YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson445 書く歓び


人はなぜ、「書く」んだろうか?

会って話す、
目と目で通じ合う、
なにも言わずにだきしめる、
おいしいものや、音楽や、
きれいな景色で通じ合う‥‥、

コミュニケーションの方法なら、
ほかにいくらでもある。

文章なんて1行も書かなくたって、
楽しくくらしていけるのに。

私自身、編集者から書き手に転向して
丸9年になる。

「書く」ことは苦しい。

私がこれまで経験した、
ほかの仕事とは比べものにならない。

どんな仕事にも、それぞれの苦しさがある。
その苦しさを充分に承知していても、
たとえば、同じ量の記事でも、
話して、それをライターさんに
まとめてもらうのと、
「自分で書く」のとは、まったく緊張感が違う。

「身を削る」のだ、書くことは。

書くものが見つからないときの
自分の存在意義までが、
しおしおとしぼんでいくような無意味感。

書こうとするものがはるか遠くにあり、
そこまでいこうと、必死で坂をのぼるも、
技術も知力も体力も及ばないんだと思うときの
絶望感。

思うものが書けなかったときの無能感。

それを人に読まれるときの、
「ちがう、ちがう、ちがうんだ」と言いたいような
恥ずかしさ。

書きあがった後の、
目と肩と背中の、じんじん熱く痛み、
体の中がスカスカになったような憔悴感。

限界まで努力して、それでも理解されない痛み。

書くことは、決して、人と一緒にできない。

書くことは孤独だ。

どうして自分は9年、
孤独で苦しい「書く」ことを続けているんだろうか?

一方で、「書く」ことは、
着実に人生を切り拓いていった。

丸9年、いっさい営業をしなかった私にとって、
すべての仕事は、
自分の「書いたものが連れてきた」
と言い切ってよい。

自分の本が出版できたことも、
修士でも博士でもない自分が
大学で講義をしていることも、
全国のさまざまな企業や学校に呼ばれ
表現教育のワークショップをしていることも、
自分にとって、すべて夢のようであり、
信じられない事実だが、

すべて「書くこと」が拓いてくれた。

書くことは、ピンポイントで、
通じ合う人との出逢いを
呼び込んでくれた。

嬉しい声もたくさん、連れてきてくれた。
「ズーニーさんの本のおかげで就職ができた!」
「職場のコミュニケーションが
 うまくいくようになった!」
「大切な人に想いが伝わった!」

それらは、ほんとうに嬉しい。

でも、その気持ちは、名づけると「使命感」。
「使命が果たせた、ああ!
 ほんとうによかったー!」
という、達成感や安堵の気持ちなのだ。

私は、そのように、
書くことの達成感や効能を実感しながらも、
もうひとつ「書く歓び」というのが
わからずにいた。

「書く歓び」というのは、なにかもっと、
フルフルと魂がふるえるような歓びではないかと、
それはなんだろうか? と。

そんなふうに書き手に転向して、
苦しい苦しいと思いながら、それでも書き続けて
5年くらいたったある日、

私の書き手としての第一歩から、
ずっと育ててくれた編集者さんと
お茶を飲んでいた。
その編集者さんは
直接担当していない文章も含めて、
私が「5年間に書いたすべての文章」を
読んでいた。

そのときのふしぎな、
生まれてから一度も味わったことのない感覚は、
いまも想い出せる。

想い出すと、心があたたかくなり、
やがてフルフル躍りだす。

「わかってくれている」

ひと言でいうと、そういう感覚だ。
ふだん会話をしているときは、
なかなか自分の言いたいことは、
わかってもらえない。

だから、意味の薄い、浅い会話で、
感覚だけ共有して、一体感にひたるか
それともとことん、言葉を尽くして話し合うか。

でも、とことん言葉を尽くしても、
それでも誤解されたり、
部分的にとらえられたり、
複雑で、微妙な真意を、
ほんとうにわかってもらえる
ところまで至らなかったり。

でも、その日、
お茶をしながらの何気ない会話で、
とりたてて、わかってもらおうとも思わずに、
伝える工夫もせずに、
それでも相手が編集者さんということもあり、
けっこう重い話を、私はしていた。

にもかかわらず、伝わっている、のだ。

言葉が届く。

少々乱暴な伝え方をしても、
解釈がブレそうな、誤解されやすい発言をしても、
微妙なことを荒い言葉で表現しても、
ひと言ひと言が、
キャッチャーミットにバシッ! バシッ!
と音を立てて
キャッチされるごとく、はずさずに、
正確に受け取られていく。
正確に受け取られて、そのあと、
私の問題意識に、ピタッとはまった
リアクションの言葉が返ってくる。

「理解が注がれている」

私は、量は書けないがそれでも、5年間を通して、
書いたものは相当な量になっていた。
編集者さんは、そのすべてを読んで、
私の言葉の背景にあるもの、
どんな文脈の中でそれを言っているのか、
どんな価値観に基づいて言っているのか、
私がどこからきて、
どこに向かおうとしているのか、
私の、仕事や、文章に対する姿勢まで、
よくわかっていた。

だから、乱暴に言葉を投げても、
その背景に位置づけて、
的確に理解してくれるのだ。

言葉が一つも空回りしない。
こんなことははじめてだ。

それどころか、
自分が言った以上に、
言わんとすることがくみ取られていく。

私はとても安堵して、落ち着き、
懐かしい、あたたかい気持ちになり、
やがて、心がフルフルと希望に躍る感覚を覚えた。

その日は、帰り道も、うちへ帰ってからも
いつまでも、ひたひた、ひたひたと
幸福感が消えなかった。

今まで生きてきて
親にも、家族にも、友人にも、されたことがない。
深くて、的確で、緻密、ブレない理解だった。
理解が骨身にしみるようだった。

自分は、こんなふうに
人からわかってもらえたことはない。

感動はその日だけにとどまらなかった。

そのころから、出版や講演や取材など
仕事のオファーをくださる方々が増え、
やはり初対面のひとたちに、

「わかってくれている」

という感覚を覚えた。
そういう人たちは、ことごとく、
手に手に私の本を持っていた。
本に付箋がびっしりはっていて、
熟読してくださっていることが
うかがえた。

そういう出会いが、3人になり、5人になり、
10人、30人、50人‥‥と日を追って増えていき、
私は、人生であじわったことがないほど、
大勢の人から、一気に、正確で深い、
骨まで届くような
理解を注がれた。そのさまは、まさに

「理解の花が降る」。

書くことは苦しいけど、
そのいちばん苦しいことをしてきてよかった
私は心からそう実感した。
それは魂がフルフル躍るような、
深い、温かい歓びだった。

言葉なんかいらないと人は言う。

しかし、私は、言葉による理解がほしかったんだ、
求めていたんだ、ということが身にしみてわかった。

書くことによって得られるもの、
書くことによってしか得られないものは、
正確で深い、自分への理解だ。

言葉を通してしか表せない、
抽象的なもの、緻密なもの、奥深いもの、
しかも、それを、一定のまとまりをもって、
文脈をもって、
理解してもらうことができる。

書くことは苦しい。

だから、その苦しみを知って、
どうしてこんな苦しい書くことを
しなければならないのか?
と問われれば、私は言いたい。

書くことで、いつか、理解の花が降る。

書き続けていれば、やがて、それが、
ひとつの世界観として、
ほかの人の中に立ち上がり、
人生で味わったことがないような、
複雑で深い、骨にしみいるような理解が
注がれるから、と。

あなたに理解の花が降る

「書く歓び」を問われたら、
私はそう答えたい。

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2009-05-27-WED
YAMADA
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