YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

たったひとつ、
自分の腹にある本当のことばを言うために、
いったい、いくつの、
不本意な言葉を、
言わなければならないのだろう。

自分の腹をぐるぐるしているもの、
それが何か、
まだ自分でもわからない。

わからないまま、
言ってみる。

言いたいことと、ちがうから、
誤解されて、
誤解されて、
必死で言い返して、
ますます、自分の想いと言葉が離れて、
相手との距離も遠くなっていく。

そのうち言葉を失って、
追いつめられて、
追いつめられて、
うんうんうなって、

やっと、ひと言、
本当のことばが出てくる。


Lesson88  信頼の条件

信頼しあっている人といったら、
あなたは、だれが浮かびますか?

先週ここで問いかけたら、
いろいろな体験をよせてくださった。ありがとう。

最初に飛び込んだのは、こんなメールだ。



短い付き合いでも長くても、
仲のいい関係ができると、
みんなそれを崩さないように守りに入るじゃない。
それをやらないってゆうのが、
信頼関係をつくる条件だと俺は思うなあ。

(もっちー)



タイムリーというか、私も同じことを考えていた。

ここのところ、広告の仕事をさせてもらっていた。
編集者時代から、ずっと信頼関係のある
アートディレクターさんと、
久々の仕事だ。

しかし、2人は、
久々の遠慮もなく、
大激論となった。

私の、腹の中に、
なんとも、しゃくぜんとしないものが
あったのだ。
それが、何なのか、自分でさえわからない。

いつもの私だったら、
そういう、釈然としないものは、
自分ひとりで引き受けて、
口をつぐんでやるはずだ。

ましてや、仕事の依頼主と
ケンカをしたりはしない。
長く仕事をやっておれば、
依頼主との信頼関係がいかに大切かわかる。
そのくらい、きちんとわきまえ
大人のコミュニケーションをしてきた。

ところが、その日だけは、どうも勝手が違うのだ。
時に、声をあらげたりしている。

いったい、どうしちゃったんだ、私は?
寝不足で感情的になってんのか?
それとも、自分に才能がないから、
やけになってんのか?

どっかで自分を冷静に観る自分がいて、
「おいおい、旧知の間柄とはいえ
相手は依頼主だぞ、
ここは、いったん引き下がって」
とブレーキをかける。
でも、その日の私は、
どうにも引き下がろうとしない。

相手は、実に率直に、
思ったことを、ズバッ、ズバッ、と言ってくる。
私の書いたコピーを出して、
「こういうことじゃないでしょ」。
私も、言い返す。
でも、私は、どっかで大人になろう、
もっともらしい意見を言おう、
と計算を働かすから、
自分の想いと、言葉が遠くなっていく。

だから相手はよけい誤解する。
「そこを何とかするのがクリエイターでしょう。」
とプロ意識をぶつけてくる。

「私は、クリエイターじゃない」と言い返す。
「じゃあ、アーティストなのか? 山田さんが、
言いたいことをこの広告で言おうっていうのか?」
「アーティストでもない!」
そういって、自分でも、
じゃ、私は何なんだ? と思って、

「私は、メッセンジャーだ。
クライアントが言いたいメッセージを、
背中にしょって、
だれにもわかりやすく、心に届く形にして届けるのが仕事だ。」
と言って、自分で、
ああ、そうなのか、と気づく。

そんなふうに、相手から反撃され、「ちがう!」
という感情的な抵抗が、
自分でも言葉にできなかった本音をあぶりだしていく。

そういうバトルを続けるうちに、
優等生ぶった言葉も、
依頼主との信頼関係を確保したいという損得勘定も、
いつしかどこかへ飛んでいた。

なんと思われてもいいや、
仕事を失ったっていいや、
自分にうそはつけない、
と腹をくくった瞬間、
この言葉が口を突いて出た。

「じゃあ、あなた自身は、どうなんですか?
この広告を見て、アクションを起こしますか?」

相手の表情が変わった。

私が、言いたかったのはこれだと思った。
しかも、相手にじゃなく、自分に言いたかったのだ。

自分自身はどうなのか?

つまり、この広告で、商品を買おうと思うのか?
「これなら、私でも買いたくなるよ、買うよ」
という実感をはずして、
ものづくりをする、ということが
私にはどうしてもできない。
自分の心にさえ響かないもので、
その先にあるたくさんの人の心を
動かすなんて、
人はともかく、私には無理なのだ。

言われたとうりの路線でやってみたが、
今、自分の力の限界として、
その路線では、出口を見つけられそうにない。
無意識のうちに自分にはそれがわかっていた。
でも、それに気づかないようにしていたのだろう。
気がついたら、
案を、根こそぎ変えなくてはならない。
それは血が出るようなスケジュールだった。

相手も、プロとして、クライアントの要求どおりのものを
高いクオリティで実現することが、
この期間での使命と決め、本当にベストを尽くされていた。

でも、だからこそ、
自分の気持ちに、うそがある。
私は、それが、釈然としなかったのだ。

「いやだー、そこからちゃんと考えようよ」

それを繰り返すしかなかった。
それが本当だから、しかたがない。
さんざん議論の末出たのが、
こんな、こどものような
とても相手を説得するとは思えない叫びだった。

しかし、その、こどものような言葉に、
相手の心が動いたのだ。
動いたのが、手にとるようにわかった。

その路線ではない。
なら、どうすればいい?

それがわからないから、苦しんでいる。
とにかく時間はない、
こうして話している時間さえ本当は惜しい。
ああ、私には力がない。もっと力があれば!
追いつめられて、さらに言い合っているうち、

ポン、と口からアイデアがでた。
即座に相手とやりとりしながら、
激しくペンを走らせ、
紙に、言葉を書き付けていく。

その紙を相手に差し出して、
「これならどうですか?
目にとまりますか? 心が動きますか?」

相手は、
「これなら、自分でも見ますね、読んじゃいますよ。
あ! そうだ、こうしたら?」

相手は、さっとその紙を奪って、
ぱっと、書き加える。
アートディレクター独特の視覚的センスで、
アイデアを発展させる。

「いい! これ、やりたいですね。
やりましょう!!」

結局、クライアントの要求どうりの案と、
要求されていないけれど、別に2案を、
提案として付けることに決まった。

別れ際、駅の改札で、
相手が、ぱっと手を差し出して、
握りかえしたら、思わず、
「やったー! がんばろーー!!!」
アメリカ人のように抱きついてエールを送っていた。

後日、そのアイデアは、
プレゼンを一発で通った。
要求どおりのものより、
広告として伝わる強さがまったく違うと評価されたそうだ。

自分にうそをついちゃだめだ、
それを相手にぶつけてみなくちゃだめだ、
改めて、そう思った。

考えたら、そのアートディレクターさんとは、
何度もそうやって、
ぶつかりながらものを創ってきた。

不思議なことに、
信頼関係も、これで終わりか、
それならそれでいい、と覚悟して、
とことんぶつかりあった相手とは、
信頼が切れていない。
むしろ、深まっている。
なぜだろうか?

読者のもっちーさんのメールには、さらにこんな言葉がある。



よく、「信頼してたのに」とか、
「信頼関係を崩したくないから」とか言う人がいる。

どっちも一方的に思ってるだけで相手はそこにはない。
二人の間で生まれるのが信頼なのに、
両方とも相手のことは考えないで、
自分で作った信頼につぶされる。



相手は、自分の本心をうけとめきれないだろう、
と思ってひっこめてしまう。
それは、思いやりとも言える。
でも、それこそが、
相手に対する不信ではなかろうか?

心が通じた後、
たいてい、誤解していたのは自分だったと、
気づかされる。
思うより、相手はずっとしなやかで強い。
そりゃあ、そうだわ。たーくさんの人の中で、
私が見込んで、ぶつかれた相手だもの。

信頼関係という利害を手放しても、
相手にうそをつきたくない、と思う。
自分を偽らず生きようと、思う。

逆説的だけど、
そこまで、真剣になれる瞬間、
なれる相手が、
信頼関係だと言えないだろうか?

最後にもう1通、
Chikakoさんのメールをあげておこう。
次週もひきつづき、信頼について考えてみたい。



どうして信頼しあうことができたのか?
「お互いが本音でぶつかったから」だと思います。
本音でぶつからないと信頼しあえる関係にならないのか?
「YES」と答えてしまいます。

「はあ? 何言ってんの?」

耳をうたがうことを相手に言われて、
その素直な「はあ?」を
口にするか、しないか?
口にできる相手か、否か?

ぶつかりあって、その先に見えるものが
「信頼」であれば、信頼できる人。
「この人に言っても理解してもらえない」と
思った時点で、掛け橋はかからない。

信頼の掛け橋は徐々に徐々に作り上げ
少し壊れ、また積み上げ、言動で確認し、
育て、育むものだと思う。
「あれ?やっぱり違うかも?」とか思いつつ
それでもその疑問を、
さらけ出すことによって解決していく。

そして確固たる「信頼」の掛け橋が
かかった時、またその橋を強くしていくための
「さらけ出し」が始まる。
相手を認めて、理解しようと努力し、
そして自分の思いをさらけ出す。

そんなに誰彼にできることでは
ないです。今のところ。私には。

(Chikako Kaitani)







『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-03-20-WED

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