おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson426 上司への苦言 「上の人にも、 言いにくいことでも、ズバッと言う」 これが正義だと思ってしまうときの自分へ、 自分の正義は、 本当に組織のためになっているだろうか? 「上司への苦言」を考えてみたい。 上司に意見する機会は、 面接のときに、 職場アンケートのようなかっこうで、 日常や飲み会で、 あるいはメールで、などさまざまある。 「自由に意見を」 「言いにくいことでも何でもいい」 と言われて、 ズバズバ何でも言ったところ、 意見はちっとも採用されず、 組織も1ミリもよくならず、 結局は上司とぎくしゃくするようになっただけ、 なんて経験はないだろうか? こんなとき自分は、 次の3つの型に陥ってないだろうか。 まず、「自分なんて型」。 自分の発言の影響力に気づかない部下は、 上司に思わぬダメージを与えやすい。 これは、職場アンケートなどで、 直接上司と顔を合わせず意見を言う場合、とくに、 やってしまいやすいパターンだ。 「どうせたくさんの社員の意見が上にいくのだから、 自分の発言まで、いちいち重視されないだろう」 「上司は、強く尊大だから、いち社員である自分に しょうしょう何を言われても平気だろう」 「上司に直接言うんでなく、これは紙に書くのだから、 ふだんは言えないようなことでも書いていいのだろう」 そう思ったとき、 言葉は人に対する当然の思いやりを欠く。 でも、そうでない場合が多い。 社長にとって、社員の意見、 部長にとって、部下の意見、 というものは、親が子に敏感であるくらい影響力を持つ。 自分の発言力を過小評価すると力の加減を誤る。 部下の反応に敏感な上司にとって、 部下である自分の発信は決して小さくない。 少なくとも、そう自覚して、 アンケートなど紙に書く場合でも、 読む上司という一人の人間に話すように書くことが大切だ。 次に、「木に寄りて魚を求む型。」 自分の意見がどんなに正しくても、 他の会社でどんなに成功した意見でも、 それは、その上司にできることか? どんな優れた上司も万能ではない。 得意・不得意、向き不向き、 力量・経験・方針の違いはあるものだ。 例えば部下の意見をよく聞いて、ボトムアップを もちまえにしてきた上司に向かって、 強烈なリーダーシップを発揮しろなど、 もしも上司のキャパシティにないこと、 上司の存在意義とは逆ベクトルのこと、 を要求しているのだとしたら、 それは、木に向かって魚をくれ、と 言っているようなものだ。 それでも、上司を教育するくらいの勢いで 上司にない力を要求するとして、 上司が苦手克服や新たな能力獲得の勉強に走ったとして、 その間とどこおる生産性をどう考えるか、 それは、本当に組織のためになっているだろうか? 上司に無いものを求めるのか、それとも、 上司の限界を認め、得意の限りを尽くしてほしいのか。 もうひとつ、「個人のうらみ型」。 結局は、個人的なうらみや不満を、 組織のためと称してぶつけているだけではないか? 自分の仕事が評価されると、 「あの上司はいい」とほめ、 自分の仕事が評価されなかったり、悪く言われると、 手のひらをかえすように、 「そう言えばあのときのあの上司の態度はよくなかった」 「そもそも上司のやり方のここがおかしいと思っていた」 と、次々、不満が出てくるときは要注意だ。 「いま自分は上司に認められなくてうらんでいるかもな」 そういう考えがよぎったら、 苦言スイッチをいったん切って、 仕事をがんばってみる。上司に評価されること、 そのほうが、むしろ自分の言いたいことに 近いかもしれない。 自分が新人である。 あるいは、新しい組織になって間がない。 あるいは、新しい上司になって間がない。 こういうとき、私は上司に苦言をすることを あまり、おすすめしない。 「先入観」に支配されやすい時期だからだ。 新人は、先入観のない真っ白な状態と思ったら 大まちがいで、職場の現実を知らない人間ほど、 「上司の理想はこう」、「上司と部下はこうあるものだ」と 夢や先入観を抱きやすい。 私たちは、それそのものがどういうものか、 じっくり見極めようとするより先に、 自分の理想とちがっている、ただそれだけで、 裏切られた、と現実を責めがちだ。 組織がえがあったり、 新しい上司に変わった場合も同じで、 「前の上司はああしてくれたのに」 「前の上司だったらこんなことはしなかったのに」と、 まず前のものによる先入観を基準にして、 それとちがう現実を裁いたり、責めたりしやすい。 先入観を捨て「これはこういうもの」として見る目が 大切だ。 例えば、「前の上司は自由にさせてくれたのに、 今度の上司は、いちいち口を挟んでうるさい」 とはじめは思ったにしても、 時がたって見れば、かつてない総合力が発揮され、 「ああ、あの時、上司が自由を制限したのは このためだったのか」と、 ゴールにたどりついてはじめて、 短所が長所に変わることもある。 だから、その上司が、 ひとつのまとまりをもった世界観として、 ゴールへ行ききっていないうちに、 少なくともどんなゴールへ どんな手続きで行こうとしているか、 理解しようとしないうちに、 自分の先入観を基準に、苦言をすることは、 実はあまり組織のためになってないのではないだろうか? まず上司も人間なので、 感情的な抵抗や、自信を回復するのに、時間がかかる。 部下の苦言へひとつひとつ誠意をもって 説明や対応をしていこうとすれば、 上司は一人、部下は多数、かなりの労力になる。 自分は、組織のため、上司のためと思って、 自分が嫌われてもと思って苦言をして、 上司はそれに精神誠意、懇切丁寧に対応してくれた。 それで、すっきりことが片付いてみたら、 自分ひとりが納得しただけ、組織や仕事のあり方に、 1ミリもプラスの変化がでていないというとき、 結局は、自分の納得感のために、上司をふりまわしただけ、 ということにもなりかねない。 それでも、上司が自分のゴールに向かって 強く舵を貫いてくれれば、まだいい。 上司が部下におもねるために、変節をしたり、 部下の好感を得るための よけいなパフォーマンスに走ったり、 ゴールそのものにかげりが出るとしたら悪影響だ。 上司のここが気に入らないからと、苦言をして、 それで組織がよくなる、 そういう単純なものでもなさそうだ。 上司に「自己ベスト」を出させる。 コミュニケーションを通して、そこへどうもって行くかに 頭を働かせる、ということが大切だ。 自分個人のことをわかってほしい、認めてほしい、 という切なる願いはあるが、 それよりも、その組織に1人しかいない上司には、 やはり、仕事を成長させること、 組織全体をよくして行くことを、 集中して、必死になって考えてもらいたい。 どうしたら上司が、 「この部下たちのためなら、 きょう飲みにいくのもがまんして 帰って事業計画を練ろう」 という気になるか、 どうしたら上司が、 「この組織を活き活きと活性化させるためなら、 趣味や寝る時間、好きなことを 後回しにしても惜しくない」 と思ってくれるか。 自分ならどう言われたときに、 相手のために夢中でがんばれるか、 まず、そこを基準にコミュニケーションを組み立ててみる。 自分と上司はちがう人間だけれど、 前の上司や、 どこかにあってもここにはない理想の上司や、 「先入観」を基準にするよりずっといい。 言いにくいことを言うか言わないか、でなく、 どうすれば上司の最高を引き出せるか? 上司を限界まで働かせること、それが問題だと私は思う。 |
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2008-12-24-WED
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