」で片付けてしまう。 たぶん、「かわいい」といった瞬間に、 対象に対する観察、 自分の中の揺らぎが止まってしまう。 編集の新米のころの自分は、 いただいた原稿への感想に、 「素晴らしい」を連発していた。 若い私には、本当に、 素晴らしい、のひと言に尽きたのだ。 でも、ボキャブラリーがないので 「素晴らしい」に逃げてるな。 とある日気づいて、 自分に「素晴らしい」使用禁止令を出した。 そうしたら、ものすごく苦しかった。 いつもよりも原稿をよく読むことが必要になったし、 どこに魅力があるか? なぜ魅力があるか? それをどういう言葉で表現するか? ふだんいかに考えていなかったかがわかった。 「素晴らしい」が私の思考停止ポイントだったのだ。 いまだに、ボキャブラリーが少ない私だが、 この時のトレーニングは飛躍的に語彙を増やした。 だけではない。 よく読んでみると、 プロの原稿だって、欠点があるのだな、ということに 気づいてきた。 でもプロは、そうした穴を持ちつつも 全体として、非常に大きな魅力をつくっている。 編集の仕事は、原稿の個々の欠点を発見して正し、 完成度を高めることではなくて、 その人の持っている魅力を思い切って引き出す サポートではないか? というようなことにも気づかされた。 本当にささやかなことなのだが、 思考停止ポイントを見つけて 寄りかからないようにしたことに 鍛えられた自分がいた。 だから私は、思考が止まることに敏感だ。 会議の場や、人と話しているとき、 「ああ、また、そこへ行くか…惜しいなあ」 「この人は、それを持ち出すと 思考が止まってしまう…もったいないなあ」 と生意気にも思ったりする。 その瞬間、自分と相手の間に生まれていた 可能性の芽が、スパーンと絶たれるような気がする。 それ以上、いま題材となっていることについて、 よく見、よく考えよう、とすることがなくなってしまう。 では、自分の思考停止ポイントは? これが、なかなか発見できない。 思考が煮詰まった時、いつもそこへ逃げてしまう お守りのようなものは、 本来、正しいとされ、世間に通用する価値観だろう。 自分の中に浸透しているだけに、 見逃してしまう。 そこで、ときどき、 セルフチェックが必要になる。 次にあげるのは、そのための問いだ。 ●自分の思考停止ポイントを発見する問い 今自分が、信頼を寄せている存在は? その人が良い、あるいは、悪いと言ったものを、 自分で咀嚼することなく人に広めてないか? 自分が優れていて、他の人が劣ると思うことはあるか? 何が根拠になっているか? 人を責めるとき、 自分はよく理由をどこから持ってくるか? 会議や会話で自分が連発する言葉はあるか? 会議や会話で自分がそれを言うと し〜ん!としてしまうことはないか? (納得して黙っているのではなく、 反論させないように黙らせてしまう) 自分の発言の中で「絶対」をつけるものは何か? 何が根拠になっているか? 自分の信じる価値で 人を幸せにできると思ったことはあるか? 何が根拠になっているか? ―――これらの問いは充分ではないが、 思考の動脈硬化に気づくヒントにはなると思う。 「根拠」のところが問題で、 自分がそれについて、よく調べ、考え抜き、 体験を積んだ果ての結論であれば、 ある程度自信をもってよいと思う。 ●揺らぎ続ける強さをもつ 絶対ということがない状況の中で、 私たちは、その時々に何かを「決め」なくてはいけない。 本来揺らぎ、これからも揺らぎ続けるものを 決断するわけだから、何かを決めた瞬間、 残る「揺らぎ」は自分で引き受けなければいけない。 そこに責任が生じる。 責任を持つと、常にこれでよかったか、 問い続けていくから、その人の思考は鈍化しない。 論理なくしては成り立たない 小論文をやっている私は、 それでも「理論武装」という言葉が嫌いだ。 理論のお城で思考を止めるより、 むき身の自分の考えをさらし、 突っ込まれ、叩かれながら 考え続けることの方がずっとかっこいいと思う。 あなたの思考停止ポイントはどこだろう? 発見したら、教えてください。 |
2001-04-04-WED
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