YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

不足に咲く花

何かやるときの立場として、
あなたなら、3つのどれを選ぶだろう?

組織の一員としてやる。(会社員など)
組織に属さず、持たず、独りでやる。(フリーランスなど)
自分の組織を率いてやる。(オーナーなど)

この3つはきっとどれも面白い。
あれこれ比較はできても、たぶん
私には、優劣はつけられない。

そんなことよりもむしろ、
立場が変わることそのものに興味がある。
私は、できれば一生のうちに、
3つを全部、経験してみたい。
もちろん流れの中で、自分の準備に応じてだけれど。

立場が変われば、
生活構造がガラリと変わる。
今までのやり方、能力、環境ではやっていけない。
そこに、決定的な不足が生じる。

それが面白い。

求めるものが欠けている環境こそ、
人の潜在力を生かす、
というようなことを、
いま実感しかけているからだ。

私は、会社を辞めて2年たった。

自分で決めたこととはいえ、
高校生の考える力・表現力をサポートする仕事は、
私のすべてと言ってもいいくらいだったから、
喪失感は大きく、立ち直るのに2年かかった。

2年かかったということは、本当にラッキー!と思う。

1週間やそこらで立ち直れる痛みだったなら、
自分が13年やってきたことも、
それっぽっちか、って感じだ。
それだけ喪失感が大きいものに、
出逢えたことはラッキーだ。

独りプロジェクトの2年は、
まさに「不足」の連続だった。

企業にいたころは、今から思えば
陽射し、水、養分に恵まれた環境にいたようで、
次々にかざされる高い目標、
豊富な資金、人材、情報。
降り注ぐように多くを与えられ、
多くを吸収して、多くを生産した。

それに比べたら、
独りになった今の環境は、砂漠に近い。

長く組織にいて、離れたばかりの人に会うと、
一様に不安を訴える。
働いていないと自分を肯定できない。
人に会わない生活が寂しい。
このまま社会から取り残されるのではないか。

私も2年間に、何度このデカイのが襲ってきたか。

そういう状況から脱出することばかりを考えていた。
でも、なかなか出口が見つからなかった。

ただ、2年して、意外な出口が見えてきた、
出口と言えるのかどうか、
とにかく予想外のことだ。

恵まれた環境というのは、多くを与えられすぎ、
もしかしたら自分の中から湧きあがってくるものまで
ふさいでいるかもしれない。

けど、まわりが砂漠だったら?

雨を待って、
雨もこなくて、
カラからに渇いて、
弱って、
絶望して、

そこで、もうちょっとだけねばってみる。
もうだめだ、というところで、もうちょっとだけ。

すると、驚いたことに、
自分という人間の、
地下層の深い深いところから
水がチョロチョロと湧きはじめた。

私が感じ始めている、意外な出口というのは、
喩えて言えば、そんな感じだ。

独りで仕事をやってきたことで、
何の外的な刺激も、制約も、反動もないところで、
自分のためになにかをはじめることができたり、
また、それをだれの強制も、賞賛も、評価もないところで
やり続けることができたり。

ささやかだが、自家発電できる体質に
変わってきているというか。
まだまだ、豆球くらいの電力だが。

自分ひとりでやっているのだから、
いくらでも安易な方向に傾いていくことができる。
でも、そういうとき心の中で、自分がささやくのだ。

「結局、自分が困るだけだ」と。

自堕落の果てに、コツンとこの言葉にあたる。
まったく独りで仕事をやっている自分にとって、
これは究極の言葉だ。
これほどシリアスに響く言葉はない。
そして、自らまた行動を開始したとき、
今まで、習慣としてやってきた仕事の
ひとつひとつの行動の納得感がまるで違う。

立場が変わり、生き方の構造が変わったのだということを、
いろいろな局面で感じる。
企業にいたときは、
自分のスケールを超えた仕事を動かしていた。
たくさんの人の協力で成り立っていた。
たくさんの人・モノ・情報・お金を吸収して、
多くを生産し、
多くを捨てる。

だから、人に会う数も半端ではない。
編集の仕事を通して、多彩な人物にあわせてもらったことは、
自分にとってかけがえのない財産だ。
ただ、仕事上、非常にたくさんの人に会っていた。

そうすると、どこかで「選ぶ」という目に
なってしまうときがある。
付加価値生産性の高い人材を選ぶ。
自分の感覚に合う人材を選ぶ。
選別して切り捨てなくてはいけない場面さえ出てくる。
その段階で相手のマイナス面を観なくてはならない。

そこに、たくさんの人に会っているにもかかわらず、
結局は似たような人ばかりとつきあっているという
結果になる危険性が生じる。

ところが、独りで仕事をするようになって、
自分スケールで生活すると、
新しく会える人の数も限られてくる。

すると、
仕事であれ、プライベートであれ、
本能的に、だれかを心の中で排除するような方向には、
まず、意識が向かない。
単なる好き・嫌いの印象を超えたところで、
その人とどうつながっていくか、
ということを考えている。
すると、どうしても、
顕在化した、あるいは、潜在している
その人の良いところを見、
それを生かさざるを得なくなってくる。
結果的に、新しく出会う人の数は企業にいたときより
極端に減っているのに、
先ぼそりの不安がない。
むしろ、つきあう人の色や幅が広がっていくような
期待感がある。

人的・金銭的・情報的すべてにわたって、
企業にいたときより、
個人になったら乏しいので、
少ない資源を大事にして、
その潜在力を生かす、という発想に変わってくる。

そんなふうに、生活構造が変わったことで、
考え方を改めざるを得なくなると、
自分自身の意外なファインプレーを見つけることがある。

潜在力って、自分でも気づかないからこそ、
出てきたときに意外なものだからこそ、
「潜在力」っていうんだな、と思う。

成長というのとは、また、違うかもしれない。
立場が変わることで退化している能力もあるだろうから。
しかし、それまで使っていなかった筋肉を
生かすという面では、
立場が変わって自分が困り果てているときこそ
チャンスだと思う。

これからは、会社に勤めていた人が辞めたり、
会社を起こしたり、オーナーだった人が会社員になったり、
一生のうちに、いろいろな立場を経験する人も
多くなってくる。

立場が変わったとき、
決定的な不足が生じ、不安になる人もいると思うけれど、
そのときこそ、一粒で2度おいしい人生のはじまりと思う。

私の場合は、環境が変わったら2年の辛抱、
と自分に言い聞かせている。
2年経ったら環境が変わるのでなく、
その環境とつきあっていける自分の力が
湧き出てくるからだ。

不足こそ、潜在力を生かす。
自分のもつ潜在力、
人の持つ潜在力を、今は、信じている。




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-05-01-WED

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