おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson419 選択の後、つらくなったっていい 人生の大きな選択をしたあと、 しばらくたって、 だれでも一度は不安がよぎる。 「自分の選択は正しかったのだろうか。」 そのときに、 「今がつらいから自分は選択を誤った」 「今が楽しいから自分は正しかった」 と考える人がいる。 これはいいことなんだろうか? 私は、選択というものは、 決めるときより、その後を生きる方が何倍もしんどい と思っている。 前に進む選択をした人に、 むしろ、つらい時期がくるのは当然ではないか。 だから、つらくなったっていい。 その選択はまちがっていない、 ということを、きょうは改めて伝えたいと思う。 スポーツ選手の引退にしても、 芸能人の離婚にしても、 身近な人の退職や、起業にしても、 一大決心をした、そのときに、 マスコミも、人も、光をあてる。 ヒーローにするときもある。 でも、その後の地道な取り組みは、 なかなか見えてこないものだ。 選択のその後はどうだったのか? ある大学でワークショップをしたとき、 たくさんの学生にまじって、 一人の主婦が参加していた。 その人は、「良き妻・良きお母さん」として 20数年、家庭を支え、 子どもも手を離れたので、 派遣として大学に働きにこられていた。 その、いかにも 「いいお母さん」な感じのする中年女性が、 しかし、その外見からは想像できないスピーチをしたので、 みんな、息をのんだ。 「私は20年間バレリーナを目指していました。 でも、その大好きなバレエを捨てて、 家庭に入りました。」 彼女は青春時代を バレリーナになるために捧げた。 中学・高校・大学と、 家で家族と晩ごはんを食べた記憶が無いほど 毎日、毎日、遅くまで練習をしていたそうだ。 バレエは自分のすべてで、 ほんとうに大好きだったそうだ。 そこまで大好きなバレエを、 でもだからこそ、ご両親は大反対した。 バレエでは食っていけないというのもあるが、 「これだけバレエにのめり込んでいては 娘は一生、結婚もしない、できないのではないか」と。 娘の幸せを願えばこその、 激しい反対、徹底した説得、 でもそれは、あまりにも強かったそうだ。 あまりに強い反対が続き、 しまいには彼女はこう思ったという。 「これだけ反対する親の言うことにさからって、 何かしても、 自分はこの先、幸せになれないんじゃないか?」 そこで彼女は、 断腸の思いで、 バレリーナになる夢を断ち切り 大好きなバレエをいっさい捨てて、 お見合いで結婚し、家庭に入った。 この日のワークショップには、 やはり、医者になる夢を父親に阻まれた女性が来ていた。 「女の子が医者だなんてとんでもない」と。 私も彼女たちと同世代だが、そういう人はたくさんいる。 私たちの世代は、 女性の社会進出が声高に叫ばれるものの、 実際は、根強く「男は仕事・女は家庭」の習慣が 残っているという微妙な状態で、 人生の進路を決めなければならなかった。 戦中戦後を生きている母の世代ならば、 まだまだ女性は、仕事を持つことを許されず、 女性は、良き家庭人になって当然としつけられたし、 いまの若い人に至っては、 女性が働くのはあたりまえになっているし、 結婚をしないという女性のライフスタイルも 認められてきている。 私たちの世代は、 社会の本音と建て前が、引き裂けているなかで、 自分の中でも、「古風な女でありたい」部分と、 「新しい働く女を生きてみたい」という、 2つの自分がせめぎあっていた。 そのために、家庭にはいるにしろ、 働くにしろ、女の進路選択に一大決心がいった。 さて、選択のその後はどうだったのか? 大好きなバレエを、いっさい捨てた人生は、 一言で言って、 「自分になんにも自信が持てない。 どうしても自分には、 自信に思えることがまったくできない」 感じだったという。 旦那さんや、お子さんの話をする彼女は 幸せそのもので、 実際、彼女は家庭につくした分、 幸せで豊かな家庭を築いている。 それは、はたから見て、充分誇れることだ。 それでもなお、「大好きなものを捨てた」という選択が、 彼女の中に「自分に自信が持てない」 という形で、ずっと残りつづけているのが印象的だった。 でも、彼女のように、いったん家庭を選んだ女性が、 中年になってから、自分自身の人生を生きようと、 社会に出て行くことも最近目立ってきた。 いまワークショップで全国を回っていると、 中年になってふたたび、 あるいは、人生で初めて、 社会に出て働こうとする女性たちの 意欲と、潜在力の高さに圧倒される。 彼女も、育児を終えて、社会に出て、 旦那さんの扶養の枠内でできる仕事で働きはじめた。 でも、自分の仕事の報酬を、 同級生の報酬と比べたときに疑問がよぎる。 同級生たちは、すでに会社では部長クラス、 銀行では支店長になっている人もいる。 単純に年収をくらべると、自分の8倍から10倍。 「半人前という言葉はきいたことがあるが、 いまの自分は、人の“10分の1人前” 。 自分はそれだけの価値しかないんだろうか?」 「子育ても終わったのだから、 いまからでも好きなバレエを またはじめればいいじゃないか」 と人は言う。 でも20年間かけて鍛え上げた筋肉は、 20年間なにもしなければ、きれいさっぱりなくなって 跡形もない、と彼女は言う。 そんな彼女の心の中に、 いつからか、「多読」に重点を置いた 「英語教育」をやりたい という意志が芽生えていた。 彼女がそれを目指した動機や、 具体的に、その英語教育をどう展開していくか というプランは、とても説得力があった。 優秀な大学で、優秀な学生がたくさん将来の夢として、 スピーチをした中でも、非常に実現性と説得力があり、 支持されていた。 20数年、主婦として、育児や実生活を通して社会と関わり、 そのはずさない現実感覚の中で、 いまの「英語教育」が切実に問題意識に登った。 そこから出発したものだから説得力があるのだ。 いまは、「英語教育」の仕事を自ら起こすべく、 一歩を踏み出した彼女だ。 彼女のように、 潜在力を多く秘め、いったん家庭にはいった女性が、 再び社会に出よう、自分を生かそうとするときに、 やさしい社会であってほしい。 「再び社会に出よう」という選択をするのも、 勇気がいる選択だが、 その後のほうが、ずっと大変だと思う。 彼女は、家庭がうまくいき、ご家族の理解のもとに、 第二の人生を踏み出すわけだが、 なかには、熟年離婚など、 家庭を捨てるという選択をして社会に出る人、 あるいは、家庭を捨てるという選択をしなければ、 再び社会に出る道を許されない、 自分を生かす道に踏み出せない事情の人もいる。 家庭のために半生を捧げた女性が、 離婚など期に、社会に出て働こうとしたとき、 たぶん予想以上につらい時期が あるのではないかと思う。 一番は、「アイデンティティの組み換え」の問題だ。 よき妻・母であったひとほど、 そこにすべてを捧げてがんばってきた人ほど、 「主婦」という自分の人生最大のアイデンティティを失い、 「家庭」という居場所を失うことになる。 アイデンティティは失うのは一瞬でも、 つくっていくのは、長く地道で根気の要る作業だ。 同じ中年で離婚するカップルでも、 夫のほうは、アイデンティティまでは失わない。 主婦に支えられて、結婚生活の間中、社会で活躍し、 充分な自分の居場所や地位、充分な人のネットワーク、 充分な仕事のスキルが、自分の中にあるからだ。 男には男のつらさ、女には女のつらさがあり、 どっちがどうと比べられるものではないが、 見ている風景はずいぶん違うものだと思う。 離婚後、あたらしい伴侶を得るにしても、 男性のほうが、女性より、結婚や出産の年齢は、 高い分、余裕があるように思う。 くわえて、社会進出するための、準備やスキルなど、 どのように自己教育していくか、という問題がある。 私自身は38歳で、 現役会社員からフリーへの転身だったが、 それでも、職種が変わったため、 ハンパでなく、とまどったし、ものすごくもがいた。 基礎づくりだけでも5年かかった。 まったく働いたことのない主婦や、 長くブランクがあった主婦が、一からはじめて、 働き甲斐のある仕事を起こしていこうとするときに、 とまどいも、基礎づくりの期間も、 長く苦しいと思う。 いわば、結婚生活を支えている間、 ご主人が、社会に出て、新人時代から 仕事のなんたるかを一から覚え、 経験を通して能力を磨き、 月日をかけて人間関係を構築していった分の苦労を、 中年になってからのスタートで、一気に集約して やらなければならないということだ。 だから、なにか新しい道に進む選択をした人が、 一時期、つらくてたまらないようなところを とおりすぎなければならないのはあたりまえだし。 その選択は、自分の人生にかつてない、 新しい領域に足をつっこみ、 自分の中の、開発していなかった潜在力が、 鍛えられていることの証だ。 だから、つらくなったっていい。 その選択はまちがっていない。 進む選択をした人は、一時期つらくなる。 つらくてどうしようもない、出口のないところに 完全にロックされたような状態になる。 それは、むしろ進んでいることの証だ。 短くても、5年ぐらいで基礎づくりと思って、 時間をかけて、希望を持って、 新しいアイデンティティを編み上げるまで 自分を温かい目で育ててほしい。 アイデンティティを組み替える人に 尊敬と寛容のある社会であってほしい。 |
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2008-11-05-WED
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