YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson364
 知ってないと恥ずかしい「お願いの常識」


たとえば仕事で人に何か頼む、
PTAで講演会の担当になって講師を呼ぶなど、

社会に出たら「お願い」は避けて通れない。

なのに、おっかしいなあ、

どうして私たちは、学校を卒業するまでに、
きちんとした「お願い」のしかたを
教えられてないんだろう?

先日もこんなことがあった。

夜遅く、
まったく知らない人から「講演」の依頼の電話があった。
その人は、あいさつもそこそこにこう言った。

「10月4日は空いてますか?」

はっ??? と絶句する私に、
その人は、こうまくしたてた。

「明日までに、企画をあげなきゃいけないんですよね。
 いま企画書を書いてるんですが。
 クライアントの方で、
 あらかじめ講師のOKを
 もらっていることが条件なもので‥‥。
 で、10月4日は空いてますか?」

こんな依頼で、「はいはい」と受ける講師がどこにいよう。
受けるとしたら、よっぽど仕事に困っているか、
よっぽど無責任か、だ。

相手は、学生でもなければ、
一度も働いたことのない主婦でもない。
イベント会社で企画やブッキングを担当しているという、
れっきとした「社会人」だ。

私はコミュニケーションの教育が仕事だ。
マスコミ志望者の育成もしている。
だから、こういうときは丁寧に指導する。

「初めての相手に、夜遅く電話をするときは、
 <夜分すいません>といいましょうね。
 それだけでも自分が非常識でないことが伝わりますから」

「自分が何者か、
 相手にわかるようにちゃんと名のりましょうね。
 知らない人から突然電話がかかってきたら、
 向こうだってどんな人なのか不安なんです」

「簡単でいいので講演の趣旨を伝えましょう。
 例えば、就職を控えた若者に
 コミュニケーション力をつけさせる講演、
 そのくらいでもいいですから」

私が説明すると、
その人は、いちいち初めてのように感心して聞いている。
「いやあ、タダで授業を
 受けさせてもらってるみたいで‥‥」
声に素直さがにじみ出る。

悪い人ではないらしい、ただ教えられてないだけなのだ。

どうしてだれも、その人に教えなかったのだろう?
「人にお願いをするときは、
 こちらの都合や内情をベラベラしゃべってはいけない」
というお願いの常識を。

イベント会社の先輩たちも、
このような失礼な依頼をされただろう人たちも、なぜ?

「明日までに決めないと自分が上司に怒られる」とか、
「他の人に断られて困っている」とか、
頼む側の内情は、相手にとってはどうでもいいことだ。
頼まれる側は、
「そんな小さな個人の都合のために私はかり出されるのか」
ということになる。

この国には「お願い」のスタンダードが根づいてない。

うちら、義務教育も真面目にやった。
高い金を払って、高校や大学を出ても、
なぜ、きちんとした「お願い」の手紙ひとつ
書けないんだろう?

例えば、小学校の教科書に、
お願いの手紙の書き方がのっていて、
演習や実習を通して、小学校を出るまでに、
きちんとした「お願い」の文章が
書けるようになっていると、
それだけでも、素敵なことだと思う。

はやい子なら、中学から、
自分の興味を感じたテーマについて、
ちょっとした取材に出たり、
外部の機関などに問い合わせて
情報を集めたりできるはずだ。
それは、自由なことだ。

学校と言えば、
学校の先生は総じてコミュニケーション力が高いのだが、
やっぱりこんな人もいる。

ある学校の校長先生という人から、電話があった。
立場のある人だけに、きちんと名のり、あいさつも丁寧、
「いついつ講演会があるのですが‥‥」と
日程を言ったあと、

「で、どうでしょう?」

といきなり私に返事を聞いた。
何も聞かないうちから、どうでしょうと言われても…、
私は、講演会は
「人が育つ場」をきちんとつくることだから、
安請け合いは、かえってそちらにご迷惑になる。
講演の趣旨や条件など、おうかがいしてから、
責任をもって検討し、お返事をしたい、と言った。

相手は先生だから、
「このような対象にむけて、こんなねらいで、
 ズーニーさんにおねがいしたいのはこんなテーマで」
と生徒に話すように
かいつまんで説明してくれるかと思った。

ところが、どう説明したらいいか、
うまく言えないという様子だった。
しばらくだまって、でも、すぐきりかえて、
「じゃ、講演の資料を送ります」と電話を切った。

しばらく待って、ファクシミリが1まい送られてきた。
その講演の資料というのは、
いわゆる「内部資料」というやつで、
外部の人間が読んでもさっぱりわからない。

なんとかそれを解読するに、
どうもそれは、当番表というか、
学校どうしの回覧板みたいなもので、
2006年は、この学校が地区の講演の当番ですよ、
2007年は、この学校ですよと、
学校同士に連絡するものだった。
それをそのまま、送り状もなくおくってこられた。
これを私が見て、どうするというのだろう? それよりも、

「これを外の人が読んでもわからないだろうな」、
ということに、なぜ、先方は気づかないのだろうか?

「伝える前に、返事を聞いてはならない」

これもお願いの常識だ。
「お願い」というと、頼む方の最大の関心事は、
受けてくれるか、くれないか、で、
ついついはやく返事をと、つめよりたくなるが。

相手だって、内容がわからなければ引き受けようがない。
相手が判断するのに「必要最低限」の説明をせずに、
受けてくれるかくれないか、と聞くことは、

商品も見せず、説明もせず、
お客に「買うか、買わないか」とつめよるようなもので、
押し売りだって、商品を見せる前に、
「買うのか買わないのか」
とはやらないものだ。

1伝える→2相手に検討の期間を与える→3返事を聞く

という手続きを踏むのがキホンだ。
これすっとばして、いきなり返事を聞く人、
ほんとうに多い。

その後も私は先方に、講演の内容について聞くも、
先方はどうしてか、
そこですぐ口で説明すれば済む簡単なことを、
なぜか説明をせず、「あとで資料を送る」とか、
「あらためて書面で」とお茶を濁す。
でも、あとで来た書面には、条件など検討に必要な
具体的なことは一つも書いておらず、
ただ「ぜひ受けてほしい」というようなことだけが
書いてあった。

「言葉に心を砕かなくても通じる環境」なのかな、

と僭越ながら、私は思った。
私も田舎で育ったからわかるのだ。
田舎では、みな気心が知れているから、
あまり言葉に心を砕かなくても
なんとなく通じる範囲が多く。

かえって、「対象」がどうの、「費用」がどうの、
言葉ではっきり検討していくのも、まがまがしいというか。
かえってことを荒立てても…というような風潮がある。

「で、どうでしょう…?」
「ええまあ…」と、曖昧にしておき、
なあなあ、やあやあで、なんとなく了解しあって、
なんとなくことが進む。

とくに立場のある人の中には、
必死で言葉で自分を説明してわかってもらわなくても
まわりが自分を立ててあわせてくれると
思っているタイプの人もいるので。

言わなくてもわかってもらえる、

そう思って、ちょっと面倒な説明を、
「あとで」とか、「資料をみて」とか、
曖昧にしているうちに、
いざ言おうとしても、
日々の訓練がないから言葉が出てこない。
そんな状況になっている人もいるのかなとおもう。

でもその常識は東京の常識とは、ずいぶん違うと思う。
どっちがいい、わるいの問題でなく。

東京では競争が激しいし、
みんな忙しい。

自分も16年間編集者をし、
お願いの手紙をたくさん書いたが、
講演をひとつ頼むにしても、原稿をひとつ頼むにしても、

いい先生のところには、
いつも依頼が集中している。
だからといって、暇で、
いつでも受けてくれる先生に頼んでも、
だれも頼まない=それなりの内容であることも
何度かあった。

だから、いい仕事をしようとおもったら、
好むと好まざるとに関わらず、
競争にまきこまれることが多くなり、そこでは

人を動かすのは「言葉」だ

ということに、多くの人がかんづいている。
ベストセラーを出す出版社では、編集者は
人気作家を口説き落とすために、
何度でも手紙を書き直すし、ノウハウも蓄積されている。
フリーランスで活躍している人の中には、
所属が自分を守ってくれない分、
一発で相手に届く言葉に、日々心を砕いている人もいる。

こういう人たちの中には、
年齢、経験に関係なく、驚くほど、
人の心を動かす依頼の手紙が書ける人がいる。

訓練して、きちんとした「お願い」の術を持った人と、
訓練どころか基礎さえ知らされなかった人と、
ぱっくりと2極化していることを感じる。

この差が、ただ機会と訓練の差であることに、
わりきれないものを感じる。

口ベタな依頼者の招きで講演会に行ってみると、
それがとてもいい、
想いのこもった場だったりすることも、とても多いのだ。

逆に、要領のよい、口のうまい人の依頼書も、よく見ると、
私の名前ではない、他の人の名前が出てくることがある。

依頼に手慣れた人は、
まえに別の人にあてた依頼書を
コピーして、流用する。
そのときに、依頼要項などの細部に、
まえの人の名前が残ってそのままにされているのだ。

これも見たとたん、ゲンナリとやる気が落ちる。
最近、この手のミスがほんっとうに多い。

他の人への依頼書を流用するときは、
直し漏れがあってはいけない。
とくに相手の名前は表記まで、
書いた後と、出す前、2回チェックする。
これをメール時代の新たな常識にしてほしい。

要領はあってもそこに想いがない人よりも、
想いのある、口ベタの人にこそ、がんばってほしい。
私は、そういう人の味方だ。
そういう人に、「お願いの方法」をつかんでもらって、
もっと自由に、外の人とつながってほしい。

「お願い」のキソを教えられていない人が
あまりに多い現状を看過できないと思い、
今回、あえて、このコラムでは何度も触れてきた
「お願い」の方法を取り上げた。

次回は、ここを読めば、だれでもひととおり、
相手に失礼でない
相手にわかる
「お願い」ができるというスタンダードを
紹介していこうと思う。


●今週のおさらい●

1.自分の都合や内情でなく、
  「どんな対象にどんな貢献をしたいか」で
   依頼理由を示す。

2.「伝える」まえに、
  「返事を聞く」ことは恥ずかしい。

3.他の依頼書を流用するときは、
  直しモレはあってはならない。
  とくに相手の名前に注意して2回見直す。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
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2007-09-05-WED
YAMADA
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