おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson326 死を思いとどまった人からの手紙 ――死を思いとどまらせる言葉 2 ぎょうぎょうしいタイトルに、 今週から見た人は、 「山田がなんと不遜なテーマを‥‥」と、 引いているかもしれない。 私も、こんな難問、扱えるわけがないと 連日の「いじめ」の報道にも、 「なにもできない=なにもしない」を決め込んでいた。 きのうも、ある小学校を訪問したが、 小学生といっしょに机をつきあわせて 何十年かぶりに、給食を食べるだけで、 何を話せばいいんだ? どうすればいいんだ? と、どっきどっき、した。 昼休みが小一時間ある。とても長いと感じた。 グランドへ出てみると、 縄跳び、サッカー、ブランコなど、 それぞれグループになって遊んでいる。 この輪の中に、どこか自分の居場所を見つけ、 小一時間あそびつづけることなど、 自分にとって、とうてい不可能な難事業に思えた。 ところが、一人の女の子が 「こっち、こっち」 と私の手を引いて、誘導してくれる。 縄跳びのグループに入れてもらおうとしたとき、 グループの女の子たちが、 小学生の中で ひときわ違和感ただよわせている私を見て、 入れるかどうかしぶりはじめた。 私の手を引いていった女の子は、 「二人で一緒に入れてほしいのだ」 とはっきり交渉していた。 私たちを入れるかどうか相談がはじまったとき、 なんか、私は、どっきどっきして、 幸いに、「いいよ」と 入れてくれたからよかったものの あそこで入れてもらえなかったら、 どうなっていたろう? こんな自分に何が言えるよ、と自分でも思う。 でも、そんなとほほな私でも、 いや、だからこそ。 つまり、子どもを生んだことも育てたこともなく、 いざというとき、 言外からにじみ出てくる優しさも持ち合わせず、 死を思いつめた経験も、人をなごませる年輪もなく、 逆に相手を追いつめたり、 哀しくさせたりしかねない私だからこそ、 現時点での自分にできるベストな方針を、 一度考えておかなければとおもう。 先週、へっぴり腰で、「死を思いとどまらせる言葉」 に臨んだところ、まったく予期していなかった ものすごい質・量のメールをいただき、びっくりした。 まず一通を紹介したい。 <思いとどまらせてくれた3人の少年> 私も、小学校6年生当時、自殺を考えていました。 5年生でいじめが始まって、 クラスの女子は全て敵となってしまい、 学校にいても休み時間などはずっと一人でした。 それでも、悔しいという気持ちもあって 小学校を卒業だけはしようと思っていました。 中学校に行っても 同じようにいじめられるのなら卒業して、 春休み中に自殺する計画でした。 6年生当時の私には 中学校へ入学しないということだけが、 現状を耐える為に必要な唯一の希望だったと思います。 自殺をやめた経緯は以下の通りです。 クラスで卒業記念に タイムカプセルを作成することになり、 そこでもいじめる人たちが私に攻撃をしてきました。 4人グループで色紙に寄せ書きすると決まりました。 女子は4人グループを作ると私が一人余るように 計画されていました。 そして男子の余った人間3人と私が組むように 仕組んでいたようです。 グループを組む時、 もちろん私に声をかける女子は存在せず、 教室中央の自分の席で 人がグループを組み私の周りから パーッといなくなる様子を呆然と眺めました。 その時本当に悲しかったです。 どうしようもなく涙しそうになりました。 ほんの数秒のことですが、とても鮮明に覚えています。 中央にいるぽつんとしている私に 声をかけてくれたのは男子でした。 その男子3人は友達も多く、 4人で組もうと誘われたところを わざわざ、3人になってくれ、 私に組もうと声をかけてくれました。 「○○○、一緒に組もう!」 という一言が私を救ってくれました。 友達は女子だけじゃない、 男子もいるじゃないかと思いました。 中学校へ入学することも その一言を頼りとして私は決めました。 その後を言えば、 中学生になれば、男子とは年齢を重ねるにつれ、 相互理解は難しくなり距離ができたと思います。 女子とは仲良くなる術が分からず、 そして怖さもあり、親友はおろか友達もいません。 現状も仕事以外の付き合いは 何もないような人間関係です。 かなり孤独な人間です。 ですので、現状をみれば、自殺せずに良かったよ!と 思いっきり言えるような人間ではありませんが、 それでも 自殺を思いとどまることができ良かったような 気はしています。 自殺を思いとどませてくれた少年3人の姿は 交流のなくなった今でも 私を支えてくれているように思います。 (読者 ミーさんからのメール) 続けて、もう一通。 原文のままのせたいのだが、 プライバシーのため、山田の改変を加えて紹介する。 <夢中で読んでいた言葉> 来年いっぱいで私は解雇されます。 仕事がうまくいかず、 はじめは部長だったのですが 新しい部長が現れ、私は部長補佐になりました。 さらに会社から、 私の担当事業を撤退する、と宣告され、 来年いっぱいかけて 撤退のための後処理をやり遂げれば、 私は解雇されます。 降格に次ぐ降格で、今は主任という役職です。 給与もがっくり下がりました。 部下は次々に辞めて行き、 これからもどんどん 部下がいなくなっていきます。 なので、仕事は山積み、 睡眠時間も少なくなる一方です。 死にたかった。消えてしまいたかった。 死ななくても、行方不明、蒸発、とか、 この角を曲がったら車が出てきて死ねるかな、とか 文字通り死神が肩の上でハゲワシのように タイミングを見計らってる、という感じでした。 そこに、さらに、恋人からの反応が悪くなりました。 私はもうマイナス思考の螺旋へはまり込みました。 余裕がない、悪いほうへとばかり思考が走る私の元へ、 やはり余裕がなくて 平面的な感情が死んだメールが届く。 追い討ちでした。 何も信じられなくなった。本当に死にたくなった。 で、「自殺」をgoogleで検索しました。 取り留めのないことを書いている掲示板を見つけました。 「死にたいくらい落ち込んで頑張れないやつに 頑張れって言って、 届くと思ってんのかねえ」というような 発言が目にとまりました。 無理だね、と思いました。 数時間かけて掲示板を読み、 気分がまったく変わらない、 それどころか死に方を調べている自分に気づいて、 検索結果に戻ってさらに眺めていると、 「あなたが あきらめた場所で あきらめたまま生きる そのままで あなたは前を向けるし 歩ける様にもなれる」 という文章を見つけました。 リンクをたどって、 夢中でこの人の言葉を探し読みました。 生きていていいんだ、 無理して過去の栄光に立ち戻る必要はないんだ、 と、思えるようになりました。 その過程で、他人(ひと)が見る自分と 自分が見る自分とに 気づかない差があること、その差が 苦しみを生み出していること、 気づかないその差が大事な人を傷付けていること、 「愛する」ということ 色々見えてきました。 もちろん、仕事山積み、睡眠時間も少ない、 会いたい人と会えない、という状況は 苦しいものですが、苦しみも愛してしまえ、 とでもいうのでしょうか。 そんな心になりました。 その結果として、 死ぬことを思いとどまったのではないかと、 そう思っています。 (読者 匿名さんからのメール) 続けてもう1通紹介したい。 <救ってくれた先生の言葉> 「もう考えなくていい」 これがどれだけ優しい一言なのか、 わかってくれる人はいるでしょうか? 死を意識しているのかさえわからない、 自分を蔑み続ける朦朧とした毎日。 電車のホームで、 足を踏み外したと見せかけて 線路に落ちたいと、 明確に思ったことだけを覚えている。 そんな状態の中、出会って数週間の塾の先生に、 人知れず抱え込んだ悩みを、初めて語った高校生。 その私の人生を変えた言葉が、これです。 職員室でいきなり始まった数時間に及ぶ独白を、 一度も遮ることなく黙って耳を傾けていた先生。 語り終えて安心したのか、逆に恐怖に襲われたのか、 急に黙り込んだ私に、 早すぎず、遅すぎない 間(ま)を置いて、帰ってきた言葉。 その『間(ま)の絶妙さ』に、 「思いが受け取られたのだ」という 祈りが成就したような、湧きあがる歓喜を覚え。 彼から発される 『体を包まれるような思いやりの気配』に、 全身の緊張が解けていく。 そして、その後に続くあの『言葉』で、 迷い込んだ思いのどす黒い塊が融けていく。 この3つのどれもが 欠けてはいけないものだったんです。 全てが相乗して、初めて「救い」へとなるのだと。 その後、数ヶ月は虚脱状態となり、 先生の言う通りに行動するだけの人形のような 時期を経ましたが、 後日、性格が180度変わりました。 死など影さえ見えない、明るく前向きな生徒へと。 実は本人も、当時どんな変化が自分に起こったのか、 良くはわかっていないのです。 無理やり後から考察してみて、言葉で説明すると こうなるのかな、という程度です。 でも、確実に言える事は、 「言葉だけではなかった」 ということです。 言葉を発する人が持つ、受止め続けた悩みの数だけの 経験・考察などの全てが反映された結果が、 なんらかの形で伝わることで、 相手を受止め、心を呼び戻すのだ、と、 私は今になって思います。 (読者 ペンネーム阿川 礼奈さんからのメール) 先週から考えたことが2つある。 ひとつは、 「死を思いとどまらせる」にも様々なレベルがある。 私は、どのような結果を目指すのか、ということだ。 私が、目指すのは、 相手の価値観を塗り替えるようなことではなく、 生きる希望を与えるという大げさなことではなく、 「とりあえず今日はやめとこうか……」 とその人に思ってもらえる。 これでもとても難しいのだが、でも、まず 私は、そこを目指そうと思った。 というのも、相手に生きる希望をかざそうとか、 相手を未来永劫、死から思いとどまらせようとすると、 私の場合、気負って、どうしても 相手を動かそうとがんばってしまうからだ。 これは不謹慎でなくまじめに考えたのだが、 たとえば、冬のいてつく寒い日に、 くたくたにへたばって、おなかもすいて、 こたつにへたり込んでいる人に、 通じない言葉は、「コンビニに氷を買いに行け」 通じやすいのは、「じっとそのままそこにいて」。 動くといういことは、しんどいことだ。 だから、考えたことの二つ目は、 「相手がまったく動かなくても着地する言葉」にしよう ということだ。 「大人になれば…」というのも、 「もっと不幸な人に比べれば…」というのも、 いまの悩みが大きいとおもっている人に、 より大きなスケールをかざして、悩みの比率を 小さくしようとする行為だ。 しかし、これは、 「悩みは大きい」から、 「なんだ悩みはちいさいじゃないか」と、 相手が見方を変えないと、着地しない言葉だ。 「命を大切にしろ」も、相手が 命に対する価値観を変化させないと 着地しない言葉だ。 行動、気持ち、ものの見方など、 相手がなにか動くことによって着地する言葉、 相手がちょっとでも変化しないと着地しない言葉、 というのは、たとえそれがどんなよいものであっても、 動くという負担を相手にかけてしまう。 つかれきっているときは、 体だけでなく、 見方を動かすだけでもきついのではないか? 相手が、なにも動かなくても、 1ミリも変わらなくても、そのままで着地する言葉。 少なくとも、 私は、そっちの方向から考えていこうと思う。 読者の美香さんは言う。 <ほっとした言葉> 私が辛かったときに言われて辛かったのが、 「耐えてくれ」といわれたり、 成績が良かったもんで、 「でもお前は大丈夫だろう」と言われたことです。 「つらいこと」を認めてもらえないうえに 放り出されることが更に辛かったんです。 私が凄く助けられたのは、 友達が黙って部屋に入れてくれて、 タオルをぽいっと投げてくれて、 その後はずっと泣かしといてくれたことだった。 顔を上げたら、テーブルにミルクティーがありました。 「つらい」ということに理由をつけたり、 説明しなくていい場所をくれたのを 今でもありがたく思っています。 言葉では、やはり友達に 「よくやった。 もう、あんたが出来る事は何にもない」 といわれたのが一番ほっとしました。 どうして、 偉い人の言葉は子どもの自殺を止められないのか。 「どう具体的に見捨てないのか」を、 子どもたちが納得できる形で 示せなかったからではないか と思いました。 子どもたちの辛さを理解しているのかどうかも。 大人の世界から、大人の言葉で一般化されてから 投げかけられる言葉では 説明ができていなかったんだと思います。 (読者 美香さんからのメール) 一般化はできない。 私も、今の自分の限界に立って、そう自覚した。 この問題に、だれが言っても通じる言葉とか だれに言っても通じる言葉は、 少なくとも今の自分には出せない。 個別に考えていくことだと思った。 つまり、どんな自分が言うか? 他ならぬどんな相手に言うか? けれど、それにも方針はいる、 引き続き、この問題、次週も考えていきたい。 最後に、あと2つだけ、 読者のメールを紹介しておきたい。 メールをくれたみなさん、ほんとうにありがとう! <つらかったとき、ほんとうにうれしかった言葉> 私のその言葉は先生からもらった言葉でした。 「私も本当に涙が出るくらい学校に行きたくないと 思う時があるんだよ」 保健室の先生で、部の顧問だった先生の言葉です。 高校3年生の時、 私は生まれて初めて学校に行きたくないと思いました。 進学校の高校にぎりぎりの成績で入学した私は 勉強に大苦戦していました。 私は中学生まで成績は上位の方だったので、 自分のその時の成績が (私の下にはほんの数人しかいないような) 恥ずかしくて、ショックで、 友達にも言えませんでした。 進学校で勉強できなくて 悩んでるみたいなことを 軽やかに友達にいえないくらい 私は学校内でかたくなになっていました。 高校3年生の2学期、近づいてくる受験と あまりぱっとしない自分の成績に突きつけられている 大学のランクと、活発だった自分が 高校生活でどんどんかたくなになっていって、 友達も仲間ではなく敵になっていた日々で ある日学校にいけなくなりました。 制服を着て家を出るんだけど、 心が重くて重くて、足が向かなくて、でも学校に 行けなくなるような自分が悔しくて許せなくて、 みじめで、孤独で、どうしようもない 行き場のない気持ちを抱えていました。 学校の近くの駅まで行って、 ただただ涙がとまりませんでした。 保健室へ行くと、平日の午前中から来た私に 先生はびっくりしていました。 「先生、私どうしても学校に行けなくなりました」 と泣きながらやっと言えました。 先生からは意外な言葉が返ってきました。 いつもはてきぱき口調がはっきりしていて、 明るくて、厳しくて、でもほがらかなその先生が、 (涙なんて見せたことない先生が)一緒に涙を流して、 (でもいつものようにほがらかに) 言ってくれた言葉です。 「先生もね、同じように 本当に涙が出るくらい 明日学校に行きたくないなあって 思う時があるのよ。先生もそうなのよ。」 全然想像していた言葉と違って、 私のためなんだけど 先生が正直にそんなことを言うので 拍子抜けしてでも先生のくせに そんなこと言うので可笑しくて、 私は泣きながら微笑んでいました。 すーっと気持ちが軽くなるのを感じました。 私はその時「自分が間違っている」と思っていたし、 当然先生に「あなたは間違っている」と言われる と思っていました。 でも、その時先生は「先生」と言う立場で高見の上から 何か教えてやろうなんて思ってなかったんじゃないか と思います。 人は、思い通りにいかなくて、みじめで、孤独で、 そういう時はいつだって苦しいし、つらいんだと。 それは間違いとかではなくて、大小もなく、 彼女も私も、みんな同じ。 だめだと思ってもいい、明日も生きよう。 私はそう、思えました。 その後無事、高校を卒業して、大学に進学しました。 先生は3年前に癌を患い 44歳の若さで亡くなってしまいました。 (読者 まゆみさんからのメール) <誕生日にもらった言葉>> 私は34歳の教師です。 27歳の時、中学3年の担任をしていたのですが、 その3年生が荒れていわゆる授業が成り立たないことが よくある状態になっていました。 一部の生徒たちが私たち教師に 大きな不信感を抱くようになってしまい、 同じ学年を担当した他の4人の先生と話し合いながら 一緒に対応しましたが、 私たち教師の言葉が届かずに、 どんどん学校の物や設備が壊されることが続きました。 また、私のクラスの中であるおとなしい生徒に対しての 集団での暴力も発生しました。 教師になって4年目の私は、 一生懸命指導に取り組みながらも、 そんな状況に疲れ果ててしまって 仕事を休むようになってしまいました。 それでなくても大変な状況で、 自分が抜けた穴は同じ学年の先生方の さらなる負担となるのに、 その当時の私は自分の苦しみで 頭がいっぱいになってしまい、 死んで自分の責任から逃げることを考え始めました。 休み始めて数日、その日は私の誕生日で、 「こんな私は教師としても人間としても失格だ。 どうやって死のう‥‥」などど考えてました。 その時に、電話が鳴りました。自宅にいましたが、 とても電話に出られる状況と心境ではないので、 留守電設定してあったそれに、 残してくれたメッセージは クラスのある生徒からでした。 詳細はよく覚えてませんが、 「先生誕生日だったよね、おめでとう。 具合はよくなりましたか。 先生が学校に戻ってくるのを待っているからね」 という内容でした。 それまで、親、校長や同僚の先生方の励ましの言葉でも 立ち上がることができなかった私でした。 一生懸命やってもやっても上手くいかず、 教師として自分はだめなんだ、まったく価値がないんだ、 自分なんかいなくてもいいんだ、 としか考えられなかった自分が 「経験も指導力もない私を、 それでも待っている生徒が一人でもいるなら、 どんなに苦しくても,上手くいかなくても、 みっともなくても学校でがんばるべきなのではないか」 と思えるようになりました。 (読者 34歳教師さんからのメール) |
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2006-11-22-WED
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