YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 274 いまを生きる


先日、なんとも切ない光景に出くわした。

プライバシーに抵触しないよう
改変を交えて、お話したい。

先日、企業研修の打ち合わせで
大企業の、中間管理職の方を訪ねた。

その方は、ご年配で、
とても学識豊かな方だった。
私の本も、よく読んでくださっているようで
いただいたテーマ設定が非常に的確だった。

ところが、

研修時間の話になったとき、
どうも、ちぐはぐになってきた。

先方のリクエストに応じようとすると、
どうしても、夕方の5時を過ぎる。
夕方5時半まで、時間をのばしてください、
と私はお願いした。よくあることだ。

ところが、その年配の方は、
建物の鍵がどうこう……、
過去の事例がどうこう……、
それで、5時には終了してくれという。

私は、言外にどうも
「腑に落ちないもの」をかぎとった。

そこで、話し合いを始めた。

「研修時間は、
 何をいちばん大切に決めたらよいとお思いですか?」
私は、そう投げかけてから、
「ゴール=学習効果」だとお伝えした。
必要充分な時間は、
建物が決めるのでもない、
過去の事例が決めるのでもない。

私には「人が育つ場」をきちんとつくり、
その日の「ゴール=学習効果」に導く責任がある。

そして、過去にやった研修では、
クライアントとともに、
新しい試みに、どう取り組んできたかもお話した。

その年配の方は、
そのひとつひとつに感じいったように聞いていた。
「そうでしたか! ゴールですか。
私は、いままで、時間というのは、
過去の慣習から、なんとなく決めてしまっていました。
いやー、そこまで深く考えてませんでした!
勉強になります。」と。

小一時間、そんなやりとりをして、
いよいよ、最終的に時間を決める段になった。
私は、その年配の方の口から出てきた、
次の言葉を聞いて、
椅子から落ちそうになった。

「それで、時間なんですけど、
 5時でお願いしたいんですが……。」

これまでの話はいったい何だったんだろう?

私は、こんどばかりは、強引に、
その方に、バランスシートを書いてもらった。

白い紙に十字を書いて、
4つのスペースをつくり、
5時で終わる場合の、プラス面とマイナス面。
5時半にした場合の、プラス面とマイナス面。
以上の4つを埋めるだけでいい。

ところが、その年配の方は、
書こうとしてはすぐ辞めて、

「あの…、社員の次の日の仕事に差し支えると……、
 やっぱり5時でお願いできませんか……」
という具合に、5時で押し切ろうとする。

5時が、5時半になったところで
そんなに明日の予定に差し支えるのだろうか?

私は、
「とにかく、バランスシートだけ埋めてくれ
 埋めてくれさえすれば、後は何でも聞くから」と、
なんども強引に、シートに戻した。
とうとうその年配の方は、
あきらめてバランスシートを書きはじめた。

しばらくして。

その方は、じっとだまって、
5時で終わる場合の、プラス面とマイナス面、
5時半にした場合の、プラス面とマイナス面
を書きあげた。
顔をあげ、放心したように、こうつぶやいた。

「よくよく考えたら、
 私が、フロアに帰って、メンバーに、
 それを言うのが恐い。
 5時にしてくれ、という理由は
 それ以外に見つかりませんでした……」

そう言って、その年配の方は、言葉をなくし、
紙切れの前で途方にくれていた。

「だれか恐い人がいるのですか?」
私が聞くと、その方はきっぱり、「いいえ」と言った。

「これまでと違うことをすると、
 何か文句を言われるのですか?」
私が聞くと、その方は「いいえ」と強く否定した。

だれも恐い人など、いはしない。
だれも、新しいことをしたと
攻撃する人など、いはしない。
第一、そんなこと、やってみたことがないから
いるかどうかさえ、わからない。

「ただ、なんとなく、
 変わったことを言ってはいけない。」

それが、その方の言動を支配しているものだった。
その年配の方は、自分自身たったいま、
そのことに気づいて、途方にくれていた。

これまでの慣例と変わったことを言ってはいけない。
まわりの人と変わったことをしてはいけない。

私は、自分の父の世代を想い、胸がつまった。

父の世代は、戦後、焼け野原だった日本を、
ここまでりっぱな国に復興させてくれた。
そのおかげで私たちがいる。

その過程で、個人より、集団が優先された。
これは、口で言うより、難しいことだったと想う。

先輩が、会社が、世間が、
言うことをまもり、変わったことをしてはいけない。

結果、日本は復興したのだ。
このコミュニケーションのどこがいけない?
会社とか、先輩とか、社会とかが、
よっぽどしゃんとして、機能していたんだと思う。

その彼方には、
欧米という先進国のモデルがちゃんとあって、
先にその知識を手にしたもの=「先輩」が、
「食えない」から「食える」ように、
「学校に行けない」から「大学までいけるように」、
「冷蔵庫が買えない」から「買える」ように、
ちゃんと指導して、
たしかに成長してきたのだ。

いま、欧米に追いついて、
もう目標とするモデルがなくなって、
これからは、個人個人、
自分の頭でものを考えなさいという。
私のような
コミュニケーション・インストラクターなるものが
出てきて、えらそうに、目上の人に
バランスシートを書かせている。

「過去の事例でもなく、周囲との関係でもなく、
 いま、あなたが感じ、想ったことを
 考えて言葉にしてください」と言った、私のほうが、
その年配の方から見れば、
よっぽどエイリアンだったろう。

自分のしていることに、
なんとも、わりきれないものを抱え、
私は、マスコミ志望者に向けたワークショップに行った。

その日の最後に生徒さんにやってもらったスピーチは、
いままででも屈指の、すばらしいものだった。
どうして、
そんな素晴らしいとこにいけたのかわからない。

トップバッターのピンクのセーターを着た女性が、
自分は癌である、と言った。
その人の、明るく澄んだ、
はちきれんばかりのスピーチが、
あとのスピーチに生命力を与えたのかもしれない。

とにかく、どの生徒さんも、
何度も、何度も、
自分の心の奥底にダイビングしながら、
自分の想いを表現していたのが印象的だった。

その姿を観て、
自分自身、反省せざるを得なかった。

たとえば、講義のまとめをするようなときに、
一瞬、迷う。

あらかじめ用意してきた
原稿の言葉で、本日をしめくくろうか?
それとも、いま、ライブで講義をし、
自分の中にわきあがってきたものを稚拙でも
言葉にして表現してみようか?

用意してきた言葉は、
さまざまな講義などで経験ずみの、
確実に、その場はまとまるものだ。
一方、その場で感じたことを言葉にしようとすることは、
なかなかうまくいかない、
初めて発する言葉だから、大はずしをするかもしれない。

でも、その日、少しの迷いもなく、
いま、自分の中にわきあがってくる感情、想い、意志を、
まっすぐ言葉に表そうと、
何度も、何度も、自分の心の底にダイビングしながら、
スピーチをしている生徒さんを見ているうち、

これが、「いまを生きる」ことなんだと気づかされた。

過去に、人をどんなに感動させた言葉があったとしても。
それを心のファイルに並べて、選んで、
そのどれで、この場はかかわろうかと考えている限り、
自分は、「いま」にいない。
過去のある一点を生きている。

無事にまとまっても、何も新しいものは生まれない。

だけど、いま、
自分の中に生じてしまった感情・想い・意志を、
なんとか言葉にしようともがきはじめたら、
自分でも、どんな言葉がでてくるか、わからない。
どきどきするし、
出てきた言葉に自分でも驚く。

そして、それが人前であったら、
それが、通じたり、反応をあびたり、
そこから引き出されて、
予想外の未来が始まることがある。

想いは、過去の経験から
わきあがってくるものだから、
新しく、いま、生まれた想いを言葉にすることは、
過去と、現在と、未来が、
ピタッとつながる瞬間でもある。

ちまたでは、インターネットの恋占いに、
若い女の子たちが一喜一憂している。
でも、そんな、はじき出された出来合いの言葉で
自分の恋愛を物語るより、
「いま、彼に会いたくて苦しい」とか、
いま、自分の中からわきあがってくる想いを
言葉にしたほうが、
きっと、その人の恋物語は、何倍も素晴らしいと想う。

出来合いの言葉、
過去にうまく言った言葉、
尊敬する人の言葉、
それらで、物語っている限り、
いま、自分を、生きることにはならない。

いまを生きるには、
いま、自分の中に生まれた想いを
言葉にするしかないのだと、
そんなシンプルなことを、
その日の生徒に教えられた。

私は、あの年配の方をはじめ、
父たちの世代とのコミュニケーションで、
なぜ、タテマエでなく、
本当にその人が感じ、考えていることを
言葉にしてほしいと、常に想い、
そこにこだわっているのだろう?

それを願うことが、よいことか、わるいことか、
正直自分でもわからない。
これからも迷うだろう。

でも、きっとそれは、
時代がどうこうとかでなく、
若者とコミュニケーションをとるためとか、
そんなことではなく、
非常に僭越だけど、

いまを生きてほしいのだと思う。
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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-11-16-WED

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