YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson439
    一斉メールの死角



メールの使い方の中でも、
一斉メールはとくに難しいと思う。

たしかに便利な方法だ。

同じ内容なら、いちいち1人1人に書かなくていい。
メールはひとつだけ用意しておいて、
宛名のところに、次々と名前をつらね、
何人、何十人であろうと一斉送信する。

で、それを受け取った人も、
当然のように「全員に返信」ボタンで、
全員にメールを返す。

こんな、一見なんでもないやりとりに、
思わぬ落とし穴がある。

プライバシーに抵触しないよう、
設定を変えてお話しよう。

会社でプロジェクト・リーダーを
まかされたA課長は、
プロジェクトのメンバーと連絡をとるために
一斉メールを活用することにした。

自分とメンバー、計9名の名前を
あらかじめグループとして登録しておけば、
カンタンにすぐ9名に一斉メールが打てる。

社内とはいえ、フロアや、業務内容が違い、
顔を合わすことが少ないメンバーと、
できるだけ一体感を高めようと、
メールは極力メンバーで共有するよう義務づけた。

9名一斉メールにできるものは
なるべく一斉で送る。
個人あてに送るメールも、
他の人が見て問題ないものは、
CCで可能な限り他のメンバーにも公開する。

こうして、ガラス張りのやりとりにしたことで、
コミュニケーションが活発になり、
メンバーの連帯感も高まった。

最初は、会議の日程調整や、
連絡・報告のみだったが、
しだいに打ちとけてきて、
飲み会の調整や、飲み会あとの感想、
メンバーの奥さんに子どもができたと言えば
出産祝いをつのったり、
休日のゴルフの誘いや、
メンバーが趣味でやっているダンスの発表会の
お知らせなど、
いわゆる「社交」のツールとしても使われだした。

また、担当の仕事にすぐには関係ない、
日頃の仕事への問題意識や、悩み・意見交換も
一斉メールでするようになった。

A課長は、よいリーダーであろうとがんばった。

とくに、たちあげのころ、
しらっとして、まとまりのなかったメンバーを
なんとか盛り上げようと、
最初は、来たメールに全部コメントを返した。
自分あてのものも、そうでないものにもすべて。

リーダーからリアクションがあると、
メンバーも発信のし甲斐があり、
やりとりは活発になった。

しかし、
来たメール全部にリアクションするのも限界がきた。

常に9名の誰かが、
一斉で他の8名に向けてメールをしており、
それにまた、9名全員返信でメールが飛び交う。
忙しさもあって、一斉で来たメールに、
コメントできたり、できなかったり、
いきあたりばったり、
の日がつづいた。

「セレクトしなければ」

そこでA課長は、
たくさんのメールの中でも、
とくに琴線に触れる意見や提案など、
場の活性化につながると判断したメールをセレクトして、
それに対してのみ、濃く、熱く、
褒め・認め・励ましを返すようにした。

よい意見を出した人を、みんなの前で熱く褒める。

他のメンバーのいい意味での
競争心も引き出せ、より、
質のいいやりとりにしていければと。

しばらくして、A課長はメンバーの一人、
若手女性社員の吉田さんと、
どうも、ぎくしゃくする感じをぬぐえなかった。

吉田さんに直接たずねても何も言わない。

ところが、ある日、プロジェクトの別のメンバーから、
吉田さんが、「自分だけA課長に認めてもらえない」
というようなことを言っていると耳にしたのだ。

A課長は努めてメンバーに公平に接してきた。
吉田さんだけ不等にあつかったことも、気持ちも、ない。

どうもトラブルの種は、A課長の返信メールの
タイミングや、濃さのようだった。

吉田さんいわく、
「ほぼ同等の内容を送っても、
 同期の山川くんには、すぐさま濃く熱い
 返信メールが返ってくるのに、
 私には、反応がなかったり、遅かったり‥‥。」

A課長は脱力した。
「先生がひいきしたのしないの」と騒いでいる
小学生ではない。いい大人が何を言っているのだと。

しかし、吉田さんは、
「そんなことはまだいい。最もやる気をなくしたのは
 プレゼンテーションの日のことだ」と言う。

その日、全社向けに、プロジェクトから初めての
プレゼンテーションをした。
プレゼンは、吉田さんと、山川くんの
若手同期2人ががんばった。
「2人でがんばったのに、
 山川くんだけA課長に褒められ、
 私は無視された」と吉田さんは言う。

実際はこうだ。
プレゼンの日、山川くんは、
一斉メールでプレゼンし終えた感想を送った。
日ごろから山川くんは文章がうまく、
アピールもうまいので、
課長やメンバーからの返信も多く、その日も、
A課長は、すぐ、濃く熱い反応を一斉メールで返した。
単純に吉田さんはその日メールを送らなかった。
だから、A課長はなんの返信もしなかった。
それだけのことだ。

だが、吉田さんから見れば、
「同等かそれ以上にがんばったのに、なぜ、
 山川くんだけ‥‥」
ということになり、課長のリアクションを受けて
さらにメンバーも、どっと山川くんに返信を返したので、
結果的に、山川くんにだけ光があたり、
吉田さんは無視されたような疎外感を
感じてしまったのだ。

「光を当てれば影ができる」

これが一斉メールの死角だと私は思う。
一斉メールは、だれが、いつ、だれに、
どんなタイミングで、
どんな内容のリアクションをしたか、
つつぬけになってしまう。
そのため、平等ということに、よっぽど心を砕かないと、
「以前、私も似たような報告をしたのに、
 私には何も言ってくれなかったのに、
 ○○さんにだけは、すごく丁寧な反応を返した」
と、無自覚に「陰」をつくってしまう。

ここで紹介したケースは、
まるで小学生のようで
大のおとなが、たかがこのくらいのことで
気に病むものかと信じられない人もいると思う。
しかし、現実には、会社の仕事上の関係ですら、
そうなのだ。

人はつまらないことを気にし、気に病むものだ。

ましてや、趣味のサークル、
おかあさんどうしの仲良しグループ、
プライベートの友人どうしなら、なおさら、
「自分への扱いがどうの」「人とくらべてどうの」
という、ちょっとした差が気になってしまう。
小さなことを気にするのは、
基盤となるそもそもの信頼関係の薄さが
問題ではないかと私は思う。

時には、みんなの前であからさまにだれかを褒める。
これだって、だれかに不用意に影をつくってしまう。

そう、これは、メールの中だけではない、
現実空間でのつきあいも同じだ。

しかし、顔をあわせた現実の場なら、
だれかに光をあてることで、陰ができれば、
陰になった人の、表情や雰囲気で
なんとなく察知できるので、
すぐさまフォローすることもできる。

メールでは、表情や温度差を感じ取れないので、
もしも自分の発信が、不用意にだれかに
「陰」を作ったとしても
顔が見えない、わからない。そこがむずかしいところだ。

大勢の人間と、一度に、
だれにもしょんぼりさせないように、
つとめて公平につきあっていく、というのは、
なかなか骨の折れることだ。
現実の場なら、私たちは、骨が折れると知っているので、
覚悟してその場に臨むし、充分心を配る。
しかし、メールだと、比較的安易に
大勢と一斉にコミュニケーションがとれると
思ってしまう。

機械が便利になって一度に大勢に
手軽にメールが送信できる
ようにはなった。しかし、果たして、私たちは、
便利な道具に見合うだけの、
一度に大勢とコミュニケーションできるだけの
キャパを育ててきただろうか?

ではどうすればいいのだろうか。

まず、現実のキャパに無理をしないことが基本だ。
現実世界で、大人数のコミュニケーションは得意、
光のあて方も、陰になった人へのフォローも自信がある
と言う人は、便利な機械でどんどん大勢と一度に
コミュニケーションをとっていくといいと思う。

現実世界で、大人数はニガテ、
いつも、あちらを立てればこちらを立てずになってしまう
と言う人は、やはりメールでも無理をせず、
めんどうがらずに個別のメールを基本とすることだ。

一斉メールにする場合は、
メールのメンバーをよく選ぶことと、
送るメンバー全員にとって、
必要または役立つ・送ってよい内容かどうか、
不用意に陰をつくらないか、と少し慎重に検討したい。

少しでも心配なときは、一斉をやめて
個別メールにしたり、
雛形メールをつくって、個別にコメントを添えて
一人ずつ送るなど、手間を惜しまず対応したい。

そして、大人数へのコミュニケーション力は、
できるだけ、現実の場で、発信したり、行動したりして、
顔の見える場で、反応を浴びて、失敗を繰り返しながら、
徐々に、気配りを覚えたり、優しさを身につけて
キャパシティをひろげていくといいと思う。

現実の場で培った大人数へのコミュニケーション力は、
着実にメールのやりとりに反映すると私は思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2009-04-08-WED
YAMADA
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