Lesson68 コンクールで選ばれる文章を書く
今年、勉強になった仕事のひとつに、
コンクールの審査サポートがある。
さまざまな主宰者が、
さまざまなねらいで文章コンクールを開く。
主宰者側に、
力のある人を選びたいという気持ちや資本があっても、
文章をどういう観点から、
どう評価していいかは曖昧という場合もある。
そこで、
主催者の意図を反映した
審査基準を提案し、
一次選抜をし、講評を書き、
最終選考をサポートするまでが私の仕事だった。
一気に、いまの若い人の文章を大量に読んで、
結果は歴然としていた。
悩むまでもなく、
選ばれる文章とそうでないものの差は
歴然としていたのだ。
誤解を恐れずにいうと、
10人の若者がいたら、
9人の、考えない文章と、
1人の、自分の頭を動かしてものを考えている文章とに
はっきり分かれた。
美人コンテストのような容姿の差なら、
あまり気にならなかったかも知れない。
でも、文章に表れ出る、
その人の総合的な能力や資質が
読む側に歴然な差として映るのは、
私にとっても厳しい現実だった。
選ばれない文章は、
知的な生産がない。
なぜ?ないのか、いくつかタイプがある。
若い人に典型なのは、
気分が次々移るだけという文章。
あるテーマにアプローチするのに、
最近の出来事、自分の経験、調べたことなど
次々、話題をあげているが、
意味を持ってつながって行かない。
ひとつの話題について書いていて、
自分が考えを書く段になると、
サッ、と次へ話題を移してしまう。
しかも、「気分」だ。
だから、深まっていかない
そうやって、文章のラストまで来て、
自分で、自分は何が言いたかったんだろう?
とポカンとしている。
知的な持久力がないのだろうか。
次に目立ったのは、
暗記型の学習法を、そのまま持ち込んだような文章。
書くために知識や情報を求め、
他に正解を求める。
だが、知識の切り売りに終わって、
自分の意見がない。
書くことは「お勉強」なのだろうか。
そして、読んでいて最もつらかったのが、
何か「開け」がない文章。
情報が薄いのか、自ら求めないのか、
自分と自分のまわりの世間常識という
とても狭い視野の中に生きている。
ふつうのことをふつうに見てふつうに書く。
だから、ちょっとした求心力のあるものになびきやすく、
だれかの言ったひと言に、
まるで人生変わったかのような反応をする。
だが、それは読み手にとって、もう新鮮なものではない。
何かの情報操作が行われたら、彼らは、
いとも簡単に操作されてしまうような気がする。
疑う?いうことがないのだろうか。
考えないとは、白紙の状態ではないんだ。
ということを改めて思う。
考えないで長文を書かなければならないとき、
どっかから何かの情報を持ってきて、
マス目の空白を埋めるように、
多くの人は、考えないという日常に、
無防備には耐えられない。
だから、何かで埋めようとする。
次々と気分を変える目新しい情報、
受け売り。
悪気なく人のアイデアをつかったり、
刷り込みにもなびきやすく、
いちど方向性を持ったら柔軟性がない。
自分の頭で考えない人が
多数派を占める世の中になったら、
ちょっと暗いなあ、と読んでいて思った。
だが、10件に1件の割で、
これだ!という文章に会う。
そこに希望がある。
その1件で体の疲れが飛ぶ。
この差は何なのだろう?
自分の頭を動かして、
独自の新しい価値を生んでいるかどうか、
が分かれ目になっているように思う。
論文の場合は、ある概念や、テーマに対して、
自分の定義を打ち出しているし、
エッセイなどは独特の世界を生み出している。
何か生むまで考える、
生むまで書く、というのが、案外正攻法なのかもしれない。
選ばれる文章は、
移り気でなく、論理の息が長いのだ。
思考の粘りと言ってもいい。
生むためには「問い」がある。
文章を貫く、大きな切実な問いがある。
そして、その大きな問いにアプローチするための、
小さないくつかの問いが、
意味を持ってつながっている。
直線的に、深く深く掘っていって、
ある考えに到達する人もいれば、
一見、話題が散ったかのような鮮やかな展開を見せながら、
実は、問いが周到に、
ネットワークのように組まれている人もいる。
この問いの立て方と、
組み方が、
その人の、ものの考え方だ。
審査基準にはいろいろあるが、
次の二つは、これから重視されると思う。
すなわち「自ら考える力」と、
考えて生んだ「意見」の質そのものだ。
文中に有効な問いは見られるか?
問いは体系的・論理的につながっているか?
自分の頭で考えて、何か新しい価値を打ち出せているか?
意見、つまり自分が一番言いたいことは、
自分だけのオリジナルか?
現代の人や社会に対して意義があるか?
みたいなところで、
まず、チェックしてみるといい。
9割の知的生産のない文章と、
1割の自分の頭で生み出す文章、
あなたは、どちらだろうか?
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