おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson692 手放せる人・執着する人 潔く手放せる人と執着する人の差は何だろう? あれこれ画策・忍耐・努力してではなく、 もっと瞬間の選択。 どんな人にも、潔さが湧き上がっては消え、 憎しみがこみあげては萎え、 勇気がみなぎっては沈み、怒りが来ては去る。 「いま手放せ!」 と、直感が来たとき、ぱっ、と放す。 この筋トレと積み重ね、 ではないだろうか。 ストーカー事件があいつぎ、 テレビで特集番組が放送されていた。 結論として、 ストーカー行為をしてしまう人は、 過去に原因となる心の傷があり、 カウンセリングを通して、 トラウマに結着をつけることで、 解決に向かわせるというものだった。 なぜかもやもやした。 「いまを生きるチカラが、 過去に支配されてしまってよいのだろうか?」 心の傷というと、 文章表現教育を通して、はからずも、 生徒さんのひどい傷を見てしまうことがある。 見た目からは想像もできない 深刻な過去を持っている人が、 想像以上の割合でいる、というのが、 私が仕事を通して目の当たりにしている現実だ。 そして、深刻な過去、 人によっては一生癒えない傷を負った人の多くが、 これまた、想像もできないくらい過去にとらわれず、 さっぱり、たくましく、「いま」と、未来に生きている。 Lesson647で紹介した生徒さんも、その一人だ。 専門家にさからうつもりはサラサラ無い。 トラウマとか、PTSDとか、 もちろんあるんだろう、それはそうなんだろう。 でもだからこそ、 医療の知識もなければ、心理学にも無知な私が、 ささやかでも自分の経験から言えることは なんだろう、と考えてみたら、 自分もかつて、「しつこい」と言われた人間だった ことを思い出した。 なのになぜ、いまやこんなにも 手放せる人になったのだろう? 分岐点は。 38歳のとき、大手企業の社員の座を手放したことだ。 それまで、人生、石橋をたたいて渡ってきた人間が、 次の仕事のあてゼロ、という 大胆な手放し方をした。 その後も、けっこう大きな物事を 手放すはめになり、 そのたびに、けっこう潔く手放せて、 執着もしないので、 「自分はそんな人間じゃなかったろう」と、 自分でツッコミをいれたほどだ。 もちろんカウンセリングを受けたわけじゃない。 自己改革に奔走したわけでもないし、 あれこれ画策して、努力、忍耐したわけでもないのだ。 もっと瞬間の決断。 ストーカー事件を特集した番組で、 執着を断てずに苦しんでいる人々が、 みな、理詰めで考えていることが印象的だった。 執着している異性に対し、 悪いのはあっちであると、 こっちがむしろ被害者であると。 そして、あっちから被った傷(マイナス)を、 やりかえすこと(プラス)で、 プラスマイナス帳尻をあわせようと、 とても理路整然と言葉にしていた。 私は、「考える力」の教育をしている、 だからこそ、「考える」ことの限界を思い知っている。 人の世は理不尽だ。 とくに「相手」があることは、 自分でどうにもならないことが多い。 どっちが正しいか悪か、損か得か、 傷をどう償ってもらうか、 考えてもどうしようもないどころか、 私の場合は、考えれば考えるほど、 ずぶずぶと、アリ地獄のように 苦しみにはまる。 そんな状態の自分には、 許すとか、帳尻をあわすとか、 ましてや解消するなんて、 あまりにもハードルが高くてムリなので、 ただひたすら、 「手放す」 ことだけを念頭に置く。 どんな人にも、どんなときにも、 想いはただ1つで固定ということはない。 雑多な想いが入り混じり、 去来する。 どんなひどい憎しみを抱いても、 時間がたつとおさまることがある。 ふと、忘れている瞬間さえある。 怒りの感情も、やってきては、 どこかへ去ってしまい。 また、やってきては、去る。 心がどろどろと醜くなっている日々の中にも、 ふと、自分にもこんなきれいな部分があったのか、 と驚くような瞬間が訪れることがある。 そんなふうに、 憎しみも、優しさも、怒りも、勇気も、 執着も、潔さも、 来ては、去る。 で、「いま手放せ!」 と直感するような瞬間があるのだ。 「いまなら手放せるぞ!」 「このタイミングを逸したら、 ひきずってたいへんなことになるぞ!」と。 そこを逃さずに、 言葉や行動で表現する。 想いに即した言動は、自分でも納得感が深い。 想いに即した表現は、満足をもたらす。 腹の中に潔さが湧きあがっているときに、 捨てるのは、想いと表現が一致している。 勇気は要るが、消耗感はない。 逆に、執着が渦巻いているとき、 むりやり、きれいな言動をしようとすると、 想いと表現がねじれており、 何倍も労力が要り消耗する。 潔さが来たとき、言動で表現すれば、 その部分のリンクが強くなる。 これをくりかえすうちに、 潔さを表現する筋肉がどんどん強くなり、 ここぞ! という執着を断たねばならないとき、 体がさっと反応する。 いま、を生きる時に、 過去が邪魔するということはあるのだろう。 でも、いま、のほうが過去よりずっと 色が濃く鮮やかで、 自分を引く力が強いと私は思うのだ。 過去にどんな辛いことがあっても、 「いま」に生きられないことはない。 いつからでも、だれであっても、 いまを生きる筋トレは、 いま、はじめられる! と私は信じたい。 |
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2014-07-16-WED
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