おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson478 「働きたくない」というあなたへ 2 「働く」とはどういうことか? 就活は、何を目指し、何を大事に、 取り組んだらいいのだろう? 先週のコラム「働きたくないというあなたへ」には、 就活生を含め、たくさんの反響をいただいた。 きょうはまず、こんなお便りから考えていきたい。 <準備された居場所> 就職活動をしている大学3年生です。 「働くということは、社会とつながるということ。」 当たり前なはずなのに、全く考えてこなかった。 学校に通っていた今までは、親や行政など、 自分以外の手によって居場所がすでにつくられていて、 用意されていて。改めて考えてみると、 自分でつくり出した居場所はないんじゃないか、 だからこそ、ここからは「社会人」として 自らの力で、意志で、居場所をつかんでいく必要がある。 でも、それができないんじゃないか。 やり方は見えず、不安は募る。 ずっと上げ膳据え膳で 居場所が準備されてきた自分にとって、 どうやったら新しい世界に踏み出していけるのか? (ゆうこ) <働く目標> 私の勤めている会社は、女性が多く、 まさに結婚適齢期、花盛りな職場なんです。 先日、これからの目標を掲げよう、ということになり、 そこで多く出てきた目標が‥‥‥ 「定時に帰る」 私は、前期に出来なかったこれを 今期は出来るように努力しよう、とか 具体的な目標を考えていたので、 正直びっくりしました。 また誰かが結婚して、仕事をやめていくと そこかしこから「いーなー」という声が。 ‥‥‥でも、それっていいかな? (もと) <友人は自立したいと泣きました> 数日前に友人は、 こんな生活は嫌だと、私の前で泣きました。 優秀なご主人と優秀な息子さんと一緒に、 キレイな新しい家に住み、おいしい物を食べ、 キレイな格好をして、沢山旅行をしている裕福な 専業主婦をしている彼女は、 不幸といっても分かってもらえないけれど こんな生活は嫌だと泣きました。 仕事をしたいと泣きました。 無理かもしれないけれど、 自分のお金をもって自立したいと泣きました。 自分と社会をつなぐ物が、ご主人と息子だけであるのが、 耐えられないほどの苦痛だということなのでしょう。 私は、専業主婦である母をみていて、 専業主婦でも社会とつながれるのではないか、 という思いがあったのですが、 それは、ズーニーさんが書いたように、 母が仕事より大変かもしれない 社会と繋がる苦労をしているからだ、と思い出しました。 町内会、父母会、介護での病院の中で、またボランティアで 嫌いな人を含めて深く関わってきています。 とても苦しんでいる姿も見てきました。 ズーニーさんが書いていた、 >(生きるために最低限必要な)「金」と「愛」を >自分で創意工夫したり、汗を流して、 >自分の手で得て生きていけるというのが、 >私にとっての「自由」だ。 このことが、彼女の今求めるものなのでしょう。 求める物がわかったことは、 辛くても始まりなのだと思います。 (tsune) 「修造さん」の話をしたい。 修造さん(20代男性・仮名)は、 社会に出て3年目の冬、 リストラ宣告を受けた。 その無力感・脱力感といったらなかった、 「放心状態」という言葉の意味を、 あれほど実感した瞬間はないと、修造さんは言う。 修造さんは、リストラされたことを ご両親や、お兄さんお姉さんに言い出せず、 いつものように、家を出て、会社に行くフリで、 マンガ喫茶に通う生活を一ヶ月続けたそうだ。 そんな修造さんが、本の一説から こう言う。 「人には『行く場所』と『帰る場所』が必要だ。」 この言葉は私の経験に照らしても、 なんともしっくりと、腑に落ちる言葉だ。 私も、人生の一時期、完全に「行く場所」を 失ったことがある。 毎日、再放送の、筋のわかったドラマを、 それでも見る、それだけが唯一の愉しみのような、日々。 たまに、免許の更新などで、用事ができて家を出る。 そんなささやかな一時の「行く場所」でさえも、 嬉しかった。 自分にはいま、明らかに目的があるという状況を、 体が待ち望んでいて、シッポを振っている。 しかし、用事はすぐ終わり、再び「行く場所」のない 閉じ込められた箱での生活が始まる‥‥‥。 「行く場所」と「帰る場所」。 結婚を人生の目標に掲げる男子学生も、 玉の輿を目指す女子学生も、 「帰る場所」を得たい、と言っている。 いままで育ってきた家族は、与えられたものだから、 将来は、自分で選び、自分の手でつくった 「帰る場所」を持ちたいと。 それはいいことなんだろう。 でも、「行く場所は?」 修造さんも、リストラのことを告げた後、 理解のあるご両親、弟思いのお姉さん、お兄さんに、 強く強く支えたれたという。 にもかかわらず、いや、 ゆるぎない「帰る場所」があるからこそ、 なおさら、はっきりと、 「行く場所」がない、という苦しみは、 耐え難いものがあった。 もがきにもがいたと修造さんは言う。 もがきにもがいた修造さんは、 自分の人生を時系列でさかのぼり、 大学受験のとき、 「ほんとにここでいいのか」とおもいつつ、 第二志望の大学に、とりあえずの進学をしてしまったことに ゆきあたる。強い後悔が突き上げる。 そして、修造さんは、 このシンプルな結論に行き当たるのだ。 「人には『行く場所』と『帰る場所』が必要だ。 だが、いまの自分には『行く場所』がない。 なら、『行きたい場所』を『行く場所』にしよう」と。 修造さんは、自分の「やりたいこと」がやれる場所を 見つけ、猛勉強の末、試験に受かり、 いま、「行く場所=自分の行きたい場所」を得た。 思うに、「居場所」というとき、多くの人は、 「行く場所」と「帰る場所」を ごっちゃにしているのかもしれない。 そして「行く場所」のない痛みを伝えることは、 私や修造さんのように、 いったん干された人間にこそできる、 やるべきことのような気がする。 どんなに素敵な家族で、帰る場所があっても、 朝が来れば、それぞれが、 それぞれの「行く場所」に向けて出発する。 子どもは学校に。 子どもは、学校という「行く場所」が用意されていることの ありがたみに気がつかない。 自分の手で、この「行く場所」と 同等のものを得ようとすれば、 同世代の子どもたちを、 あれだけの人数集めるだけでも大変だし、 土地と建物を借りるだけでもいくらするかわからないし、 国語、算数といった、 教育コンテンツを充実させるのだって、 想像がつかないくらい大変なことだ。 専業主婦は、法事に。 私は、専業主婦である母を心から尊敬している。 田舎の大家族に育ち、地縁・血縁のネットワークの中で、 母は、冠婚葬祭の手伝いやしきり、 病気をした親戚の世話など、 ほんとうに、頭が下がるほど、心をつくしてやっている。 会社のように、だれもタイムカードで管理してはくれない。 私なら、そんな状況でサボってしまうだろうに、 母は、自立して、給与も賞与も一切もらわず 人につくしている。 だから母には、定年退職はない。 いつも「行く場所」がある。 男も、女も、大人も、子どもも、 生きていくためには「行く場所」が要る。 あなたの「行く場所」と「帰る場所」をどう思い描くか? 今日は、読者のおたよりを2通、 紹介しておわりたい。 <お前には価値がない、と言われるのが怖い> 私は30代の女性ですが、 私が学生だった頃には 「お母さんみたいな専業主婦にはなりたくない! (=働きたい)」 という女子が圧倒的に多かったような気がします。 私もその一人でした。 とはいえ、「働きたくない」若者の気持ちも、 少し分かる気がします。 ○○したくない‥‥ 専業主婦にはなりたく「ない」、働きたく「ない」、 意味は真逆ですが、 根っこには同じものがあるように感じるからです。 つまり、社会から「お前は価値がない」と言われるのが、 怖い、ということです。 私たちが子供の頃、「専業主婦は嫌」と思ったのは、 主婦の価値を低く見積もる、 社会の風潮があったからだと思います。 自分の母親がそうであったように、 家事も子育ても親の介護もしているにも関わらず、 社会人として、半人前に扱われるのは嫌だ、と。 そんな風に思っていたように思います。 しかし、働けば、 自動的に自分の価値が実証されるかと言えば、 そういう訳でもありません。 行き過ぎた成果主義の中で、社内での競争が激化し、 「あいつはデキる」 「あいつは使えない」 そんな言葉に、いつも振り回され、 クタクタになってしまうのも、よくあることです。 「働きたくない」という若者は、おそらく、会社を、 毎日能力を試され、自分の価値を値踏みされて、 評価されるところ、という風に とらえているのではないでしょうか。 価値がないと思われれば、そこで拒絶され、 居場所はなくなる。 かくいう私も、仲間と協力し合い、尊重しあい、話し合い、 時には喧嘩もしながら、ひとつの成果を出すことが、 「働く」ということなのだと、 気がつくのにずいぶん時間がかかりました。 以前は、見えない誰かに後ろをつけまわされ、 成績表をつけられているような気がしていたものです。 もっと早くに気が付いていれば、 毎日オーディションのような気分で 会社に行くこともなかったのに‥‥と悔やまれます。 会社人であろうと、フリーランスであろうと、 主婦であろうと、ボランティアであろうと、 ズーニーさんの言われる通り、 自分の「好き」や「得意」を核として、 人とのつながりを大事にし、 協力して生きていくことの素晴らしさに 気がつくことができれば、 人生は本当に豊かになるのだと、今は思います。 (aki) <自分から求めないと何も得られない> 私は今、教育系の大学三年生です。 就職活動 真っ只中です。 私の周りは学校の先生志望がほとんどです。 みんなやさしくて、一緒に勉強していると、 とてもやさしくなれます。 「A君だったら、よい先生になれるよ。」 と言われるたびに、顔がほころびました。 そんな環境が心地よくて、 私も教員に向けての勉強をしていました。 「でも、まてよ、本当に自分は教員になりたいのか、 周りの影響で、自分を偽って、 先生になろうとしてないか。」 という気持ちは常に抱いてました。 でも私は友達との関係を壊したくなくて、 自分を見つめなおしたくなかった。 けれども、就職活動って、 自分の人生を決める大事なものだと、 年末にようやく気づきました。 そしてたまたま就職のセミナーに言ったところ、 講師の先生に「偽っちゃだめだ。」と言われました。 自分の胸に突き刺さる言葉でした。 それから自己分析をしました。 今までの、自分の20年間自分が何をして、 そこから何を得たのかと自分に問いを発しました。 問いに答えようとするたびに、自分が揺らいでいく。 自分ってだめなんだって、明白に突きつけられると 正直つらかった。 こんな自己分析やめようと思って、 教員採用試験の勉強をしようとも思いました。 けど体は勉強する気持ちになっていませんでした。 先生の本を開くたびに、疑念が頭をよぎっていました。 体は正直です。 「本当に先生になりたいのか?」という問いに向き合い、 「そうじゃない。」って結論にたどり着くまで、 20日間かかった。 その結論を導き出すのは、骨身を削るようなものだった。 でも事実だった。 私は今、就職活動を一緒にする友達もいなく、一人です。 一人になるとはっきりわかります。 「社会は私を求めていないってことが。」 教員になるときは、だれかが反応してくれたけど、 社会はそうじゃなかった。 自分から求めないと何も得られない。 自分から求めるって、結構つらくて、傷つくばっかりだ。 自己分析して、すごすぎる会社の人に出会って、 夜一人になって、陰鬱な気持ちになっている自分。 「かわいそう、僕って。なんてかわいそうなんだ。」って 気持ちにもなった。 でも社会はそんな被害者意識受け入れてくれない。 社会という大きな文脈の中にいると、 自分の小ささがよくわかる。 これからはどうすべきでしょうか。 その問いには走り続けるって答えがあるのだと思います。 面接のたびに、自己アピールのたびに傷ついて、 もう走り続けられないってときには 友達や歌やテレビという水分補給をして、 見えないゴールをめざす。 それが就職活動なんだと思います。 自己否定のない就職活動はありません。 (就活まっただなか大学三年生) |
山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2010-02-10-WED
戻る |