おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson54 大誤解 結果を出す!文章の書き方(7)−なんか…? あなたは誤解されやすいですか? ではもう一つ、 あなたは、今、だれかを誤解していますか? 2番目の質問には、 だれも答えられない。 でも、ほとんどの人の答えはイエスだ。 私たちは、誤解と想像で人をくるんで、 理解したり、期待したり、腹を立てたりしている。 「本当の私をわかってくれない」なんてことを言う。 でも、 意外に人は、人のことをわかっているのではないだろうか? 大きな職場で、 あんまりよく知らない人でも、 「なんかあの人はいい。一緒に仕事したい」 と、ふと、思うことがある。 そんなに目立つ人でもないので、 自分だけだろうと、人に言ってみると、 「私も、そう思ってたのよ、なんかいいわよね、あの人」 で、結局、みんなが、 その人のことを「なんかいい」と思っている時がある。 けっこう外れないのだ。こういう時の「みんなの」カンは。 実際、仕事をしてみると、 誤差はあっても、おおもとのところで 大きくは裏切られない。 なんだろう? このみんなが思う「なんかいい」って。 以前、自分のいた課に、 2人の人が異動してくることになって、 申し訳ないけど、 一人については「わ、うれしい。」 も一人については、「なんか、やだな」 課の大部分の人が、 そういう第一印象をもったことがわかった。 失礼な話だ。 まだ、一緒に仕事をした人は一人もいない。 話だってろくにした人はいないのに。 でも、みんなが「なんか、やだな」と思っている事実があって、 ただ一人、本人だけがそれに気がつかない。 どうして、本人だけが気づけないんだろう? あなたのことも、 家族や友人や同僚が、 誤解と想像を含めながら、 いろんなふうに思っている。 その理解のされ方は、人によっては、不満かもしれない。 でも、それらの共通項から見えてくる 「なんかあなた」だというもの。 それは、そんなに、はずれてないのではないか? もしかしたら、あなた以上によくわかっているのでは? と、私は思う。 今日は、論点・キーワード・根本思想の三つから 誤解されない文章のレッスンをしようと思っていた。 だが、まてよ。 この「なんか」をおさえておかないと、 テクニックが空回りするなあ、と思い直した。 仕事が舞い込むことも、 人がよってくるのも、 飲み会に誘われるかどうかも、 すでに、この「なんか」で決まることが大きい。 誤解されるのされないの、 といっても、 みんなが思う「なんか」をつかんでおかなくては、 誰から、どう誤解されるのか。 位置を定めることさえ難しい。 私が、ほぼ日を書きはじめて、 ほんの数ヶ月のころ、編集部との会議に、 当時、まだ編集経験の浅かった女子大生Aさんが 参加してくださった。 ごくふつうに読んだ感想を、 読者の立場で言ってくれたのだ。 この時のやりとりは、とても有益で、 以降の流れを変えたといってもよかった。 彼女は言ってくれたのだ。 「ズーニーさん、このへんからが難しくなりますね」 え? 難しい?? 私はもう、ハンマーで殴られたくらい衝撃を受けた。 私は、ま反対の努力をしていたのだ。 もともと私は編集者で、作家ではない。 作家や教授たちの、それはそれは、 中身の濃い、レベルの高い原稿を毎日、毎日読んでいた。 で、いざ自分で文章を書く段になると、 「わ、中身、うす〜。 内容スカスカ〜。」 と、自分の文章を自分で書いててイヤになった。 それがコンプレックスとなって、 どこかで、 知的に見られよう、 バカにされまいと、肩ひじ張っていたのだ。 よもや、自分の文章を「難しい」と思う人がいようとは!! 「軽い」と言われることばかり恐れていたが。 それに気づけてとてもよかった。 方向を誤るところだった。 教養のつまった重厚なものにしなければ、 という私のコンプレックスは、 読む方にとっては、どうでもいいことだったのだ。 最近、書いていて煮詰まったときに、 ベテランの編集者Jさんが、 うちでの小槌でポンと殻をわるようにして、 やはり、私のヘンなコンプレックスを解いてくれる。 当時、女子大生のAさんが、まっさらの目でいってくれたことと 経験を積んだベテラン編集者の アドバイスの方向が同じだ、ということが興味深い。 結局、わかってないのは私だけか……。 コミュニケーションにおいて、 人から見られる自分ではなく、 自分が目指す自分にあわせようとして 表現を練っていくと、 相手との溝をとても大きくしてしまうことがある。 最近、経営・人気があまりかんばしくない、 団体とか、出版物とか、商品とかの 担当者の話を聞く機会があった。 共通して言えることは、 彼らが、一般の人がどう思っているか、 ということに驚くほど関心がない、 知る方法をもたない、 ということだった。 それどころか、一般人に話を聞くということを 明らかにバカにしている人もいた。 では、彼らが、何をたよりにリニューアルをしようと しているか、というと、 自分たちのカンのみだ。 結果、かわりばえはしなく、 「これ、ふつうの人がふつうに見ればこうじゃん」 という平易なポイントをはずして、すべっていく。 短いスケジュール、不安の中でものをつくっていると 私たちもそういう真空状態になることがある。 そして、まわりは「なんか」わかっている。 当人たちだけがわからない。 こういうときの努力はとても苦しい。 ふつうの目で、ふつうに考えてわかることが、どんなに大切か、 また、どうしてそれが、わからなくなるのだろう。 たぶん、自分が一番わかっている、という プライドが邪魔をするからだと思う。 窮地に追いこまれたときほど、 このプライドは、固く握り締めてしまう。 これと対照的なのが、旧S銀行のCIだ。 有名な話だから、知ってる人も多いと思うが、 銀行というものは「信頼」が命。 だから、昔は一般に、信頼感を出そうとして、 固〜いイメージの売り方をしていた。 で、うまくいかないとなると、 「信頼感が足りないのだ!」 と、ますますかたーい、マークやら封筒やらにしてしまう、 なんてことがあった。 でも、それは、お客さんが求めていることなのだろうか? ということで、CIの担当者は、S銀行に抱いているイメージを 一般の人にインタビューし、ビデオにとってもらって、 何十人分も、続けて見てみた。 すると 「しっかりして固くて真面目。 裏返すと、とっつきにくくて、融通がきかない」 というイメージが見えてくる。 これが、S銀行に対してみんなが思っていた「なんか」の正体だ。 もう信頼感なんて充分だったのだ。 ならば、 敷居が低く、親しみやすいイメージにしようということで、 キャラクターを登場させたり、プレミアムをあげたり。 結果は大成功した。 さて、あなたはどうだろうか? もしあなたの友人・知人・家族が一堂に会して、 あなたのことを語しはじめたら…。 あなたは、向こうからは見えないガラスを通して、 それを見るとしたら…。 そこから見えてくるのは、どんなあなただろうか? 誤解を受ける、という構造は、 自分の内面を、 人がわかってくれないということよりも、 自分が、 人にどううつっているか 認識してないことから やってくるズレなのかなあと思う。 みんなから嫌がられているのに、 本人だけ気がつかない部長さんとか。 せっかくいいものを持って、 人も認めているのに、 それに気づけなくて、 逆にコンプレックスさえ持っている人を見ると。 この構造的な大誤解の前に、 言葉のいさかいなど、とても小さいことに思える。 私も、そこで格闘中だ。 フリーランスをしていくということは、 一回一回変わる関係性の中で、 なんとか、相手から見た自分をキャッチして、 自分のポジションを発見しなければいけない。 サラリーマンのときと まったく同じことをしても、それだけで横柄に 見られることだってある。それに気づくのが面白い。 あなたは、まわりからどんなふうに見えているか、 どうやってつかんでいますか? 何か見えていることがあったら、ぜひ、教えてください。 |
2001-07-25-WED
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