おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson123 文章を伸ばす!二つの軸 読書感想文について相談を受けた。 あらすじばかりになってしまう子、 本のよかったところをあれこれあげては、 それぞれ短いコメントをつけただけの子など、 本から子どもが受けたものが、 なかなか伝わってこないというのだ。私は、 「いちばん感動したポイントに絞り込んで、 HOWとWHYで伝える。」 と答えた。つまり、 一冊のどこ(何)に? どんなふうに(HOW)? なぜ(WHY)? 感動したのかを、 本を読んでいない人にもわかるように書くことだと。 要素をはっきりさせていくための「問い」を組んで、 基本の文章構造と、応用の仕方をナビゲートした。 限られた中でベストは尽くしたのだが、 「それでも子どもたちは、 HOWを表現するとき、悩むだろうな」 という一点が、心残りだった。 本でも、映画でも、 いちばん衝撃・感動を受けたときの 印象やからだの感覚は、 おもいだせば、よみがえってくる。でも、 それを、どうアウトプットするのか? 「鳥肌が立った」というのか、 「胸が打ち震えた」というのか、 どれも近いようで、 どれも自分の感覚そのものではない。 そこで、子どもは、 自分の感覚を外に言い表せず苦しいだろうな、 なんとか解放してあげられないかな? というのが、ずっとひっかかっていた。 「書く歓び」という言葉で、 わたしが反射的に思い出すのは、 画家、横尾忠則さんの 小学生への絵の指導だ。 こどもに、好きな絵を持ってこさせる。 (もっと幼いかと思ったら、 ピカソやゴッホをもってきていた!) まず、徹底的に「模写」させる。 次に、同じ絵を何も見ず「記憶」で描かせる。 「模写」と「記憶」の2まいの絵を書き上げた子どもたちは、 「絵を描くのが本当に好きになった!!!」と 横尾さんに、まぶりついていた。 「描く歓び」に満ち満ち、いきいきと解放されていたのだ。 以前、同じクラスで、 こどもに「自由に」描かせた絵は 判で押したように同じ印象で、無個性だった。 それが、「模写」→「記憶」で描いた絵は、 十人十色に飛び散って、 どの一枚たりとも他人に似た絵がない。 模写がオリジナリティーを発現させ、 自由に描かせることが、子どもを不自由にする。 わたしは、「模写」と「自由」の関係、 そして、この絵画指導を、文章指導に生かせないか、 ずっと考えていた。 先日、「ほぼ日」で、 米原万里さんが、ソ連で受けた作文教育を読んで、 その謎がとけた気がした。 ソ連では、小学生に 「お母さんについて」書かせるとしたら、 まず、名作の、人物を描写した個所を読ませる。 次に、その作品では、 人物をどんな手続きで描き出しているか、 子どもに分析させる。 たとえば、「戦争と平和」なら、女主人公を描くのに、 彼女に関する人々のうわさ、 ↓ 彼女に出会ったときの第一印象、 ↓ 顔、口、目の描写 ↓ 彼女との交流のようす ↓ ある事件と彼女の成長 という構造で書いているのだということを、 こども自身に割り出させる。 これを、何作分かやらせたあと、 「では、あなたは、お母さんをどう書くか?」 こどもにまず、構造をつくらせる。 子どもは、これまで割り出した構造を 自分の中で、選んだり、組み替えたりしながら、 まず、お母さんの容姿を書く。 つぎに、家に友だちが来たときのお母さんの様子を書く。 それから、お父さんはお母さんをどう見てるかを書く…… というふうに、まず、構造をつくって それから作文を書くというのだ。 そうか! 文章の構造には、タテとヨコがあるんだ! 私は、そのとき気づいた。 たしかに構造をはっきりさせて こどもに文章を書かせると、速いし、個性を発揮する。 それは、これまでの小論文指導であきらかだ。 でも、小論文出身のわたしは、 構造といえば、 論理展開とか、ストーリー展開という、 何を書くか? の構造、つまり 「意味の構造」ばかりを思っていた。 これを、タテ軸とすると、 ヨコ軸にも構造がある。 人物描写とか、風景描写とか、 個々の部分をいかに描くか? いわば、「美の構造」だ。 論文に論理構造があるように、 美しい一枚の絵にも、美の構造がある。 横尾さんに言われて、 こどもが持ってきた、ピカソやゴッホの切り抜き、 それらには、天才たちが、ときには悩みぬいて 至りついた「美の構造」がある。 こどもは、「模写」によってそれをなぞり、 今度は見ずに「記憶」で描けと言われたとき、 何らかの構造を抽出し、 自分で再構築せざるを得なくなる。 こどもは、これまで 「自由に描きなさい」といわれても、 多様な描写方法を知らされず、 それらが組み合わさってできる「美の構造」も 知る術もなく、 自分の感覚をどうアウトプットしたらよいか わからなかった。 ところが、一つ表現の構造をつかみ 再現することで、 自分の内なる感覚を発現することができた。 しかも、その絵は、 自分が選んで持ってきた、自分の好きな絵である。 こどもはその絵をはじめてみたとき、 身に受けた、ことばにできない感覚を、 外にあらわす術をひとつ知ったのだ。 表現の構造をひとつ知ることで、 ひとつ、自分の表現の蓋がとれ、自由になる。 そうやって、さまざまな手法や構造をつかんでいけば、 こどもは、やがて、そこから、 選択したり、崩したり、組み替えたり、 自分で構造を組めるようになる。 そうして出て来た、子どものオリジナリティーこそが、 本当に、その子の自由なオリジナリティーである。 こどもは、1まい描くごとに自由になり、 やがて素晴らしく、 自分を外に発現できるであろう予感に満ち満ちたので 絵を書くことが、 本当に好きになったのではないだろうか。 私の感想文指導では、 こどもは、「何を、どんな手続きで書くか?」 タテの軸ははっきりした。 問いかけ、考えることは、 「感動のありか」を探るのに有効だ。 次は、その感動を、「いかに表現するか?」の段階で、 ヨコ軸のサポートも組み入れてみたい。 いま、すごい勢いでアイデアが浮かんでいる。 あなたはどうだろう? 論理の構築と、美の描写、得意なのはどちら? また、どちらを、 どんなふうにして伸ばしていきたいですか? 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) bk1http://www.bk1.co.jp/ PHPショップhttp://www.php.co.jp/shop/archive03.html |
2002-11-20-WED
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