Lesson84 批判にメールは向いているのだろうか?
―批判・反論の条件(3)
メールの言葉って、
なんであんなにグサッ! とくるんだろう。
体温も、声も、表情もない、
ただ文字だけがある。
それが、なんとも言えず、直接的に
身体にこたえる。
「そういうダメージを相手に与えたら、
信頼関係は、もう、終わるな。」
フリーランスという、弱い立場で、
仕事をはじめたころ、
そう直感した。
企業の規模や、立場に関係なく、
心がとても弱い人が多いと思う。
最終的には、批判も言い合え、
なおかつ信頼が切れない関係をつくっていくのが理想だ。
でも、まだ、そこまでいっていないことが多い。
新しい人と、いちから関係をつくっていっている最中だ。
以来、1年半くらい私は、
メールを批判に使っていない。
いや、できなくて、結果的にこうなっている
と言ったほうがいいかもしれない。
これでよいとは思ってないし、
今後どうなるかはわからない。
批判のメールを送りかけたことはある。
だが、待てよ…、
これを受け取った相手は自分をどう思うか?
これで、自分の望む結果が得られるか?
ギリギリのところで踏みとどまって、
保存ボックスに一晩寝かせる。
翌朝、読み返して、
やっぱりこれじゃ、望む信頼関係も、
いい成果につなげることもできない、
相手にいやな思いをさせて終わるだけかも?
と思って削除することが、
何度か続き、
結局、私は、
メールという道具の限界を感じた。
批判や、話が込み入ってくると、
もうメールは使わない。
だから、批判するときは、
実際に会ってちゃんと話すようにしている。
その労力だけは、惜しまないようにしている。
相手の表情を見、声に耳をすませ、
反応を見ながら少しずつ話していくと、
「なーんだ、そうでしたか、
お互い、コミュニケーション不足でしたね。」
と、うまくいくことが多い。
それ以前に、相手と顔を会わせた瞬簡に、
メールだけのやりとりで、
互いに、少しづつズレてしまっていた何かが、
正位置に戻るような感じさえある。
でも、どうしても会うことができない場合、
せめて、声が聞けて、
相手もすぐリアクションができる電話にする。
文字として残らない点はメールよりはいいように思うが、
表情が見えないから、難しい。
やっぱり会って話すことにはかなわない。
それでも、どうしても、
メールでやりとりしなければならないとき、
自分のスタンスそのものを変えることをまず、考えてみる。
「批判」を「提案」に変えられないか?
あるいは、「批判」の前に、「質問」をしてみないか?
正当な批判がやりとりされることは必要だが、
メールで、それをやりきれるか?
相手の感情的な抵抗や、
それが回復する時間などを考えていると、
なかなか、望む状況が切り開けないことが多い。
では、どうなっていれば納得するのか、
自分で考え、
具体的な提案、またはお願いとしてあげた方が、
早く、確実に状況を変えることが多い。
また「批判」、というのは、
自分が語り、相手に押しつける感じになりやすい。
この点では、「提案」も似ている。
でも「質問」は、
相手に考えさせ、
相手に語らせる。
相手の方に語らせる回路に入っていくと、
その過程で、
相手は、自分の問題点に自分で気づくことがある。
大切なのは、
いい「問い」を発見すること。
こちらが伝えたいようなことを、
相手が自分で気づくような、問いを投げかけることだ。
あるいは、批判すべきかどうか、
自分に不足している情報を引き出せるような問いだ。
核心をつく「問い」は最大の武器である。
少なくとも、メールでのアプローチには、
批判より、問いの方がむいていそうな気がする。
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円
内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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