YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson62
合理化した会社で、どうして
ファシズムみたいなことが起こるんだろう?


この半年くらいの間に、
タイプのまったく違う3つの組織で、
まったく同じ光景を見た。

えらそうな上司がいて、
仕事の実績と関係ないとこで、
自分の気に入らない部下を冷遇したり、
ひどい場合は、左遷したり、
自分の気にいった人ばかり、
まわりに集めたり。

部下は、ついていってない。
それは、もう、みんなそう思っているし、
私のような外部の人間がちょっと見たってわかるほどに
明らかなのだ。

だけど、その上司が権力で押さえつけるから、
みんな、戦々恐々として、
ものが言いにくくなっている。

「え? だめじゃん、このままじゃ、
みんなどんどんやる気なくしちゃうよ。
生産性だって落ちちゃうよ」

経営に素人の私だって、
そう言いたくなるような状況。
言われた組織の人の方も、
「上司がネックで、
あそこさえ、どうにかなれば、
もっと、いろいろよくなるんだけど」と言う。

私には、なんとも信じがたかった。

私の会社人生、
とくに地方から7年前、東京に転勤してきて以降は、
仕事の成果をきちんと出しておれば、
ちゃんと評価されるし、
自由にものが言える空気があった。
少々上司と対立しても、
ちゃんと実績が出ている人を、無茶な扱いはできない。
私が、上司に恵まれたというのもある。
また、平等という点で進んだ会社であったというのもある。

でも、世の中もやっぱり、
年功序列が崩れていってて、
能力による自由な競争で、
実力のある人が勝つ、
という感じになっていってたように思う。
事実、若手や女性が、次々、抜擢されだした。

これは、世渡りみたいな不透明なことじゃなく、
結果でちゃんと評価されるということだから、
ある意味、厳しいのだけど、
私は、その方が呼吸しやすい気がした。
実力主義が進めば、
世の中もっとフラットで、
自由にものが言えるようになっていくんだろうと思った。

だから、実力以外のとこで、
気に入らない部下を上司が左遷…みたいな横暴は、
やがてなくなるんだろうと、
その時は、単純に思っていたのだ。

ところが、私のまわりに関して言えば、なくなってない。
むしろ悪くなっているような気さえする。
そう思ってるのは、あくまで私だけかもしれないんだけど。
時代が逆行しているような気がするのだ。

こんなに世の中、情報化してるのに、
なんでそんな、一人の上司の横暴さえ、
ガラス張りにできないんだろう?

圧倒的に、部下の数の方が多いのに、
その上司一人、
どうして、みんなで、
言ってきかせることができないんだろう?

それに、その上司の、そのまた上の人は、
なんでそんな状況を許してるんだろう?

将来、私が、仲間を見つけて、ささやかな組織をもつにしろ、
このままフリーランスでやっていくにしろ、
組織がいきいき呼吸していたほうがいいし、
何より、自分が、そんな上司みたいになって、
みんなに煙たがられても、
気がつかなくなっていったら、あまりにも悲しすぎる。

そこで、私は、
いっそくとびに、有識者に頼るとか、
文献にあたるとかせずに、
自分の頭で、愚直に考えてみようと思った。

三つの組織はまったくタイプが違う。

一つ目は、地方にある組織。
こんな言い方して悪いんだけど、どうも、
ひと時代まえの感じがした。
年功序列はしっかりと生きているし、
学閥とか、階級、男尊女卑とかもまだある。
自由競争にさらされないで、
新陳代謝が遅くなっているように思う。
何かが留まって、固まっている。
これは、独裁みたいになる原因がわかりやすい。

二つ目は、逆に、
時代の最先端をいっているようなところで、
才能ある一人のトップが率いる小さな会社。
トップは、とても輝いていた。
自由だし、部下を押さえつけるような人ではない。
逆に、まわりを解放するようなパワーにあふれている。
だからこんな、才能も新しい考えももった
トップがいる会社で
なぜそんな、ひと時代まえのようなことが起こるのか?
はじめは、わからなかった。

私は、部長さんのスタンスに疑問を感じた。
トップの考えを、部下に忠実に行わせようとしていたのだ。

トップの人は、本当に素適だ。私もそう思う。
だから、部長さんは、
心からトップを尊敬している。

ここまでは、いいことだと思う。

だから、部長さんは、
トップの考えを、より多くの人にひろめたいと思う。
小さな自分の考えよりも、
優れたトップの考えを広めていくことこそ、
自分の役割だと。
そこで、社員にも、自分の考え、ではなく、
トップの考えを浸透させようとする。

ここまでも、何も悪くない、むしろ謙虚ささえ感じる。

そこで、部長さんは、
部下を動かそうとする。部下をたばねようとする。
自分の考えではなくて、そのトップの考えで……。

ん? ここがおかしい。

実際部下が、部長さんについてこない。
ついてこないから、しめ付ける。
しめ付けると反抗するから、
左遷みたいな権力でねじ伏せる。悪循環。

どんなに優れた考えでも、
考えた本人以外の人が、
その考えにのっとって、人を動かそうとするとき、
どうも、おかしなことになるんだな、と思った。

考えた本人が、直接、人に語れば、
それは、人を動かす力になるだろう。

だけど、本人以外の人では、受け売りだ。
ただでさえ説得力がない。
ましてや、受け売りで、
人が自分についてくるか、人を動かす力になるか
といったら、それは、無理だ。

これは、私も反省した。
これからどんな優れた人に会い、
どんなすごい方法を聞いたとしても、
それで人を動かせると思ったら大間違いだ。
人の心を動かす、というのは、そんな単純なことではない。

さて、3つ目。
これが、私がいちばん驚いたことだ。
合理化、効率化がもっとも進んだ企業。
年功序列、男女差別など、とうに廃止し、
実力による自由な競争が行われ、
結果重視が行き渡っている。
ITも進んでいて、情報の風通しもいい。
こんな、進んだ企業なのに、なぜ?

もちろん、一部の上司なのだが、
部下を力でしめつける。
実績に関係なく、
自分に反抗するものは冷遇する。
というようなことが、許されている。

まだ、年功序列が残る古いタイプの組織と、
実力競争の最先端にあるような企業、
つまり、両極にあるような組織で、
なんで、同じ独断が許されているんだろう?
唯一違うのは、古い組織の上司は年配の人、
先端企業の方は若手、ということぐらいだろう。
やってることは同じだ。

おかしいなあ、能力競争が進むと、
実力で判断されるんじゃなかったのか?
肩書きや、性別、社歴に関係なく、
実力さえあれば、自由にものが言いあえる組織に
なっていくんじゃなかったのか?
なんで、時代が逆行するのだろう?
なんで、息苦しく、ものが言いにくくなっていくんだろう?
なんで上司の顔色をうかがわないといけないんだろう?
企業の独裁者ってだれだろう?

なぜ、なぜ、なぜ?
と考えて、私は、あることを思った。

この続きは、また先の回で考えてみたい。  (つづく)

2001-09-19-WED

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