YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson447
 気づくと一方的にしゃべっているとき2



気がつくと、
自分だけがしゃべっている、
相手は、困ったような、不思議そーな顔をして、
押し黙り、いつのまにか、
とおーくへ、引いてしまっている。

こんな経験はないだろうか。

こんなとき、具体的には、
どんなズレが生じているんだろうか?

過日、これをやってしまった私は、
以来、ずっと考えてきた、
つまり、その

「相手の言葉の背景にあるものをいかに汲み取るか」

について。
表面的な言葉の背景にある
「相手がほんとうに言いたいこと」
「相手の気持ち」
「相手がどういう文脈でそれを言っているのか」

それらを「わかる力」がないと、
会話はうわすべりになったり、
かみあわなかったり、
最悪、相手は「わかってもらえない」と失望する。

それで、先日、このコラムに
「気づくと一方的にしゃべっているとき」を書いて以来、
仕事の会話でも、日常会話でも、
そこになんらかのズレを嗅ぎ取るとき、
切実な問題意識をもって、
考えずにはおられなかった。

「いま、なにがズレているのだろうか?」
「コンテクスト=文脈のズレを克服していかに
 相手の本当に言いたいことをわかるか?」と。

そうしているうちに、
以前、私がしたように、
場のみんなを引かせながら、
一方的にしゃべっている人に遭遇してしまった。

いわゆる反面教師の鏡に、
自分自身が映し出されて、
気づいたり、反省したりしたことがあった。

プライバシーに抵触しないよう、
人物、設定、内容などに
大幅な改変を加えながらお話ししよう。

気心の知れた5、6人で
飲みに行ったときのことだ。

気がつくと、Aさん一人が一方的にしゃべっていた。

私は、「なんかちがうな」と思ったものの、
うまく口をはさめずにいた。
まわりをみると、やっぱりノッてない。

けれども、Aさんは独り弾丸のようにしゃべりつづける。

私は、あからさまに嫌な顔もできない。
かといって、へたに相槌をうってしまうと、
Aさんがよけいにノッて、
このまま、なにかがズレたまま、独壇場になりそうで、
相槌も入れられず、

結局、まわりは、
聞いている顔も、聞いていない顔もできず、
ただ困ったような表情を浮かべ、押し黙って、
Aさんを見ていた。

「なにかがズレている。
 でも、なにがズレているのだろう?」

それがわからないから、軌道修正もできない。
もやもやしながら押し黙っていると、私の胸に、
次々と疑問が浮かんだ。

「Aさんは、なぜ、問わず語りなんだろう?」

だれも、そのことについてAさんに質問したり、
きっかけをふっていない。
にもかかわらず、Aさんは唐突に、自分から
その話題を話し始めた。

「この、独特のけむったい感じはなんだろう?」

自分がノれない話だって、
ひととおり聞いていればいいだけだ。
私は、平素そういうシチュエーションが苦ではない。
けれどもどうしてだろう?
Aさんの話には、独特のけむったい、
うっとうしい感じがする。

「この、からみづらさはなんだろう?」

Aさんの話には、のったふりをしようにもできない、
かといって、冗談めかして、ツッコミも入れられない。
別の話題に転換することもできない。
この、独特のからみづらさはなんだろう?

過日、私が、他の人を引かせたときも、
みんなから、私は、こんなふうに見えていたのだろうか?

そう思うと、私は、自分の姿を鏡に映しだされ
たらりたらりとあぶら汗を流す、
ガマのような感じで、
しだいに胸苦しい感じになってきた。そのとき、

「ズーニーさんは、さいきん、どうなの?」

と別の人が、私に質問をしてくれた。
そうか!

会話が一方的になっているときは、
こんなふうに、別の人に質問して、
「話し手」を変えることで、軌道を変えられるんだな。

質問に私が答え、ほかの人が、
その答えにノッてくるカタチで、流れが変わった。
会話がはずみだした、

と思ったのもつかのま、
Aさんが、会話に入ってきて、
その会話をジャックするようなかっこうで、
また、軌道をもとに戻してしまった。

私は、そのときはっきりと、
「文脈=コンテクスト」のズレを見てとった。

たとえて言えば、そのとき、
私が「スイカ」という言葉を使ったとする。

そこで私がほんとうに言いたかったことは、
丸いスイカを買うことのない、
切り身のスイカを買い続けることを通しての
東京ひとりぐらしの、一抹の寂しさだったとする。

ほかの人は、その「言いたいこと」を
汲み取っているので、どことなく、しみじみして、
「そうね、私も夕飯どきになると寂しくて‥‥」
というような会話をしていたとする。

けれども、Aさんは、
「スイカと言えば、名産地はこうこう」
「糖度が高い品種はこうこう」
「選び方は、一般にはこう言われているけど、
 あれはうそで、ほんとうはこうこう‥‥」
という、文脈のちがう話を、弾丸のようにした。

そこで、私は、Aさんの話のコンセプトは、
「知識」「新たな情報」「ためになる」「勉強になる」
ひと言で言って、それは、

「薀蓄(うんちく)」なのだ、と気がついた。

「薀蓄」はなぜ、場を引かすのか?

私自身、テレビで「薀蓄王」をやっていると、
ついつい見てしまうくらい、「薀蓄」はいやではない。

どうも、いけないのは、「薀蓄」そのものでなく、
そのとき、その場の要求に合ってないのだと思った。

どうも、その時、その場にいた人たちは、
私も含めて、
「積極的に情報交換したい」とか、
「新たな知識を仕入れたい」とか、
「勉強をして自分を高めたい」という感じではなかった。

どちらかと言えば、一週間働き続けて、
情報収集や勉強に疲れており、
気心の知れた仲間とそこにいた。

そういう文脈のときに、
新たな知識や情報を理解しようとすることや、
ちょっとお勉強をすることは、
それがたいしたものではなくても、「たいぎ」なのだ。

たとえて言えば、登山するほどの労を
いとわない人だって、
冬にこたつでくつろいでいるときに、
隣りの部屋からものをとってきてと頼まれたら、
たったそれだけのことでも、「たいぎ」だろう。

それと同じで、Aさんの話は、情報交換会や
勉強会でなら、全然、苦でない、
むしろ大歓迎の話なのだが、

オフモードの頭にとっては、
すべてがほんのすこしだけ高尚で、小難しいのだ。
頭を、少しだけ、お勉強方向に強いる。

勉強はいいものだという先入観があり、
だから、薀蓄をけむったく感じても、
なかなか否定したり、話題を転換できない。

Aさんが、なぜ「問わず語り」をするのかと言えば、
場に、「役立つ情報を提供しよう」
「ためになることを教えてあげよう」
という、積極的な奉仕や貢献の精神があるように思う。

私自身がいつも、思っていることなのだが、
「なにかおもしろいことを言って、
 場の人に喜ばれないと、私はいる価値がない」
と思ってしまう。私は自信のない人間だ。

私が黒木瞳さんなら、ただ黙ってそこにいて、
美しさで、まわりに貢献できるのだが、
美しさとか、性格のよさで貢献できない分、
「しゃべり」で貢献しないと、という焦りが
つねに、自分にはあるように思う。
それで、ついつい聞かれもしないのに、
そこまでに蓄積した、とっておきのいい話をまずして、
みんなの役に立とう、喜ばれよう、居場所を得よう
という精神が、私にはある。

それが、ともすれば、ありがたくも、けむったい、
一方的な話になっていたかもしれない。

「文脈のズレ」と私は言った。

Aさんが、「役立とう、役立とう」として、
空回りしてしまったのだとしたら、
では、場の要求と、具体的にどうズレていたのだろう?

つまり、そのときその場にいた人たちは、私を含め、
ありがたい話を拒否して、なにを求めていたのだろう?

「おたがいをわかりあいたい」

そう思っていたのではないか。
言葉に出さなくても、
あの場の根底にそういう気持ちが強くあったように思う。
Aさんも含め、私たちは、
お互いが、お互いのことを、とても好きで、
でもなかなか会えず、2年ぶりに会う人もいた。
その間に、家族が増えたり、
介護で仕事を辞めた人もいた。
話したいことは多く、話す時間は限られていた。

だから、私たちは、
それがどんなにありがたいものであっても、
そこにいた仲間たちと、全然関係のない、
新たな情報を得たいのではなく、
ましてや豆知識を仕入れたいのでもなく、

おたがいの近況や、おたがいの心境、
それを通して、「おたがいのいまを、わかりあいたい」
という感じではなかったかと思う。

「コンテクスト=文脈のズレを克服していかに
 相手の本当に言いたいことをわかるか?」

これは1人の相手に対してでも難しいけれど、
人と人が何人か集う場には、さらに、生き物のように、
「場の想い・文脈・言いたいこと」が生まれるように思う。

友人の中で、
一方的にならない、会話上手な人は、
まず、自分の話はせず、逆に「最近どう?」などと、
そこにいる人に質問を先にして、
話の前半では、じっと聞き役に回っていることが多い。

そして話の後半から、活発に話し始めるが、
それが場とうまくかみ合っていて、力を与えている。

前半はじっと、
「場の想い」「場の言いたいこと」に耳を傾け、
「場の文脈」を読んでいるのかな、と思う。

気づくと一方的にしゃべっているとき

今度、そういうときが来たら、黙ってじっと、
「場の文脈」を1つ1つたどろう、と私は思う。

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2009-06-10-WED
YAMADA
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