YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson264 表現者の味方2
       ――スランプをのり切る

いま、多くの企業が、
単年度の利益をあげることにやっきになっている。

友人にそう言ったら、
1年先どころか、半期、4半期と、
目標はどんどん近くなるといった。

企業のゴールは利益だ。

ひとつ目標をクリアしたら、
必ず次は、その何%アップが求められる。
それもがんばって達成したら、
さらに次はその何%アップ、
さらにまた次は、その何%アップ……、

決して、前の年を下回ってはいけない。
永遠の右肩上がりが求められる。

私は、企業戦士を16年近くやって、
いま、独り、働くようになって、

永遠の右肩上がりとは
つくづく人間の体質にそぐわないシステムだなと思う。

にもかかわらず、私自身、抵抗しながらも、
この右肩上がり信仰に、
おもった以上に支配されていることに驚く。

でも、いま、もし私の立場で、
目先の利益にとらわれ、右肩上がりに執着するとしたら、

5年後、おもしろいものが
つくり続けられるだろうか?

10年後、自分の働くフィールドから、
自分という種が絶滅するかもしれない?
――そんな危機感がある。

スランプという発想にも、実は、
この、右肩上がり信仰が影響しているのかもしれない。

今日は、表現者の味方、第2弾として、
スランプをのり切る思考法について考えてみたい。

私は、この5年3ヶ月コラムを続けてきた中で、
これがスランプなのだろうか
という回路にはいったことが1回だけあった。

書いても書いても、思うものが書けない。

それまでに何回か、
自分の納得ラインに達しているものを
書いたことがある人なら、
だれに言われずとも、
この時点でそうとう落ち込んでいる。

自分を納得させられなかった原稿が
他を納得させられるはずもなく。
編集者さんの反応もよくない。
読者の反応も、思わしくない。

これがつづくと、そうとうまいる。

自分には努力が足りないのかと、
いつもより、1日はやく原稿書きにとりかかってみる。
しかし、結局書いても書いても……、という時間が
1日伸びただけで、自分の思う水準に達しない。

ならば、もう1日はやく取りかかってみたら、と
2日はやくとりかかってみる。
しかし、結局書いても書いても……
眠れない日が、さらに1日伸びただけで、
思う水準に達しないどころか、
今度は体力にガタがきて、
頭ももうろうとしてきて、
さらにわけがわからなくなっていく。

シナリオを書いている友人が、スランプを
「くだりのエスカレーターを登っているような感覚」
と言った。
登っても登っても、
水準はいっこうに上がらないばかりか、
歩みを止めれば、一気に底まで落ちてしまう。

わかっている。でも進まない。
わかっている。でも進みつづけるしかない。

「これは徒労か?」そのときは何度か思った。

こういうとき、とどめを射すように、批判メールがくる。

ただでさえ
不調感に緊張しているからだが、さらに硬直する。
負の感情が広がり、それを押さえる葛藤が加わって
さらに消耗し、さらに書けなくなっていく。

悪循環。

ふと、私は、批判メールの共通点に気づいた。
それは、こういうものだ。

「はじめてメールさしあげます。
 いつも出そう出そうと思っていてもなかなかメールが
 書けませんでした。
 いつもは、とても面白く読んでいるのですが、
 今回だけは違ってました、
 ひとこと言わせてもらいます……」

というものだ。つまり、批判メールは、
それまで、理解・共感とか、体験談とか
ポジティブなメールをくださった方からはこない。
ハンドルネームを見ても、まったく知らない人か、
たいていこのように、
はじめてだと自ら名乗ってくる人だ。

それまで
メールを出そう出そうと思っても出せなかった人が、
私への批判となると、なぜメールが書けたんだろう?

「敷居が低い」からだ。

私は思った。そこに、書き手の「目線」を思う。

そういうところ自分にもあるなあ、と気づかされる。
友人でも、絶好調ならまぶしくて、一目置いて
気が引けて、心してものを言う。
でも、その同じ友人が、スランプに落ち込んでいれば、
なぜか自分と対等な、いや、後輩かのような、
気安い感じがし、いろいろ言えてしまっている。

不調である人間を、どこか高い目線から見ていないか。

スランプにある人は、人に言われるよりもまず、
自分で自分に、この劣等の意識を向け、
それで自分をさいなむことになる。

だけど私は、いまになって思うのだ。

あのスランプに入ったとき、
私はいつもより劣る奴になりさがっていたのだろうか?

いまになって、どうもそうではないのだ。

あの下りのエスカレーターを登っていくような作業。
書けども書けども水準に達せず、それでも書きつづけた
自分では「徒労」ではないかと疑った、
それでも工夫しつづけた
時間の中で、実は、
いまの仕事の柱になる新しいアイデアが、
いくつか生まれている。
そのときは、あまりにも不完全であったし、
自信をなくして自分で認めてやれなかったけど、
たしかに、それは、いままでの延長とか、
ブラッシュアップとかでない、
まったく新しいアイデアの芽であった。
そのとき生んだもので、いま仕事でとても助かっている。

そして、それから6ヵ月後、
自分で納得のいく原稿を連発できる時期が来た。
それは編集者さんにも、読者にも、通じた!

変な奴に見えるかもしれないが、
私は、そのとき、
あの下りのエスカレーターを
ひたすら登りつづけていた自分に、
敬意を感じたのだ。

生徒の文章を添削していると、
はじめて添削を受ける生徒なら、
最初の2、3回は、
赤入れするたびに、グンとよくなる。
書き直すたびによくなるから、
このまま右肩上がりで、
すごくいい文章になるとつい期待する。

ところが、何回かめに、むしろ
書き直さないほうがよかった。
文章が混沌として、わけがわからなくなってきた、
という時期を迎えることがある。

こういうとき、生徒もだが、
先生も自分の指導が悪いのかと
不安になるのだけれど、

私は、それも進化と見なす。

いま、進化への大事な一歩を踏み出したぞ、と
むしろ生徒に敬意すら抱いて待つ。
自分なりのスランプを経て、
自然にそう思うようになった。

そこをとおりすぎたときに、
これまでの右肩上がりの改善の延長ではなく、
まったく別の深みが出て、
「レベルアップ」としかいいようのない文章を
しあげてくることがあるからだ。

それは、その子が、いままで一度もトライしたことのない
領域に、無意識に足を踏み入れて、もがき、
新しいものをつかんで帰ってきたからに他ならない。

だからいま、不調感をつのらせている人も、
私が言うのは僭越だが、書きつづけてほしいと思う。

それは後退ではなく、進化ではないか?

次のレベルアップが大きければ大きい人ほど、
潜伏期間も深くて長い。
踏み入れた領域が、それだけ未知で広大だということだ。

私はそれも進化と呼びたい。


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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-09-07-WED

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