おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson162 歳をわすれたカナリヤ 年より若く見えるというのが、はやっている。 どう見ても20代後半にしか見えない女性が じつは39歳とか、 娘とともだちにしか見えない美人が、実は母親だとか、 テレビでつぎつぎに特集するから、 つい観てしまう。わたしも好きなのだ。 みると、ついつい盛り上がってしまうのは、なぜ? 自分だって、その気になれば…。 しばし、そんな期待をもたせてくれるからかもしれない。 年齢を超える。 わたしは、ずっと、 年齢のしばりから自由になろうとしてきた。 出身が田舎だったので、 田舎の人が、なにかといえば、 「もう歳なのに…」 と年相応を要求するのが嫌だったのだ。 はでだろうと、なんだろうと、 着たいものを着る。やりたいことをやる。 30代なかばから、同級生たちが、 急に年寄りくさい、 あきらめたようなことを言い出すのがいやで。 私のことを日が暮れても諦めず、お家に帰らないで、 まだ遊ぶ子のように見るのもいやだった。 「年齢にとらわれない。 心の若々しさで、年齢の壁なんて軽々と超えられる。」 そう思っていたせいか、年下の友人もおおく、 つとめていた職場の平均年齢も若く、 若者にかこまれ、若い若いとおだてられ、 ネバーランドの王子さまのように生きてきた。 ところが、そんな毎日の中で、何日かにいっぺん ずどーんと不安にかられる瞬間があった。 通勤途上、小田急線の改札を出て、 会社に向かう道で、ときどき「その人」を見かけるのだ。 後から見ると20代。 バレッタを飾ったワンレングスの髪、 ひざたけのデニムのワンピース。 白いレース模様のタイツ。 女子大生風。 ただし、それは、いまの女子大生風でなく、 20年前、私が大学に通っていたころか、もっと前に はやっていた感じのファッションなのだ。 ところが、前にまわると、 首から上だけが50代。 私は、その姿に衝撃を受けていた。 年なのに、とくに若作りをしているとか、 その人のかっこうがまわりから特に浮いているとか、 そういうことではないのだ。 そのかっこうは、むしろひかえめ。 どこにでもいる、風景にとけこんでしまうような感じだ。 私以外の人は、気にも留めないだろう。 その人は若作りをしているのではない。 時がとまったまま、というか。 女性の美しさへの感覚も、 それをつつむファッションも、髪型も、 この人のばあい、自分の2、30代のころのまま 時がとまってしまった、というか。 ひと言でいうと、その人は、 年をとるのを忘れた という感じなのだ。 それは、寄る年波をひしっと受けとめた上で、 老いてもなお若々しい人とは、 似て非なる存在だ。 年をとるのを忘れた。 対比的に浮かぶのは、 わたしの田舎の、特に、農家の女性。 毎日、太陽をあび、米や野菜を育て、 子を産み、育て、 お姑さんの世話をし、親戚や近所の手伝いをし、 年にふさわしいシワを刻み、ふくよかになり、 しっかりと年をとっている。 それは、「ふけた」というのとは全然ちがう。 なんというか、 たとえば、「53歳」なら、53歳なりの、 実がびっしりつまっていて、 53歳という歳を切れば、血と米の汁が染み出すような、 しっかりした年のとり方なのだ。 帰省して、親戚の女性たちが、 「みーちゃん(山田本名)、 東京でがんばっとるんじゃって? すごいなあ」 と言ってくれても、 わたしは、ぜんぜん、この人たちの前で胸をはれない。 というか、この人たちの存在感に打たれている。 私の母の面倒も、苦じゃなく、さらさらとみてくれる。 しらずに、どこか、「すいません」 という心境になっている。 通勤途上、 「年をとるのを忘れた」という感じの人を、 ときおり、見つけて、私は、がくぜん、としつつも、 それは一瞬のことで、 出社したら、また、若い人に囲まれ、 十代の人を相手に仕事は忙しく、やりがいがあり、 わたしは、また、 年齢を超えて、どこまでもゆけるような感覚になった。 そんなふうに、30代後半を、 年齢との正面対決を避けて、するすると過ごしてしまった。 ところが、ここへきて、 年齢のことを、声高に語りたい、 むしょーにそんな気がしてきたのだ。 それは、私が40代に突入した、 ということが大きいと思う。 いまの40代は、 不安の世代とか、とくに女性には厳しいとか、 マイナス面ばかりがささやかれる。 わたしも不安がないと言えばうそになる。 でも、わたしが年齢を気にしはじめたのは、 むしろ逆、プラス方向からだった。 誤解をおそれずに言えば、 40代ということを、外に向かって謳いたい、 誇らしいような気持ちさえある。 わたしにとって、40歳になるということは それくらい開眼的なことだった。 一言で言えば、「年を重ねることでしか、 決して見えてこない、つかめないものが、 あるまとまりをもって見えてきた。」のだ。 年齢や経験を振りかざす気持ちはない。 若い古いに、関係なく、 大切なことが見えている人はいるし。 10代でも、20代でも、 私がかなわない、知識・才能・経験をしている人はいる。 それはとてもよくわかる。 でも、樹の年輪が1年一本しか刻めないように、 人が1日に、1年に、身に刻み、 自分の一部にできるものには、 限りがあるように思う。 とくに、人と人が、 くもの巣のようにネットワークをはり、 互いの関係性のなかで、 それでも、それぞれの意志をもちながら生きていく この世の中とは何か? その複雑さを、頭で理解し、 それが身について、 自分の泳ぎ方を編み出し、自然に泳げるような 体の教養になるまでには、 どうしても年輪を要す。 だから、仕事の面でも、 才能と経験と年輪が、あいまった40代から、 すばらしい仕事の域に達する人がいる。 やはり、人間を40年続ける、生きてみるということは それだけで素晴らしい。 わたしは、その部分を、人と語りあったり、 確かめあったり、外に謳っていきたいのかもしれない。 生まれて初めて、 「歳」の意味が自分の中で立ち上がってきた。 ところが、世の中を見ると、 なんか、情報の光があたる部分で、 「40代の女性はいない」ことになっている。 マスコミには、 10代や20代があふれ、いつまでも年をとらない。 いつまでも2、30代に見える 若さ・美しさを持ち続ける40代か、 飛び越えて大御所か、 「主婦層」とか、「お母さん」とか、「熟女」とか、 仕事で成功をとげた男性並みのタフな女性とか、 そういう記号が行き交っている。 いないことになっているから、 みな40代女性ではない、何ものかになろうとする。 いつまでも20代、30代に見える若者モドキか、 年齢も性別もこえて男並みに生きようとがんばるか、 はやばやと、オバサンの旗印をあげてしまうか、 それは、とんでもないもったいないことではないだろうか? 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
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2003-09-03-WED
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