おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson52 何のための表現か? ――結果を出す!文章の書き方(5) 戦略2 イヤなやつに、 踏みにじられたら、あなたはどうしますか? 相手が仕事先だったら? ぐっと感情を殺し、相手の信頼を得るよう努力し、 自分が望む仕事の結果を得る? (結果優先) それとも、 相手を怒らせ、たとえ孤立しても、 自分が正しいと思ったことを言う? (正論で孤立) それとも、 こだわるのをやめ、 ハイハイ…と言いたいことを言わせておき、 ラクに相手に気に入られる? (まるくなる) あなたは、しいて言えば上の3つのどれですか? 私は結果を優先し、 相手の失礼にじっと耐えた。 望む結果を得た。信頼も得た。 正しいはず……だった。 ところが、 相手や仕事への興味、 生きるエネルギーがしぼんでいく いったい、何をまちがえたんだろう? 先週に引き続き、この問題を考えてみる。 読者はこう考えた。 まず、4人の考えをお聞きください。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 感情を犠牲にしても相手の信頼を勝ち取るか? 孤立してでも、言いたいことをいうか? はたまたまるくなりきるか? 上の問い3つとも一方的なように思います。 感情を犠牲にしたら伝わらんものがあります。 言いたい事を言うことが孤立につながるなら 言い方を考えられると思います。 丸くなってなぁなぁにするのは、 コミュニケーションが破綻していると思います。 徳永 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 感情を犠牲にして相手の信頼を勝ち取るということは、 言いかえれば「我を殺す」ということですし、 孤立してでも、言いたいことをいうということは、 「我を通す」ということですね。 また、まるくなりきるということは、 「我が無い」ということです。 我を殺しまくっていたら、 押し殺していた自分が暴走し 精神的におかしくなってしまいますし、 我を通しまくっていたら、 周りに誰もいないことに気付き 孤独を感じてしまいますし、 我が無かったら、 「俺って一体何?」と落ち込んでしまいます。 粟野 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 感情を殺して伝えるものは誠実な私からはなれ そこには生命力はありません。 孤立してでも言いたいことをいうのは 自己満足でありマスターベーションであり 本来のcommunicationからはなれます。 まるくなるのは 相手を侮辱した態度で誠実さにかけます。 Sue WT −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私は広報という部署にいます。 私もズーニー先生のように、 相手に信頼されたら物事が動くと考え、 同じように接してきて同じように疲れました。 なぜ疲れるのか? それは、やはり自分の思いは閉じ込めて、 相手に合わせるという行動が、 自分を萎縮させることであるからではないでしょうか。 人間は、自分のしたいこと(この場合、伝えたいこと) をさえぎられると それはストレスになり、しいては、 感情的にマイナス方向にむかって プラスのコミュニケーションがなくなるため、 人に興味をもてなくなると思います。 また、どんな人でも、自分に対して濃さは違いますが、 「重要性」を持っているものですから、 そこを傷つけるような言い方は してはいけないのでしょうね。 それを傷つけられたら、人が横尾さんや プロデューサーのように怒るのは十分に納得できます。 社会にいると、考え方の違う人はたくさんいます。 自分に合わせて。 という方がムリなのでしょうね。 でも、自分の考えを分かってもらい、賛同してもらうには? それには、自分の思いを押さえながら相手の心を 「信頼」とか「好意」とかで自分に向けさせるというような、 表面だけの成功ではなく、 本当の内面的成功が必要になってくると思います。 T.T −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− これらの中に、充分なヒントがちりばめられている。 あなたが、ここから、自分の考えを創っていけばOKで、 何か足すのは、蛇足のような気もするが、 最後に私の考えを書こうと思う。 ●私の解答 「相手に好かれて結果を出すだけなら、 もっとラクな方法がありますよね。 山田さんは何を苦しんでがんばっているのだろう?」 編集者Jさんの質問に、私はポカンとした。 私がめざしていることは、 人が持つ、考える力・伝える力を、 生かし伸ばすサポートだ。 それに、もう15年以上も命かけてしまった。 確かに、結果を出すだけなら、もっとラクな道がある。 なのに、なぜ、自分にも人にも、 表現を工夫し続ける道を課しているのだろう? 結果って、私の望む結果って? 一瞬、自分の存在理由がクラ〜ッとゆらいだ。 「ひ、人はそれぞれ、かけがえのないものを持っている」 私は、またそれかよ…と自分に言いながら、 ようやっと、Jさんに言えた。 本当にそう思っているのだからしかたがない。 次の瞬間、この言葉が口をついて出てきた。 「……だから、自分の考えで、人と関わっていきたい」 言ったあとで、そっか!と思った。 自分の考えで、人と関わりたい。 自分の中からわきあがってくる 印象、 想い、 考え。 それを通して、 話し、 行動し、 人と関わる。 「それって、すごく自由ですよね」 Jさんは、うなずきながら、言った。 自分の想いを語れば、孤立する。 自分の考えで行動すれば、打たれる。 そのどこが自由なのか、という人がいるかもしれない。 でもそれは、自分の内面を表現した結果得たもので、 きわめて自由なことだと私は思う。 自分の意志を表現した結果、 それが素適だと言われるか、 ひん曲がっていると言われるかは、 表現してみないと実はわからないのだ。 では、人を踏みにじってもいいのか? 孤立してもいいのか? そうではない。 だからこそ、早いうちから、 自分の意志を表現して打たれ、 失敗を体の感覚にやきつけ、 表現力を磨き、 成功体験を重ね、 熟練して、 自分の意志で人と関わっていけるようにしていくのだ。 そういう自由を私は欲しい。 このコーナーでやっている思考や表現のトレーニングは そのためにある。 これは、自分や他者の意志に鈍感になることで、 人と和合していく生き方とは、 似て非なるものだ。この道に自由はない。 私は、そのときどきの、 自分の感じたこと、考えたことを、正直に、 もう1歩前に出していこうと思う。 ただし、自分の持てる想像力・創造力を尽くして。 正直という戦略。 実はこれが最も有効な戦略であること、 そのための戦術を、また別の回でお話ししたいと思う。 |
2001-07-11-WED
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