YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson64 何のために書くか?
        結果を出す!文章の書き方−望む結果


状況の中で機能する文章を書くには、
あらかじめ結果をイメージすることが必要だ。 
私自身、結果を意識しながら書くようになったのは、
ある些細なきっかけからだった。

受験シーズンが近づいたある日、
私は、受験生から入試小論文について質問を受けた。
毎年、この時期になると、
不安を抱えた受験生から質問がくる。
その質問は、

「原稿用紙のつかい方で、どうしても調節がつかず、
 時間もなくなったとき、行の一番下のマスが
 カギカッコのはじめの方だけになってもよいのか、
 それとも、そのマスに、
 カギカッコのはじめの方と文字を
 一緒に入れた方がいいのか。
 減点の対象にはなるのか?」というものだ。

私たちは、できるだけそういう
マス目のつかい方にならないよう、
前の表現を詰めたり、
読点を打ったりして調節するよう指導している。
だが、どうしてもそうなった場合、
最終行の最終マスでなく、総字数に影響なければ、
どちらの方法でも、減点はなかろうと思った。

だが、受験直前ということで、
私は、慎重になった。
その子が志望する大学の
入試課へ問い合わせてみたところ、
「そういう質問には答えられない」とのことだった。
他にも、小論文関係者に聞いてみた。
その結果、たぶん、
どっちを使っても減点にはならないだろう。
だが、100%その年のその大学で
減点はないとは言い切れない、という結論だった。

100%と言い切ってあげたいが、
何かあったとき、
その子にも迷惑がかかるし、
企業としての信頼にもかかわる、
というのが表向きの理屈。
内心、断言するのが怖かった。
受験のこととなると、やはりピリピリする。
さて、その子への回答を書く。私は、
編集部の考え、
大学入試課に問い合わせた結果、
有識者の見方を併記し、そ
の上で、「100%とは言い切れない」と、
レポート風に書こうとしていた。
「これだけ丁寧に調べたからね」と
アピールしたかったのかもしれない。

その時の私は、ひとつ、肝心なことを忘れていた。

そこへちょうど、執筆者から電話があった。
懇意にしていた先生なので、
私はこの件について相談した。
先生が切り出した次の言葉に、私は、はっとした。

 「その子が欲しいのは、安心だと思いますよ。」

そうか……、ああ、ああ! 

そうだった。
私は、重大な見落としに気づいた。
「何のために書くのか?」
が抜けていたのだ。

何のために? 
私がどれだけ苦労したかアピールするため? 
あったことを、あった順番で、
あったまま正確に書くため?
企業の責任を回避するため? 
どれも違う。

その文章、何のために書くのか?

文字の一字くらいなら、
だいたい読点で調節できる。
その子はどうして、
そんな起こりにくいケースを
わざわざ聞いてきたのだろう。
初めての受験で不安なのだ。
どんな小さな疑問でも答えが不明なら、
不安材料になる。
だから質問して、
不安をすっきり解消したかったに違いない。

そこへ回答が、「100%とは言い切れない」と、
煮え切らないものだったらどうだろう。
その子は一抹の不安を抱えたまま、
受験することになる。
だが、この件は入試全体からみれば、
ほんの取るに足りないことなのだ。

なのに、長い詳しいレポートが届いたら、
「そんな大事なことだったのか」と驚くだろう。
親切と思って丁寧に書くことが、
逆に相手を威圧する。

安心を与える。

私の文章が目指すのはそこだ。
それなくしては、意味がない。
いちばん大事なものがはっきりすると、
何を書くか、どう書くかが自ずと見えてくる。
杓子定規な説明ではなく、
いかに不安を払拭するかだ。

まず、結論をはっきり示してあげること。
あれだけ調べても、
減点の対象となる事実は見えてこなかったのだ。
それが合否に影響することは、
まず、考えられない。

不思議なことに、相手に安心を与えようとしたら、
自分まで、落ち着いた。

そして、その根拠となる、安心材料を提供すること。
入試課が質問に答えないということは、
当日の受験生は、
その件についてわからないという点で、
みんな平等だ。 

また、この問題自体の扱いを軽くすること。
入試全体から見て些細なことは、
些細なことだと
わかるように扱わなければいけない。

だから、この件に関しては、
文書でなく電話で回答することにした。
相手が、不明な点をすぐ聞き返して、
不安をその場で全部つぶすことができるからだ。

私は明るい声で、
「どっちの書き方でも合否に
 影響ないから大丈夫! 安心して」
と切り出した。
結果、その生徒は、
「よくわかりました。これで安心して受験できます!」
と、とても明るい声で言ってくれた。

「安心」。これこそ、私が聞きたかった言葉だ!
やったーーーーーー!!! 

ただの質問回答が、なんでこんなにうれしいんだろう?
 「何のために?」を明確に意識したからだ。
そのために内容、表現を工夫し、
いらないものはごっそり捨てた。

そして、期待したとおりの言葉が返ってきた!
単なる回答ではなく、
相手に「安心」という価値を提供できたのだ。

あなたが、今日、書く文書、ちょっとした連絡や、回答。
何のために書くのだろうか? 

相手にどんな価値を提供したい?
 安心? 笑い? 意欲? 
「何のために?」を意識して書いてみよう。
それだけで書くことは、ぐっとクリエイティブになるはずだ。




●おまけ−ワンポイントアドバイス●

読んだ人に、どう言ってほしいか?

自分が書いたもので、
読み手にどういう価値を提供したいのか、
どんな結果を望むのかが、
明確にイメージできればよいのだが、慣れないと難しい。
そこで、こんないい方法がある。

自分が書いた文章を読み終えたとき、
読み手に、どう言ってもらいたいか、
その言葉で結果をイメージするのだ。
これなら、結果を具体的に描きやすい。
これは、私が企業にいたとき習い、
出版物をつくるときに効果をあげていた方法だ。

例えば、後輩に仕事のやり方を書くとき、
読んだ後輩にどう言ってほしいか?
次の、どの言葉を望むかで、書き方も変わってくる。

<読んだ人から聞きたい言葉>

「とてもわかりやすかった!」
「大変、責任の重い仕事だな、と気が引き締まりました。」
「面白そう! この仕事やるのが楽しみになりした。」
「それぞれの工程で、やることに意味があるんだな、
 と思いました。納得して取り組めます。」

このような反応をイメージして書き始めるだけで、
仕事の指示書は、
コミュニケーション性を強く帯びてくる。
いく通りもの価値が考えられ、
書き手のオリジナリティが生かせるというわけだ。

さて、こうして毎回、
「何のために?」と考えて、
文章を書こうすると、
自分の仕事観や世界観が問われていることに
気づいてくるはずだ。

仕事のちょっとした文章も、
根底のところで、
自分は何のために仕事をしているのかが、関わってくる。

それは、自分の「志」とも言える。
ここで述べてきたことは、小さくてもいい、
志のあるものを書こうということでもある。

2001-10-03-WED

YAMADA
戻る