YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 265 ブレイクスルー力を鍛える

自分がやりたいことと、
まわりが求めることが違ってせめぎあうとき、

そこをどう考えてブレイクスルーしたらいいんだろう?

たとえば、
会社の方針と自分のやりたいことが違うと悩む会社員。

読者が歓ぶ誌面と、自分がつくりたい誌面に
ズレがあるという雑誌編集者。

たとえば、私がいま書いている
この「おとなの小論文教室。」というコラム、

「毎回、ズーニーさんの好きに書いてる」と
おもう人も多いと思うけれど、
これでもずいぶんせめぎあってきた。

「ほぼ日刊イトイ新聞」編集部が求めることと、
「読者」が求めることと、
「私」が書きたいことと。

とくに最初のころは、自分の意志で、
自分の書きたいことは押さえて押さえて、
読者とほぼ日の求めるものに耳を傾けたかった。

それはたぶん、この環境の中で「生きる」ためだ。

連載をはじめた当初、
私は編集を16年やってきたものの、
書き手としてはまったくの素人。
肩書きはいっさいなく、名づければ、
「無鉄砲に会社を辞めただけの元OL」というか、
とにかく、山田ズーニーの看板だけでは、
1人の読者も呼べない現実だった。

一方、ほぼ日は、
当時、すでに
1日のヒット20〜30万の人気サイトだった。

連載第1回、
自分の原稿がアップされた日の恐ろしさを
いまだに忘れない。

たちどころに反響のメールがたくさん来て、
人気サイトの実力を思い知らされた。
驚いたのは、とにかく読者の質だった。
メールの内容がすごくいい。

自分が予想していたより、
このサイトはずっとずっと注目度が高く、
読者のレベルが高い。

それゆえ私が淘汰されるのもはやいだろう。
3ヵ月後には、
自分が残っている予感がまるでしなかった。

とにかく、自己ベストで行けるところまでは行こう。

持てるすべてで、
自分の置かれた環境に奉仕しなければ、
この環境で生きられる身分ではないことを悟った。

連載をはじめた当初、
まわりが、このコラムに求めたのは、
あくまでも私が経験の中で培ってきた
「考える方法・書く技術」だ。

だれも
山田ズーニー自身の考えが聞きたいわけではない。
っていうか、
「山田ズーニーって、だれ?」というのが、
そのときの私をとりまく現実だった。

その現実に、一抹の寂しさを覚えた
ということは、私自身が書きたいことは、
「考える方法・書く技術」というテクニックよりも、
もう少し、別にあったということだ。

たしかに、メール社会に移行していく時代の中で、
「考える方法・書く技術」の基礎を
わかりやすく伝えていくことに、
私自身、ものすごく意義を感じていた。
それはうそではない。

それに、そこは私がずっとやってきた得意の領域、
つまり、「私がやるべき」「私にできる」ことだった。

でも、会社をやめるまえ、
もうすでに、総合学習とか、生徒自身の進路発見という、
より総合的、応用的なところに
足を踏み入れていた私にとって、
文章術というのは、自分の歩いてきた道の中では、
ずいぶん原点に立ち戻らされるような気もした。

もっと、私が感じていることをストレートに、
テクニックのような、部分・部分ではなく、
まるごとの世界観として伝えられないだろうか?

しかし、そこに、読者のモチベーションはない。

それもよくわかっていた。
ジレンマ。

私にとって、自分がやりたいことと、
まわりが求めることのせめぎ合いとは、
「私にできる・私がやるべきこと」と、
未知で経験もないけど「私がこれからやってみたいこと」
とのせめぎあいだった。

さんざん考えた末に、私が取った道は、
ひどく単純に聞こえるかもしれないが、
3回に1回の脱出、だった。

3回は、周囲に耳を澄まして、
自分に何が求められているのか、よく聴いて、
そこに全力で応えていくこと。

しかし、1回は、
周囲の求めや、成果にとらわれず、
そのとき自分にとって切実で、
どうしても書きたい、
書かずにはおられないものを、
まだ海のものとも、山のものともわからないけれど、
申しわけないけれども、
それでも、全力で書かせていただく。

それが、そのとき私が決めた、
私なりのブレイクスルーの方法だった。

5年たったいま、ふりかえって、

あのとき、周囲の声を無視して
自分がやりたいことだけにつっぱしっていたら、
そこは経験もノウハウもない未知の領域、
人を歓ばすことができず、自信を失い、
サバイバルはできなかったような気がする。

一方、あのとき、周囲の声を無視しても
自分の心の声に耳を傾け、
自分の書きたいことを存分に書いて打たれること
をしなかったなら。
自分はカタチにはまってしまい、先細り、
やりたいことの幅も狭まっていったように思う。

3回に1回の脱出は、
その後の可能性をぐんと広げてくれた。

不思議なことに、
自由に書こうとおもったときほど、
自分が脱出しようと思った、
考え・書くメソッドが、自分の中にしみついて
生きており、テクニックは
決して部分ではないことを知り。

原点に立ち戻って、技術に徹した時ほど、
読者の方々が、
「単にテクニックにとどまらないものを感じた」と
私がやろうとしている、その先の世界を
くみとってくださった。

そして、本当に人を歓ばせるためには、
周囲の代弁者になるのではなく、
自分の本来やりたかったことにたちもどり、
そこから橋を架けていくしかないんだと
教えられた。

あなたは、自分のやりたいことと、
まわりが求めるものがせめぎあうとき、
どう考えてブレイクスルーしているだろうか?
たとえば、会社に勤めている人なら、

1. 顧客と社会の目指すゴール
自分の担当する仕事について、
お客さんと今の社会が求めているものは何か?

2.会社の目指すゴール
自分の担当する仕事について、
会社が求めているものは何か?
最終的に自分がどういう仕事をすれば
会社は納得し、自分を高く評価するのか?

3.自分が本来目指すゴール
自分自身は本当はどういうことがやりたいか?
最終的にどういう仕事ができれば
自分は心から満足できるのか?

この3つは、せめぎあう。
でも、この3つをまず、書いてみるといいと思う。
「会社」の求めるものと、
「お客さん」が求めるものと、
「自分自身」が目指すもの、
このギャップの正体を知るだけでも
随分スッキリする。

次に、この3つの関係をよく考え、
そのギャップをどうブレイクスルーするか?
を編み出してみる。

1と2と3をつなぐ橋は、自分の中にあると私は思う。
自分も顧客であり、
自分も会社を構成する細胞の1つだからだ。

最終的に、今期、自分がとる道を打ち出してみて、
「自分がそう決めました。
 これが私の意志で決めた道です。」
と言えれば、そこがゴール!

意志ある選択に道は拓かれる、と私は思う。

…………………………………………………………………



『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-09-14-WED

YAMADA
戻る