YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson492 守ってあげたい


近ごろ、どうにも腑に落ちない言葉がある。

「家族を守る」という言葉だ。

教育現場で、ここ2年ほど
目立って、この言葉を聞くようになった。

とても多いのが、
すでに家族を持っている男性の、
「家族を守るために仕事をしている」
という言葉だ。

「仕事はサボるとか、いいかげんにやるとか
 言うことではないが、
 あくまで家族が第一なので、
 家族を守るために必要な限りの仕事はやるけれど、
 それ以上がんばらない。
 自ら積極的にいい仕事をとりにいきたいとか、
 出世したいとか、世の中を変えてやろうという欲はない」
という。

「自分は家族のために生きている。
 小さい子どもも生まれ、
 本音をいうと、きょうも仕事はそこそこにして、
 はやく家に帰りたくてしょうがない」
と言いきる男性もいた。

すでに家庭を持っている男性が言うなら、まだわかる。

しかし、就職活動中の男子学生、
まだ結婚もしてないし、
具体的に結婚したい人も現れてないし、
まだ、ぜんぜん働いてみもしないうちから、

「将来の夢は結婚です。
 家族を守ることが僕の人生の目標です。
 就活は、いいかげんにやるわけではないけれど、
 あくまで家族を守るには、仕事も必要だから、
 そのためにきちんとやろうと思います」

「守る」と言うのは決まって男性だ。

女性から聞いた記憶が無い。

小さいお子さんがいて、かつ、
会社で要職にある女性が、
子どもを預けて、
私のワークショップに参加されることもある。

不思議に女性は、「子どもを守る」という表現はせず、
むしろ「子どもには子どもの人生がありますから」
というような物言いをする。

ある女性はこう言った。

「家では3人の育児、
 会社でもリーダーで、
 私は私の体が2つ、いや3つほしい。
 育児も、仕事もがんばるけれど、
 そのどちらにも依存しない自分、
 すなわち、母としての私でもなく、
 仕事人としての私でもない、
 いつか個人としての私も確立してみたい。
 これが私の将来の目標です。」

「きみを守る」という男性がいる一方で、
女性のほうは「守られたい」のだろうか?

そもそも、人を「守る」ってどうすること?

プロポーズする男性が
「一生、僕がきみを守る」と言い、女性のほうは、
「嬉しい! なんて頼れる人なの」と喜ぶのが常だ。

私だって、もし言われたら一瞬ぽーっとなるはずだ。

だが、よくよく考えると、
「守る」って、具体的にどうしてくれることなんだろう?

例えば、自分の仕事でトラブルがあって、
たとえそれが親であっても、旦那さんであっても、
「守ってもらう」ことなど、現実的にできるんだろうか?

仕事でトラブルが起きたら、当事者を中心に
話し合ったり、行動したりして、
自分で解決していくしかない。

じゃあ、プライベートで守ってもらえるかというと、
たとえば、暴漢に襲われたとき撃退してほしいけれど、
少なくとも私は、いままでの人生で
暴漢に襲われたことがない。
災害時・非常時などならイメージできる。でも、
圧倒的に多い日常で、
守ってもらうってどうすることなのか?

例えば友だちと揉めたときに夫に守ってほしいかというと、
子どものケンカに親が出てくるようで恥ずかしい。
やっぱり、これも自分で解決していくしかない。

自分は守られたいか?

というと、有事は別として、ふだん私は、
あんまり守ってもらおうとは思わないかもなあ。
変わっているのかなあ。

愛する人には、私を守るなど大義名分を掲げないで、
まず「自分を生きて」ほしい。
そして「ともに生きて」ほしい。
できれば私の「背中を押して」ほしい。
もっと言えば「羽ばたかせて」ほしい。
子どもには自立を励ましてほしい。

私の母は、子を守るとは決して言わない、
背中を押す、いや、背中を蹴っ飛ばす人だ。

以前、ここにも書いたが、
明日がビッグイベントだという日、
私は、会社で倒れ、
ものものしく救急車で運ばれたことがある。

母も驚いて田舎からかけつけた。

だが入院するほどでなく、即日帰された。
母と二人で、病院からの帰り道、

「どうしよう? 明日はビッグイベントなのに、
 カラダがこんな調子でどうしよう?
 みんなの前で、また倒れたらどうしよう?
 もう、みんなに迷惑かけたくない、
 あしたお休みしようか?」

と私は母に弱音を吐いた。母は、

「みーちゃん(山田のこと)、安心して、
 おかあちゃんがついていって、
 あんたのことを守るから。
 どんなことがおきたって、おかあちゃんが、
 絶対、全力で、みーちゃんを守るから」

とは言わなかった。母はこう言ったのだ。

「今日倒れたら、明日は、倒れりゃあせん!
 そんなに毎日、毎日、倒れりゃあせん!
 あんたは、明日は倒れりゃあせん!
 自分で決めて、前に前に進んでいくしかないんじゃ!」

つまり母は、人間はそんなに毎日、毎日倒れるようには
できておらず、今日倒れたのだから、明日は倒れない、と、
私の弱虫を叱りとばし、背中を押した。「自分で立て!」

翌日、私はイベントを立派に勤め上げ、
「守る」と決して言わなかった母、背中を蹴っ飛ばした母に
感謝せずにはいられなかった。

その後の人生でもピンチになると、
この時の母の声が聞こえてくる。

私自身も、編集長時代は、
たくさんの部下・スタッフがいた。
いまは、大学や講座で、たくさん生徒がいる。

しかし、「部下を守る」「生徒を守る」という言葉が
しっくりしない。なにか失礼なようにさえ思う。

しっくりするのは、「育てる」だ。「責任をとる」だ。

部下を「育てる」。生徒を「育てる」。

部下がミスを出すと、同僚は「部下を守る」と言い、
一緒について上に謝りに行ったり、
自分が部下に代わって謝ってやったり、
とりなしてあげたりした。

私は、部下がミスを出したら、一人で部長のところに
謝りに行かせた。

誤解が無いように、部下が何をしても責任は私にある。

すべての責任は編集長にある。
部数が落ちれば、編集長はすげかえられるし、左遷される。
責任は私がとるのだ。

でもそのことと、部下をかばったり、
かわりに謝ってあげたり
部下が自分のやったことの後始末をする機会、成長の機会を
奪うことはちがう。

「育てる・責任をとる」であって、
「守る」ではないように思う。

その甲斐あってか、
私とペアを組んだ、派遣社員・契約社員の人は、結果的に、
全員、社員待遇もしくは、社員に登用された。
査定のときには、部下は私より良い評価をもらっていた。

知人の男性に、病気の奥さんを持つ人がいる。

奥さんは深刻な病気で、ずっと入院している。
小さいお子さんもいる。
一時期は、本当に永遠の別れを覚悟したそうだ。

この男性、不思議なことに、家族のために働くと言わない。

私から見ると、家族と等価ぐらいの情熱で、
会社のことや社員のことを考えている。

職場の同僚同士がもめても、
それは、個人の問題だけじゃない、
職場のあり方、仕事のあり方に起因するんじゃないか、
一緒に問題解決できるんじゃないかと、
傍観者にまわらず、積極的に介入してきた。

奥さんの入院と仕事、それだけでも大変なのに、
自由になる限られた時間を使って、
職場の人たちに、伝えたいことを
もっと伝える力をつけたいと、
自分を高めるための講座にも通っている。

将来の夢は、人間が働きやすく人間らしくいられる工場を
つくることだ。そのために建物の設計から考えたいという。
過去に改善してきた全てのポイントが内蔵された
建築物になっており、仕事の流れになっており、
そこで働くと、自ずと人が生き生きし、かつ、
良い商品が生み出せる。お客さんに供給できる。

彼は現実的、かつ、大きな仕事の夢に向かって働いている。

私は、不思議に思い、たずねた。
「奥さんがピンピンしている男性だって、
 むしろ奥さんのほうが強そうな男性だって、
 家族を守るという大義名分で、仕事に線引きをしている。
 あなたの場合は、病気のご家族がいるのだし、
 どんなに家庭優先にしたって、
 まわりは理解してくれるはずだ。
 なのに、なぜ、あなたは、家族も、仕事も、
 自分の勉強も、そんなにがんばれるのか?」と。

すると、その男性は
最初から両立しようと思ってやってきたのではない、
という。
永遠の別れを覚悟しなければならなかったときに、
ほんとうに、これでさいごかと思いつつ、
一日一日を生きなければならなかった。

「今日一日を、これがさいごだとしたらどう生きるか?」

と突き詰めて考えた結果、自然にそうなっていたと言う。
家庭優先とか、仕事優先とか、人はカンタンに言うけれど、
人は、そんなに器用に2つの世界を分けられないと。
「どちらも自分なんだ」と気づいたと言う。

「家族のためだけに働く」と割り切ってしまうと、
1日最低でも、7時間・8時間はいなきゃいけない職場が
苦痛になってしまう。
そのほうが自分にとってはつらいのだと。

生きることを真剣に考えたとき、
仕事も家庭もかけがえなかった。

むしろ、家族の病気を通して超えてきた
さまざまな問題を通して
職場を見ると、仕事のあり方にしても、
職場の人間関係にしても
気づくことが多くなり、
自分にも何か伝えられるんじゃないか、
伝えたい、という気持ちが大きくなったという。

この男性、「妻を守る」とは言わない、
「妻から学ぶ」と言う。

人は病気であろうと、なかろうと、自分の夢に向かって
コツコツと行動していくことができる。そんな妻を信頼し、
教えられ、背中を押されて、
自分も社会でがんばる、と言う。

「きみを守る」と人は言う。

でも、人というものは、そんなに簡単に他人が守ったり、
守られたりすることができるものだろうか?

そもそも「守る」ってどうすることだろうか?

「守る」と言った時点で、
そのあまりの美しさに目がくらんで、
見えなくなってしまうものはないだろうか?

「妻を守る」という男性も、たしかに素敵だけれど、
「妻の背中を押す」男性も、そうとう素敵だ。
さらに、「妻に背中を押されて、社会で羽ばたく男性」も
とてもかっこいいと私は思う。

「一生きみを守る」と言われたら、

「具体的にはどんなことをしてくれるの?」
とたずねてみよう。
守るとはどうすることか?

あなたは愛する人に「守られたい」ですか?

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2010-05-26-WED
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