おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson423 結婚しても働きますか? ――3.社会的矯正から自由になる 「結婚しても働きますか?」 という選択肢そのものが、男には与えられていません。 私は、37歳・男で、 家族を守るために働いています。 しかし、妻は、「仕事をやめる」選択肢も持っていて、 いざというとき、選ぶこともできるのです。 以前、「僕が家庭に入って君をサポートするから、 君は外で思い切り仕事したらいいよ、と言ったらどうする」 と訊いたら、 妻は「そんな非現実的なこと」と検討すらしませんでした。 そういう提案を真剣に検討しようとする女性が どのくらいいるでしょうか? (読者 haraさんからのメール) 自分だったらどうするか? と考えてみた。 ちょっとショックだった。 「いや」、なのだ。 それは、夫が病気になるとか、 育児とか、親の介護とか、なにか事情ができたら、 私も夫のために喜んで働く。 だけど、ただなにもなく、 ただ、結婚を期に夫が家庭に入りたいといったら、 とても自分のほうに受け入れるキャパがなさそうだ。 私は女性の社会進出の矢面にもなり、 小論文でジェンダーの問題も扱い、 自分なりに進歩的な考えをもっていると思っていた。 しかし、世の男性の多くがすでに検討済みの問題に、 ただ不意うちを食らって、面食らっている。 この差はなんだ? 「教育の差」。 もっと言えば、社会的すりこみの差だ。 レッスン420で 読者の「のりさん」が言ったように、 男性は、常に、 「自立」して生きなければならない という社会的矯正を受けて育つのに対し、 女性は、常に、 「依存」して生きるのが良いという価値観に基づいた 矯正を受けて育つ。 男性は、幼い子どものころから、 「将来はどうやって食べていくのだ? そんなに弱くて どうやって嫁さんや子どもを食わせていく?」と、 自立だけでなく妻子を背負う矯正まで コツコツされて育つので、 就職のころまでには、相当に追い込まれてもいるし、 この社会で自分がどうやって食っていくかについて 考えさせられている。 女性は、「女は家庭」の価値観の刷り込みに、 相当に道を阻まれソンもするが、その分、 あまり早くから進路を決断しなくても、 社会から責められない、あるいは責めてもらえないで育つ。 だから、就職の選択は唐突にくる。 トツゼン、一気に、集中して考えて決断せねばならない。 私の人生最初の大きな進路選択は、 33歳のとき、 地元の岡山に残るか? 東京に出るか? だった。 私は、小さい時からずっと地元志向があり、 地元の小学校の先生になって、母に楽をさせてあげたい と地元の国立大・教育学部を選んだ。 就職のときも、東京にいかないかという 友人のそそのかしにも、 「家族と離れる気はない」といっさいなびかなかった。 これは自分で選択したことである。 しかしヘンなのだ。その気持ちとうらはらに、 自分の中に、「早稲田とか、慶應とか、 東京の大学を目指してがんばっていたら、 ひとつまちがえば受かっていたんじゃなかろうか。 東京の大学にいっていたら、自分はどうなっていたか?」 と、たびたび考えてしまうのだ。 地元岡山の企業に進んで、 東京から来た同僚の話を聞いたり、 東京に出張にいくようになって、 さらに、「もし東京に行っていたら」 と考えるようになった。 先日、25年ぶりに同級生に会った。彼女は、 ふるさとの同じ高校から同じ大学・同じ教育学部に進んだ。 彼女はなんと、高校の進路面談で、 「早稲田の文学部を受けたい」と言ったそうなのだ。 そして答えはNO、受けさせてもらえなかったという。 合格率をあげたいという意図もあるだろうが、 当時、地方では、地元志向が根強くあった。 とくに女の子は地元にという願いが、親も、先生も強く、 「偏差値×距離」で、輪切りにされるように、 進路をあっせんされた。学部も文学部より 就職に結びつきやすい教育へと緩慢に誘導されていた、 それと知らされずに。 自分の意見を言って、 なんとなく親や先生の願いに 言いくるめられてしまった友人と。 なんとなく親や先生の願いのほうを 先に感じ取ってしまっていて、 それを自分の意見と信じて、ほかを見なかった自分と。 これは自分で選択したことである。 しかしどこまで「自分の選択」か? そんなご時勢だから、33歳になる女が家族と離れ、 ひとり、やりたい仕事を極めるために 東京に行くなどというのは、 ずいぶん心理的・社会的に抵抗のあることだった。 当時勤めていた部署が、 部署ごとゴッソリ東京に行くことになり、 全員が人生の選択を迫られた。 いまの仕事を続けるために東京に行くか? 岡山に残るために別の道をとるか? 別の道というのは、子会社への移籍、 運よく岡山に残れても意に添わぬ部署へ異動、 地元の別会社へ転職、 仕事を辞めてしまう、などなどだ。 女性は、やはり、 いろんな理由から東京行きを辞退する人が目立った。 私の隣の同僚は、男性だったけど結婚が決まっていたので、 スパッと会社を辞めて岡山に残り、それもかっこよかった。 自分はどうするか? 人生の選択にあたって、相談した二人の先輩がいる。 一人は職場の上司。もう一人は 地元テレビ局のディレクター。 いずれも男性だった。 「女性なんだから‥‥」というようなことを 言われるかなあと思っていたら、 二人の反応は、まったく予想を裏切るものだった。 「東京に行きなさい。」 間髪入れず、迷いなく、二人の先輩はそれぞれ断言した。 「プロとして一生働き続けるつもりなら、 一度東京を経験しなさい。 東京を知れというのではない、 東京では全国レベル、 世界レベルの仕事もされているから、 全国レベルを一度経験しなさい。」 「いずれ地方に戻るつもりでも、 いったん全国水準を経験してからのほうが 仕事が広がる。」 「人を羽ばたかせる」ということが できるのだとしたら、 二人の言葉は、間違いなく、私に翼をつけてくれた。 当時は偶然だと思っていた。 たまたまいい先輩にあたったと。 しかし、いま、偶然ではないとわかる。 ずっとずっと考え続けてきたからだ。 二人の先輩は、ずっとずっと、自分自身がプロとして、 この社会でどう自立して生きていくかということを。 私が考え始めるよりずっと早くから、ずっと切実に、 ずっとコツコツと考え続けてきた。だからブレなかった。 男もつらいんだ、と生まれてはじめて気がついた。 のりさんの知人の男性が、 20年間バレエという好きなことを続けられた女性に、 「その自由さが羨ましい」 と言ったのを思い出す。 男性の場合は、もっと早いうちから、 「そんなことはやめて良い大学に、良い会社に、 収入がないと生活できないぞ」となると。 小さなうちから、 人によっては好きなことさえ早々に取りあげられ、 自立をあおられ、 社会に出てからは、自分と社会の抜き差しならぬ緊張に ずっと身を置き続け、自分の足で立って当然と、 男性はずっとずっと矯正されてきた。 変わり続ける社会に対して、 「貢献」と「報酬」の循環を起こし続けていくことは、 予想以上に緊張を強いられる行為だ。 けれど、男性はこの緊張から逃れる選択肢がない。 たとえ自分が逃げることを選択しても、 そのときに、妻や子どもや守るものでロックがかかる。 私は、2000年に独立し、 自分と社会を、 ダイレクトに仕事という「ヘソの緒」で結ぶという 無謀な挑戦をし、結べなくて5年間、七転八倒した。 それまで会社を通して間接的に社会とつながっていて、 その構造を変えるだけで、 こんなにもしんどいのかと思った。 そういういまだから、 男のつらさをより身近に感じるのだ。 私が東京に出てしばらくして、 東京に出るとき相談にのってもらった テレビ局のディレクターを 何度かテレビで見た。 国際紛争が激化する中、 とても危険な地域に身を置いてのレポートだった。 思えばこの先輩も、なぜ、 生命を危険にさらしてまで働くか、 働くとは何か、ずっと考えてきたはずだ。 また、東京に出るとき相談にのってもらった上司は、 足に重い障碍があった。人権問題について、 ずばぬけた才覚を持って社をリードしていた。 思えばこの先輩も、自分がどう自立して社会で生きていくか ということを早いうちから切実に、 ずっと考え続けてきたはずだ。 二人とも自立のエキスパートだった。 だから岡山か東京かという問いは、 二人それぞれの仕事人生の中で、 充分検討済みのものだったに違いない。 そのうえで二人は岡山で働くという選択をし、 だからこそ、私が東京に行くよう、背中を押してくれた。 これは、自分の選択か? 男性も女性も、内容はちがうが社会的矯正のなかで せいいっぱい自分らしい選択をしていくしかない。 そのときに、 矯正から自由な選択ができる人は、 その道についてずっとずっと考え続けてきた人なのだと、 二人の先輩は教えてくれる。 |
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2008-12-03-WED
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