ふしぎな都市論完結編
−−おとなの小論文教室放課後
こんにちは、ズーニーです。
先々週、ここではじまった都市についての雑談が、
妙にツボにはまった人もいて、
とうとう今日で3回目になりました。
最近、私は
「フクザツを、複雑なままに考える」
ことを目指しています。
私はどうも、問題を単純化してしまいがちなので。
ひょんなことから始まった、この都市論は、
複雑的思考のトレーニングにも、とても良いようです。
人と都市という複雑な問題を、
フクザツなまま、これから考えていけるように、
この都市論の火付け役、Fさんに、
案内役をお願いしました。
Fさんは、複雑系に関する本も書いている
人工知能の研究者です。
ここから、Fさんの都市についての講義が
はじまります。
↓
人間と都市
どうも、こんにちは。Fです。
人間と都市は、
似通ったところが沢山あるように思えます。
『都市』とは一体なんなのか?
を考えることによって我々自身のありようが
見えてくるかもしれません。
まずは都市の
起源について考えてみましょう。
今、我々は
東京やニューヨークといった
摩天楼の立ち並ぶ巨大都市を作り上げました。
何がそれを可能としたのでしょうか?
●人の「必要」が都市になる
遊牧民や狩猟民といった人々は
定住もせず大きな集落をつくる必要もありません。
都市を必要とするのは必ずしもすべての人類ではなく、
一部の人々の習性であると認識した方がいいでしょう。
都市は、人間が集団を成して生活している
地域的な区切りです。
川が流れている、肥沃な平地がある・・・
などといった地理的な要因で人々は集い、
互いに協力して
環境をさらに人間にとってすごしやすいものに改変しながら
集落を広げていきました。
まず鉄の農具が作れるようになって(技術的進歩)、
定住できるようになったとします。
これによりいままで
遊牧生活をしていた人々のライフスタイルは
大きく変化することになります。
みなで集まって畑を耕した方が効率が良いので
自然と人々が集まり集落を成します。
今度は集落の財産を守るために(経済的理由)、
首長を中心にすえた社会ができて
村のルールが決められるなど、
住人自身の考え方や文化が変化していきます。
昔にはなかった新しい常識みたいのが
ワラワラと出てくるわけです。
他の部族と戦うために(政治的理由)、
集落の形も、周りに高い塀をめぐらしたり、
真中に神殿を置いたりと、
人々の社会システムにあわせて形を変えていきます。
人々がある程度安定した生活ができるようになってくると、
今度は経済システムが発生してきます。
これも人々が
「なんか物々交換より、
お金みたいなものがあった方がいいよねー」
と、考えて自然発生してきたシステムです。
今度はお金をたくさん儲けるにはどうしたらいいか?
という問題がクローズアップされてきます。
今までは畑には不向きだったから
見向きもされなかったような土地が
交易上の利便性から
大きな都市に生まれ変わるかもしれません。
人々の意識も畑を守ることよりも、
お金をいかに儲けるかにシフトしていきます。
我々自身のつくりだしたシステムが
常に我々自身に、変化することを要求しています。
我々の今必要としているものを
具現化したものの一つが都市であり、
都市自体もそれを構成している我々自身に
新たな変化を要求しつづけています。
●都市は人にどんな変化を求めるのか?
人間は望んだものを次々と具現化し、
ついには巨大都市をつくるまでになりました。
でも、その結果が
人間にどのような変化をもたらすのか?
予測は困難です。
いろいろな見方もあるし考え方もあるのですが、
今回は「密集」を切り口にひとつ考えてみました。
都市が人にもたらす変化を考える切り口は、
この他にも沢山あるので、みなさんも考えてみてください。
都市ではアリの巣のように人々が集まり
様々な活動を行うわけですが、
アリさんを収容する住まいがどうしても必要になってきます。
我々はその解決策の一つとして
高速な移動手段の開発や
高層化
といった手段を開発しましたが、
それだけでは本質的な解決になりません。
結局我々は、
「一人あたりの占有スペースを削る」
という方法に頼っているところが随分とあるようです。
すなわち、街は人や車がいっぱいいていつも混雑していて、
部屋といえば1ルーム・・・。
結果として一日に出会う人の数も(本人次第ですけど)、
田舎に比べれば格段に多いはずです。
さまざまな物や文化に触れる機会も多いはずです。
よくアイデンティティーとか個性とか言いますが、
多くの人にとってこれは重要な問題です。
いかに自分が他者と異なるかを認識できないと、
ちょっと憂鬱になったりします。
普通、ファッションや行動で
何か自分らしさを表現したりしているものなのですが、
出会うものが多ければ多いほど、
その中で自分を際立たせるのは難しくなってきます。
ちょっと前に「多様化」なんてキーワードが流行りましたが、
これはまさにこういった人々の欲求に応えて
自然に出てきたものなのだと思います。
例えば洋服メーカーの方も
同じ規格品ばかり作っていても売れないので、
さまざまなバリエーションをつくって工夫をしてきています。
いってみれば、近代的な都市という環境が
我々に多様化を求めたとでもいえるかもしれません。
話は変わりますが、
古代の生物界で「カンブリア大爆発」
と呼ばれる時期があります。
今現在よりもっともっと、沢山のユニークに
生物種が試された時期があったのです。
極めて多様性に富んだ時代とでも言えるでしょう。
しかし、結局のところそのほとんどは淘汰され、
今のような生物相におちつきました。
さて、我々の多様化の果てにあるのは・・・?
都市と人間は似ている?
人間の脳は、
60億個の脳細胞が、複雑につながりあい
電気パルスのやりとりをしています。
都市というものも、多くの人間が
複雑にコミュニケーションしあいながら存在している
という面で似ているといえます。
以前、都市には潜在意識があるんじゃないか?
という話をしましたが、
それはこの対比が基になっています。
我々自身で知覚し管理できる意外の、膨大な情報が、
脳のどこかに蓄積されており、
認識はできなくても我々の行動に
大きな影響力を持っています。
都市にも、表からよく見えなくても
その存在や行く末に影響力を持つ「何か」が
あるような気がしてなりません。
大きな都市というのは、
様々な人種があつまり、様々な文化が根付いて、
善悪入り乱れたさまざまな世界が展開されています。
都市は人間同士のつながりあいですから、
どこか地下深くで行われている怪しい儀式と
自分の日常生活が
まったくつながりを持っていないとは言い切れません。
ましてや、新しいカルチャーやファッションなんてものは
そんなところから突然湧いてくることも多いようですし・・・。
これって都市の想像力とでも言えるかもしれませんね。
新しい技術と都市
都市は人間同士のつながりあい、と僕は言いました。
では、
例えばインターネットやケータイデンワなんていう技術革新は
都市のありかたにどんな影響を与えるのでしょうか?
我々は経済活動や娯楽を求めて都市に集合していますが、
ネットワークの進歩、
それによる人間同士のつながりあいは、
物理的な距離を無視してしまいます。
SOHOなんて言葉もありますが、
別に会社に行かなくても仕事ができるようになってきています。
バーチャルリアリティがもっと進歩すれば、
自分の部屋でクラブに行った気分を味わえるかもしれません。
現在のような摩天楼はもう過去の遺物になってしまうのでしょうか?
だとしたら、新しい都市の形とはどんなものなのでしょうか?
それとも、我々はあのゴミゴミした街を
いつまでも必要としつづけるのでしょうか・・・。
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