おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson 285 お金ではない何か 中学のときから、 さして苦労もせず彼女ができた、 という人と話をしていて。 私は、恋愛に関しては奥手で、 中学のときも、高校のときも、片想いだったから、 いわゆる学園恋愛みたいなものに、 いまだに純粋な憧れがあることに気づいた。 中学や高校のような多感な時期に、 恋人がいたら、さぞ素敵だろう、と。 ところがその、さぞ素敵だろう、という問いかけに、 実際そうでもない、 男子の友達といるほうが楽しかった、 という、みもふたもない答えが返ってきた。 案外、そうかも、と思った。 あこがれてたけど、 実際つきあってみると 思っていた人とちがっていたとか。 なにせ、中高生だから、 ぎこちなくて、イマイチもりあがりにかけたとか。 実際つきあえていたとしたら、こんなもんか、 いまごろ、そうおもってるかもしれない。 人は手にしてないものに強烈な憧れを託す。 中学の時から好きな子とつきあえて、 こんなもんかと恋愛への幻想もとれ、 でも愛情面もそこそこ満たされて、 その先へ進んでる人と、 それが手にできなかったために、 いまだ幻想がとれず、 でも、そこに純粋で美しい夢を抱ける自分と、 どっちがどうしあわせかわからないけど、 同じ言葉をつかっていても 見ている世界はずいぶん違う。 自殺する人のなかに、 「きれいな奥さんもいて、 お子さんもいて、仕事も第一線で、 いったい何が不満だったのだ」と まわりが不思議がるような人がいる。 奥さんがいて、子供がいて、仕事も第一線で、 という人の絶望感の方が、 実は、深いのではないかと私は思う。 まだ仕事がなかったり、 仕事の成功体験がなかったら、 「仕事さえ軌道にのれば…」 と希望を託せる。 まだ結婚していなかったら、 「かわいいカミさんさえくれば…」 と次に夢をつなぐことができる。 人がほしがるもの、すべて手にして、 なおかつ、心の闇がうまらなかったら、 夢の託し場が、もうない。 以前、インドに旅行に行ったとき、 ボートハウスでずっとご飯をつくってくれたおばさんに、 帰る日、あいさつにいったら。 現地の言葉で、何か言っていて、 きょとんとしている私と友人に、そのおばさんは、 「マネ、マネ。チップ、チップ」といった。 正直、こんな感動的な別れのときまで、金かよ、 と興ざめしたが、友人と私は、 なにがしかのお金をさしだした。 そのときだ。 そのおばさんが、現地の言葉でなにか言って、 私を、そして、次に友人を、 ぎゅーーーーっ、と抱きしめてくれた。 ぎゅーーーーっ、と。 あとにも、さきにも、人生の中で、 あんなに強く人間に抱きしめられたことはない。 熱い塊がこみあげてきて、両目から、 ぽたぽた、ぽたぽた、涙がこみあげてきた。 それから、送りのボートも、飛行機の中も、 大粒の涙が、ぽたぽた、ぽたぽた、ひざに落ちて とまらなかった。 そのおばさんは、 貧しいために家族とはばらばらに住んで ボートハウスでおいしいご飯をつくる。 ヒンズー語も英語も日本語もまったく通じなかった。 おばさんは「ありがとう」と身体で言っていた。 お金で家族にできること。家族にしてあげられること。 日本で私がふつうに手にしているお金を、 おばさんは手にすることができない。 お金に対して、こんなもんかと懐疑的になったり、 あるのに不安になったりする自分とは、 同じお金を通して見ている世界はまるで違う。 あんな生命力で、まっすぐお金に向かっている そのことに打たれていた。 2000年に会社を辞めて、 これからどう生きようかと真剣に考えたとき、 私は、拍子抜けするくらい、「お金」ではなかった。 20代の終わり、残業がつづいて、 残業手当は出るし、 遊びに行けないから全然つかわないし、 そんな修羅場が続いた果てに、 口座を見たら、 そこそこのお金がたまっていた時期があった。 それは自分が生きてきたつましいレベルでは、 そうとうな金額で、 その時期に、昔、お金がなくて、 やりたくて やれなかったようなことを恐る恐るやってみた。 ほしい服や靴やアクセサリーがなんでもなく買えたり。 敷居が高かったレストランに堂々とはいれたり、 友人たちと海外旅行に何度も行ったり、 2階のついた高級ホテルにとまったり。 親孝行をしてみたり。 それまでお金がなかったために、 自分の中で寂しかったような部分が そこそこ満たされてもいった。 一方で、「こんなもんか」とお金への幻想もとれた。 ブランド品を買っても似合わない。 レストランもいいけれど、 作ったご飯のほうがほっとする。 高級パックで行くツアーより、 貧乏旅行のほうが印象的だったりする。 こっち方面に自分のしあわせはないな。 だから会社を辞めるときも、 その後のさまざまな選択でも、 お金という価値はあっさりあとまわしになった。 でも、あの時期がなかったら、 いまだお金に幻想をもっていたかもしれない。 いま、お金に関しては、 採算ベース、生涯現役、という考えをもっている。 採算を取る、つまり、やった仕事に対しては、 関わった人も含めてみんな、 働きにふさわしいきちんとした利益が出るようにする。 でも「それ以上」の、利益の追求はしない。 そのかわり生涯現役、 自分から何か人や社会に対して働きをして、 それにふさわしい報酬を得て、という循環が、 一生、続いていくようにしたい。 そう思うのは、仕事において お金よりも大切なものがあるからだ。 そういえば、おとなになってから私は、 母にお金をもらったことがある。 私が生まれて初めて書いた本が出たときだ。 あんなに歓ぶ母を私は見たことがなかった。 もちろんおとなになったら親にお金をあげる立場で、 ふつうなら難く拒んで受け取らない。 でもそのとき、 母が、せいいっぱいの額をつめて もってきた封筒を見たとたん 涙がとまらなくなった。 戦中・戦後を生きてきた母にとって、 お金に込める願いがまるでちがう。 母は、高校で恋愛どころか、お金がなくて 首席だったのに高校にもいかせてもらえなかった。 ほしい服や靴やアクセサリーを衝動買いすることもなく。 友人と旅したこともなく。 生活が軌道にのってきたからといって、 私のように 自分のためにパッパとお金を使ってそれまでを解消、 みたいなことも、母はしなかった。 お金がないためにできなかったこと。 封印しなければならなかったこと。 お金がないために家族にしてあげられなかったこと。 母が青春時代に決して手にすることができなかった夢が、 純粋なまま、そこにこめられていた。 「あんたが本を書いてくれて、 お母ちゃんほんとうに嬉しかった。 このお金で見聞を広めて、また本を書いて」 生まれて初めて書いた本の最後に、 私は、読者に対して、 「あなたには書く力がある。」 と書いた。 これは私のアイデンティティをあらわすといっても 言いすぎではない。 私のアイデンティティの中に、 「あなた」という他者がいる。 「人の持つ力を生かす」歓びが、 私には、他のものととりかえがきかない、大切なものだ。 いま、単行本『おとなの小論文教室。』への反響が 続々と届いていている。 この本を踏み台に、考える力をもっと生かそう、 もっと自分を表現しよう、という人の声に触れると、 書いて、よかった。 生きててよかったと、 歓びに溶けそうになる。 それは、生まれてからずっと心の底にぽっかりあいて どんなことをしてもふさがらなかった穴の寂しさに、 まっすぐ染みて、満たされていく。 他のあらゆるものは、ここに、とどかない。 もしも、この先、血迷って、 お金や数字を追うようなことがあったとしても、 じゃ、そのお金を何につかうかというと、 結局、他じゃ満たされないから、 人が育つ場をつくったり、 そういう場をつくるための自分の努力にあてたり、 とどのつまりは、その歓びととりかえるために あくせくすると思う。 だったら、そんなまわりくどいことしなくても、 まっすぐ、その歓びに向かえばいい。 ここは間違えない。 私には、お金より大切なものがある。 その歓びの中に、他者である「あなた」がいる。 ………………………………………………………………… 『おとなの小論文教室。』河出書房新社 『考えるシート』講談社1300円 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
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2006-02-01-WED
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