おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson340 反作用をこらえる 少し前、 メールでかなり厳しいことを言われたことがある。 自分にも反省すべきところは多々あった。 でも、そのメール、そのまんま受け取るのも かなり抵抗がある。 どう返信したものか‥‥、 2つの道が頭をよぎった。 ひとつは、「自己弁護」の道。 「それは誤解だ、私はそんなんじゃない」 と、自分の正しさを筋道立てて相手に説明していく道。 もうひとつは、「わびる」道。 全面的には受け入れられなくとも、 自分の非を積極的に認め、受け入れ、 相手にあやまる道だ。 自己弁護すれば、幾分気が晴れるだろうし、 相手の心象がいいのは後者だ。 でも、なんかどっちも違うような気がした。 あえて名誉の回復をせず、 かといって、相手に謝ることもしない。 いわゆる反作用みたいな表現をいったん、こらえる ということを、そのときはした。 自分の非を指摘されれば、 自尊心が傷つくし、 罪悪感とか、悔しさとか、感情が波立つ。 だからすぐさま何か返そうという反作用が働く。 反作用は他にも、たとえば、 すまないことをしたら、いいことをして埋めあわせたい。 胸にぽっかり穴が開いたら、代わりの何かで埋めたい。 不安にされたら、相手から証(あかし)を求めたい。 など、様々に働くと思う。 でも、そこから何か言って‥‥、 また相手から言葉が返ってきて‥‥、 を繰り返していくと、 かけちがえたボタンのように、 先へ先へと問題がずれていくような気がする。 「ふだんどおりの自分でいる」 ことが、そういうときは難しいのだろう。 攻撃された反作用で、 ヘンに善人ぶろうといきがっていたり、 ヘンに反省したり、自分を変えようとしていたり‥‥、 ふだんどおりの自分らしく考え、ふるまい、 言葉を発するところから、 立ち位置がズレてしまっている。 「ビジョンを示す」 そのとき返信メールの冒頭に書いたのは、 そういうことだったと思う。 たいそうな言い方だけど、 そんなカッコイイものではなかったけど。 自分の沽券が傷ついたの回復するのという問題は、 全体から見れば小さな問題だ。後回しにできる。 それよりも「プロジェクト」を進行させることだ、と。 別に仕事に限らなくても、 人とぶつかるとき、 自分と相手の間には 何かしら進行中の「プロジェクト」がある。 例えば、友だちと旅行にいくことで、もめたとしたら、 自分と相手の間には、 「旅行を成功させる」という計画があるし、 仕事ならなおのこと、はっきりした計画・企画がある。 すこし大きな視野でよくよく考えてみると、 人と人の関わるところ、 何かしら進みつつある計画があるようだ。 それをこの先どうしたいかという「ビジョン」を示す。 私は、返信に自分のことはいっさい書かず、 自分と相手の間に進行中の問題について、近未来に 「こうなったら嬉しい、こうなったら面白い」という、 ビジョンをまず書いた。そして、 「そこにもっていくためにどうしようか?」 「ちなみに自分はこうしたいと思っているのだけれども」 という手続きで話を進めたら、 非常に難しい局面だったけれども、 意外にも、あっさり話は通り、 進行中のプロジェクトは、早く確実に一歩を進めた。 そのせいで相手の心象までよくなった。 攻撃や失礼や自分のいたらなさで自分の沽券が傷つくとき。 「まず自分の沽券回復」→「それからプロジェクトの進行」 とやりがちだ。 でもこれでは、 全体から見て話がわかりにくくなるばかりか、 せっかく進みつつあるものまで、 ズレ、こじれ、おかしくなってしまいかねない。 ひどい人間だと言われたら、いい人間だと弁明しない。 すまないことをしたら、いいことをして埋めあわせない。 胸にぽっかり穴が開いたら、代わりの何かで埋めない。 不安になったら、人から証(あかし)を求めない。 反作用をいったんこらえる。 それよりも、 自分をとりまく状況をちょっと広い目で見てみて、 そこに生まれ、 進みつつある「面白い企て」を前に進めることだ。 「ふだんどおりの自分でいる」ことがむずかしいとき、 私は自分にそう言い聞かせてやろうと思う。 自分の沽券なんて、言葉で説明するより、 プロジェクトを進めていく中で、そして成功させることで 説明するほうが、よっぽど説得力があると私は思う。 |
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2007-03-14-WED
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