YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 299  立脚点


このところ、「立脚点」という言葉が頭から離れない。

たしかに、
「どこへ行きたいか」というゴールが明確な人間、
そこにいくための才能や技術のある人間は、
華やかな成果をあげて素晴らしい。

でも、それ以上に、
「自分はどこに立っているか」を知っている人間は強い。

そして、「自分はどこに立っているか」を知ることこそ、
この時代にあって、難しいのではないか。

というようなことを、まだこなれてないのだが、思う。

連休中、もっとも打たれたのは、
ともだちが、ドキュメンタリー映画をとって、
東京上映デビューを果たしたことだった。

ともだちは、地方に住む、40代なかばの主婦。

映像作品どころか、
ビデオカメラを回した経験さえなかった。

まったくの手探りで、

2002年から、
撮影のことも、映像編集のことも、取材のことも、
いちから習得しながら、
撮り続け、気の遠くなるような作業の果て、

2年8ヶ月かけて、
ドキュメンタリー作品をしあげ、
東京上映にこぎつけた。

会場の上映案内に書かれた、ともだちの名前に、
「監督」とつけられていたのを見たときには、
なんとも言えない感慨があった。

そして、後悔がこみあげた。
「いらないことを言ってしまった……」と。

私は、最初、このともだちから、
ドキュメンタリーを撮りたいと言われたとき、
難色を示した。

なぜなら彼女がとりあげたテーマには、
必然的に、戦争問題、民族問題、人権問題が、
深く、複雑に関わってくる。

「素人が簡単に手を出せる問題ではない。」

ほんとうに失礼だが、私は最初そう思ったのだ。
小論文の教材を編集していた私も、また、
テーマについて素人であり、
かつ、それらのテーマを避けては通れなかった。

戦争問題を扱ったとき、
最後の最後まで、教材の内容について悩み、
印刷所で、もう刷りあがっていた誌面を、
刷り直してまで、教材の内容を差し替えたこともある。

ひとつの立場をとれば、
もう一方の立場が立たず、
考えれば考えるほど、わからなくなる。
内容について、
批判・攻撃を受けたときに、編集長として、
最終責任を取らなければならないことは恐かった。
でも、それ以上に、
高校生の思考を誘導してしまわないか、
ということが恐かった。

その道の専門家を、監修者として立て、
校閲のプロに見てもらい、と、
大勢のプロの力を借りて、
組織ぐるみでやっても、へとへとになるほど、
ほんとうに、扱うのが難しいテーマだった。

ともだちは、
たった一人で、
こんなにハードルの高いテーマで、
自分のつかいこなせない表現手段を用いて、
いったい、どうやって作品を成立させるのか?

そのときの私は、そんな問題意識を、ふとどきにも
彼女に、ぶつけてしまったのだ。

いったい、どうやって作品を成立させるのか? 

ときをへて、2006年、
それが、いらぬおせっかいだったと、よくわかった。

先日の上映会、
彼女の作品はみごとに成立していた。

予想以上にたくさん集まったお客さんたちは、
こうしたテーマについては、
目の肥えた、うるさい人たちだ。
テーマの専門家というより、
テーマが切実で、考えずにはおられない人たち。

そういう抜き差しならないお客さんに対して、
彼女の表現は、ちゃんと伝わって、
場内からあたたかい拍手がわきおこった。

「これだけひとつの問題を掘り下げて……」と
と、彼女の粘りに、お客さんから感嘆の声も聞かれた。
伝わっていることが、はたから見ていてもわかる。
その後も、彼女のもとには続々と温かい声がかけられた。

いち素人である彼女の作品が、
なぜ、お客さんに届いたのだろう?

作品は、取材に向かう彼女の顔のアップからはじまる。

この作品で何を訴えたいか、
何をわかってほしいかではなく、

「どんな人間がこの作品を撮るのか」が、
作品のスタートで、
明確に、お客さんに伝えられていた。

彼女が、どこからきて、
なぜ、どんな問題意識を持ち、
どんな立場でこの作品を撮るのかが、
それ以上でも、以下でもなく、
見る人に、よくわかる。

「立脚点」。

作品の最後まで、
この、彼女の立ち位置は、ブレることはなかった。

私は、このことに打たれた。

私自身、ものをかくときに、
自分にうそのない、自分に立脚したものを書くように、
ストイックなほど気をつけていた。

でも、彼女の姿勢を見たときに、
自分は、いいかっこをしたいからではなく、
表現の体力が尽きてきたようなときに、
体力がないために、飛躍をしてしまったり、
自分で自分を煽ったりして、
立脚点から、足がはなれてしまうようなことを、
自覚し、反省せずには、おられなかった。

とくに、社会的なテーマを扱い、表現している人は、
ときに、目線が高くなったり、
糾弾になったり、
押し付けがましくなったり、
正義感に酔ったりしがちだ。

私が、教材を刷り直さなければならなかったのも、
最初、ちんけな正義感につかまって、
立ち位置から足を離してしまったからだ。

あのとき、
戦争のテーマを高校生に考えてもらおうとした私には、
どんな編集者、どんな編集部が、
高校生にそれを問うのか、という立脚点がかけていた。

ともだちは、素人として、
過酷な挑戦を志したときの、自分の立脚点を、
見失わず、よく忍耐してキープして、
常にそこから、観客に対してものを言っていた。
だから、彼女の表現は、素直に受け入れられたのだ。

ともだちが、自作に、はっきりと顔を出したことには、
どんな自分がこの作品をとるのか、
彼女自身ちゃんと知っていて、引き受けていて、
そこから逃げも隠れもしない、覚悟の表れだと、
わたしにはうつった。

自分が立っているところがわかれば、
新人でも、情報発信はできるし、伝わるんだということ。

一生のうちで、新人のときほど、
立ち位置が明解なときはないのではないか、
それを知れば、旧人にまねのできない、
受け取る人に染み入るような
表現ができるのではないかということ。

そんなことも考えさせられた。

講演で、地方をまわっていると、
東京の人と、地方の人の違いを感じる瞬間がある。

たとえば、宮崎の高校生に、講演のあと、質問を受けて、
向かい合っているときの、
あの、生身な感じ、生々しく、
あたたかい、実のある感じは
なんだろう、といつも思っていた。

質問を発する「立脚点」がちがう。

と、いま思う。
宮崎の高校生は、
自分の経験、実感、
自分の腑に落ち消化したもの、
そこに立脚して、そこに照らして、
腑に落ちないこと、なぞに感じること、
というふうにして、問いを発する。
だから、問いが、生々しくて、切実で、
唯一、無二な感じがする。

一方で、東京の高校生は、
仕入れた知識とか、入試情報とかに立脚して、
そこから食い違うこと、わからないことを聞いてくる。
「自分の知ってる情報と食い違うけどどうなんだ?」
というふうに、

結果、同じ質問をされることも多く、
質問と、答えが、どこか予定調和な感じがする。
立っているところが「情報」なので、
それはともすれば、
多くの高校生が知っていることだったりするからだろう。

だから質問も似てくる。

情報に立脚していて、
自分に立脚しているのではないことを、
はたして本人は気づいているのだろうか?

未曾有の情報社会で、
仕入れた情報に立脚してものを言おうとする人は、
さらに増えていくだろうと思う。

立脚点が似ていれば、表現も似てくる。

表現が新鮮ではないとき、
マンネリになるとき、
自分が何を表現したいかわからないとき、
表現したいものが無いように思えるとき、
いまいち人にしみていかないとき、

どこに行きたいか?
どうやってそこに行くか?
と自分を追い詰めるより、

自分はどこに立っているか?

を確認してみてはどうだろう。
すでに自分が立っているところだから、
この問いには必ず答えがある。

どこへ行きたいか、は、
どこに立っているかで変わってくる。

自分はいま、どこに立って、
どこからものを言っているのだろうか?

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河出書房新社




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『考えるシート』講談社1300円


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筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-05-10-WED
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