YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson581  仕事の選択 7


「医療」と、「福祉」と、「教育」、
3つの持ち場はとてもちがう、
なのに、まちがわれやすい。

そう書いた先週のコラムに、
たくさんのおたよりをありがとう。

まずは、
医療・福祉・教育のちがいが目に見えるような、
おたよりからお読みください。

<人は一生かけて>
生きているだけで、いいはずなのに、
なぜ人は一生、もがきつづけるのか。

最近思うのは、

人は一生かけて、できうるかぎり、
自分を尊び続けるのではないか、ということです

仕事にしても、日々の生活にしても、
刻々と状況は変わり、いいときも悪いときもある。
だけど、今、その立場で、
自分の思うせいいっぱいを生きる。

それが、自分を大切にし、尊ぶ事なんじゃないかと。

教育は、少し未来で、
光を放つ灯台のようなものの気がします。

一方、医療など、現在、
転んでいる人に寄り添ったり、
くじけた人のそばに寄って、助け起こすものもある。

ただ、どちらも視線の向かう方向は、
変わらないのだと思います。

「今がんばらないと、将来大変だよ」
10代のころ、まったく共感できなかった台詞ですが、
自分の親や教師と同じ年代になってみて、

彼らは、その未来の場所から、
自分に向かって光を当ててくれていたのだと思います。

自分たちがいなくなった後も、
なんとか、この子に幸あれ、と。

そう思うと、いまさらながら、感謝の念に堪えません。
(Y.Y)

「許し」のような優しさがあるおたよりだ。
医療・福祉・教育、それぞれ持ち場はちがっていても、
もっとおおきなまなざしでみたときに、
おなじものを志して協力できる。

Y.Yさんは、医師 → 編集者、
という進路を進行中。
2011年3月30日づけのこのコラムで
最後に紹介した詩、
「きみとぼく」を覚えている人も多いだろう。

もうひとり、医療の立場の読者は、こう見る。

<医療、福祉、教育を受ける主体>

私はマーケティングリサーチを通じて
製薬企業の医療用医薬品の戦略を立てる支援をする
仕事をしています。

学生の就活で採用面接に携わる機会もあるのですが
「医療」と言うキーワードが、
「社会に貢献できる」「やりがいが見えやすい」と
言うことで
学生に非常にウケが良いのを実感しております。

ただ、「医療」と言うだけで志望してくる学生の中には、
仕事の志向が明らかにずれている方もいらっしゃるので、
先週のコラムでズーニーさんがおっしゃっていた
「実は教育ではなく福祉がやりたかったと
 気づいた女子学生」
のお話が非常に腑に落ちました。

さて、先週の「医療、福祉、教育」の捉え方が非常に面白く
自分でも考えることがございました。

3つの関係を、自分で消化したとき、
次のような表現を思いつきました。

医療: 治す   (マイナスをゼロにする)
福祉: 支援する(マイナスでよい状態を作る)
教育: 導く    (ゼロをプラスにする)

たしかに、目指しているベクトルが違うなあ、と面白く感じました。

ズーニーさんは、
「教育は『あなたはあなたのままでよい』とは言えない」
とおっしゃっていました。

わたしも、仕事で「教える」立場にたった経験から、
現状でよしと言えない、
常に先に導く必要は良くわかります。
確かにそうだなあと思う一方で、
教育者であっても「あなたはあなたのままでよい」と言う
心構えは必要な気がしたのです。

医療、福祉、教育は、3つの違うアプローチです。

ただ共通しているのは
医療を受けて「治そう」、
福祉に支援してもらって「立ち上がろう」、
教育を受けて「前に進もう」と考える
主体が絶対に必要だということです。

すばらしい医療、すばらしい福祉、すばらしい教育
があっても
その主体にエネルギー充填されていないと、
手を伸ばすことがない。
苦しい状態に苦しいままずっととどまっている。

その主体の中にエネルギーを充填させる事は
医療の面からも、福祉の面からも、教育の面からも
同様に必要な要素なのではないでしょうか。

ズーニーさんが引用されていた
「ツイッターで愚痴ったっていいじゃない」
「働かない人間も認めてください」のメール
自分の仕事の領分を越えているとおっしゃっていましたが

この人たちにとって、自分にとって影響力のある人
(ここではズーニーさん)の
「そうだね、あなたはあなたのままでいいんだね」と言う言葉が
この人たちの中にエネルギーを充填させる
ひとつの方法じゃなかろうかと思ったのです。
そうすることで、エネルギーが満ち、教育を受けよう、
先に進もうと腰を上げるような気がします。

「ありのままでいいんだよ」と言うことと
教育していくということは
相反する要素ではなく、
「ありのままでいいんだ」と
その主体の中にエネルギーを満たすことで、
教育し導くことができる
相互に関係する要素なのだと思いました。
(池田)

これもとても鋭いおたよりだ、
教育はゼロを出発点にプラスにむかうというのも、
当事者として、しっくり。

なんといっても、池田さんの素晴らしいところは、
医療、福祉、教育を受ける「主体」、
治ろうとし、立ち上がろうとし、進もうとする主体に
目を向けているところだ。

ここで「充填」と言われていることについて、
私も教育の仕事を通し、
重視しているところであり、
自分なりのやり方もあるのだが、
充填については、また別の機会にお話しするとして、

こんかいは、なんといっても読者の関心の高かった、
「ありのまま」について、
すこし考えを進めたい。

「ありのまま」って、なにか、ものすごく強い言葉で、

ときと場合によっては、印籠のように
人につきつけてしまう言葉だ。

私自身も、表現において、
「ありのまま」を見る目や、
「ありのまま」の自分を引き受けることの大切さを
このコラムでも、
なんども繰り返しお伝えしてきたので、

いったい山田ズーニーは、
ありのままでいいと言ってるのか、いけないのか、
と混乱した人もいると思う。

正解はない問題なのだが、
それぞれ自分の持ち場にあった答えを見つけるために、
次は、「福祉」や、「教育」にたずさわる読者のメールを
一気に紹介しよう。

<「どんな自分なのか」と「自分はどうしたいのか」>

「愚痴を書いてもいいじゃないか」
「働かない自分を認めてほしい」
と言われたら、

私だったらなんて答えるかな? 

きっと、私はその人の今のありのままを受け入れると思う。
たぶん、丸ごと受け入れると思う。
 
なぜなら、「ありのままのあなたでいい」と
「そのままでいい」とは全然違うから。

そう思っているあなたという存在は
丸ごと受け入れるけれど、
でもそれは、「そのままでいい」と
認める事いうことじゃないと思う。
 
だって、本当は愚痴を書きたいわけでも、
働きたくないわけでもないはずなんだもの。
 
そう思っているあなたでいいんだよ、
って受け入れてもらって初めてその人は、
次の一歩を踏み出すことができるから。
 
だからその人を丸ごと受け入れた上で
きっとこう問いかけると思う。
 
「で、あなたはどうしたいの?」
 (潔子)

 

<基本的な欲求>

医療・福祉・教育の違いは
基本的欲求の段階が、
より生き死に直結しているかどうかだと思います。

どなたかが倒れていたとして、

生命に直結するときは医療。
(呼吸する、血液循環、体温)

命の危機を脱して、
安心・安全な生活を保証して欲しい
と思うようになれば、福祉。
(衣食住、お金、介護)

衣食足りて、暇だと脳は退屈して刺激を求めるそうですね。
こうなると教育の出番ではないでしょうか。

被災者支援もそうでしたよね。
まずは命を助け、
助かった方には衣食住の援助、
そして職業教育。

どれも大事。でも段階や時期があるような気がします。

例えばうつ病とかで心が病気ならば、
「吐き出していいのよ、
そのままでいいから今日を無事に生きて!」
という香山リカさんの医療者としてのメッセージは、
まっとうだと思います。

保証人がいないから、養護施設を出ても
アパートが借りられず、
住所がないから仕事も不安定とかなら、
福祉の手が絶対必要だと思います。

心身がそこそこ元気で、
生活もそこそこ保証されているのなら、
やはり「飯の種」を身につけるための、
学習(与える側からすれば、教育)という修行は
必要ではないでしょうか。

それは、したいことをするとか、
自分探しとかではありません。

現実的な、おまんまを頂くための学習。

学習の結果、仕事が認められたり、
自分で「よし!」と思えたりすると、
「承認の欲求」が満たされてくると思うのです。

そしてもっと工夫したり、
仕事の歴史的や社会的な価値を踏まえて、
「よし!」を増やしていくのではないでしょうか。
(人それぞれ)

<基本の立ち位置>

中学教諭です。
医療と福祉と教育のちがい。
実によく整理された説明です。

そのままでいいんだよ。
もちろん、場合によって
そういう言葉をかけてあげる必要も多くあります。

でも、教師の基本はそこじゃない。
(by kerokero7)

<自由に伸ばしていく権利>

先週のコラムの、
“そして教育は、「ありのまま、そのままのあなたでいい」
とは決して言えない。”
について感じたことについて書きます。
 
私は教育に関心を持つようになってからまだ数年ですが、
現在私が子供たちに一番教えたいことは、
「ありのまま、そのままのあなたでいい」ということです。

ありのまま、というのは、
例えば字が書けないのをそのままにするとか、
そういうことでなくて、

自分の得意なこと、産まれ持った興味や性向、
そういったものを自由に伸ばしていく権利だと考えます。

日本はいまだに個人に対する抑圧が強い傾向があり、
一人一人が伸び伸びと
自分らしくいることが難しいように思えます。
そういった抑圧がなくなれば、人はその場にとどまらず、
どんどん学び、成長するものだと思います。
「ありのまま」の力は案外強いものだと思います。
 
以前どこかでズーニーさんがおっしゃっていたかと思いますが、
もしかしたらズーニーさんも同じ考えをお持ちで、
それを別の言葉で表されているだけかとも思いました。
(まりこ)

NPO法人で働く、潔子さんの、
「どんな自分であるか」という状態と、
「で、自分はどうしたいか」という希求は別、
という考察が鋭い。

たとえば、容姿に恵まれない女性がいるとして、
ありのままの自分を受け入れるとは、

「醜い自分」を認める。

ということかもしれないが、それと同時に、
にもかかわらず、やっぱり、どうしても、

「きれいになりたい」という本音を認める。

という両面があるようにおもう。
潔子さんは、この両面を見ると言っている。

つづく、「人それぞれ」さんの考察で、
私がいちばん面白いとおもったのは、

「よし!」

という声が聞こえてくるところだ。
「ありのままの自分をありのままに認めてほしい」
という人は、どこをもって、この「よし!」が
聞こえてきたら、満足だろうか?

生きているから、よし!?
そこそこ安全がまもれているから、よし!?
なんとか食えているから、よし!?

「よし!」はどこから聞こえてくるのか?

さらに、中学校の教師をしている読者の、
教育現場で、「ありのままでよい」という必要性がある、
という意見、同感だし、
まりこさんの、日本ではまだまだ自分らしく生きることに
抑圧がある、という意見に同感だ。

生徒は、「ゼロ」の状態で来てくれるか?
というと、多くはちがっていて、

先入観という「ゆがんだメガネ」をかけて来ていたり、
仮面をかぶって来ていたり、
弱い自分を守るために鎧で武装して来ていたりする。

教員は、ゆがんだメガネを取り外したり、
仮面をはずしてもいいんだという環境をととのえたり、
武装解除させたり、いっそ壊したり、
という努力をしないと、
なかなかスタートラインにも立てなかったりする。

教員は、大なり、小なり、
この「トル・はずす・壊す」道具、
解体作業道具一式、みたいなものを道具箱に備えて
教育現場に臨んでいるのではないかと思う。
すくなくとも私はそうだ。

そして、まりこさんは、「ありのまま」とは、
「自由にのびゆく権利」だと言っている。

キーワード「ありのまま」について、

かきたてられてきたところで、
きょうは、最後に2つのおたよりと、2つの問いを示して、
終わりたい。

<仕事における他者とはだれか>

仕事における他者って、2つありますよね。

一つは、
お客さんや患者さんといった、
仕事を通じて働きかける存在。

もう一つは、
そのゴールを達成するために協力する、
同僚や関係者。

私にとって、働くとは前者の人達を助けること、
役に立つこと。
そのために、自分の持てる限りを尽くしたい。

そう思っていたのですが、
そうしたゴールに固執するあまり、
後者の人達とうまくコミュニケーションがとれていない
自分に気づきました。

仕事に情熱を持って臨むことは、
大事なことですが、それは、

そうでない考えの人を排除することにならないか。

「他者のために働く理想の社会人」を
押し付けようとしていなかったか。

どちらの対象に対しても、
助けてあげようとか、
変われ
という押し付けではなく、

自分とは違う相手を受け入れ、
許すにはどうしたらいいのか、

そちらが先なのではないかという気がしています。

そして、自分が何を求めているのか自覚しないと、
人が求めるものにも気づけないのではないかということ。

自分がどこに立っているのか知らなければ、
他者との距離もわかりようがない。

家族でも友人でもない、
他人と通じ合うことの難しさを痛感しています。
(GK70)

<なめていないか?>
そのまま、ありのまま、
という言葉を言い訳に使ってる人は、
なんだか私には、
そのまま、ありのままとは、
実は遠い気がします。

そのまま、ありのまま、という言葉を、なめてないか?

あと、自己肯定という言葉も、同んなじな気がします。
(はにここ)

ここでもういちど、
ズーニーです。

「ありのまま」って、あなたにとって、いったい何ですか?

そして、
ありのままの自分を認めてほしいとか、
人はよく言うけれど、
私もたくさん言ってきたけれど、
だれに認められたら満足するのだろう。
親? あこがれの芸能人? 尊敬する人? 恋人?
それとも?

「ありのままのあなたで、よし!」
とは、あなたは、だれに言われたら、満足ですか?


山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
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2012-03-28-WED
YAMADA
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