おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson709 自分で社会に居場所つくる −2.ゆるやかなつながり 「ゆるやかなつながり」 というのもまた、いい。 遠慮がちに、ささやかに、 でも心の小さな一角を 確かに共有しあっていける関係。 がっつり家族になるとか、 親友とか、社員に雇う雇われるとか、 「堅い絆」ももちろん素晴らしいのだが。 確固たる居場所でなくとも、 あちこち小さな「止まり木」を いくつもつくるようにして、 暖をとりあい、支え合っていける関係。 学生から、 「定年退職後のお父さんを何とかしたい。 来る日も来る日も、 一日中家にいて、 すでに見て筋のわかりきった 再放送のドラマばかりを見ている。」 というようなことを聞く。 お父さんは「暖をとっておられる」 のではないか? そこはお父さんのしばしの「居場所」だ。 私も、 会社を辞めたものの フリーランスとして仕事が立ち上がらなかったころ、 平日の昼下がり、 毎日連続して再放送するドラマを 食い入るように見ていた。 大事件などで1回でも放送がとぼうものなら、 自分でもとまどうほど失望感が大きかった。 「既に見て、筋も、登場人物のこともよくわかって、 世界観がなじんだドラマである」ことがみそ。 それをON AIRで 見ている時間だけ私はそこの住人になれる。 当時、今日一日の居場所もなく、 身を持て余していた自分にとって、 50分間の「居場所」だった。 ドラマを居場所とは大げさな、 と言う人には、 「止まり木」という言い方のほうが通じるだろうか。 心の一角を置ききれる小さな止まり木。 フリーランスの14年の間で、 私は、「暖をとる」というワザを覚えた。 大きな主柱になるような居場所や、 太い絆となる人間関係が得られないとき、 あっちこちに、 ささやかな止まり木をつくって、 ちょっとずつ温もりを得てしのいだり、 ゆるやかな関係性のなかで、 支えられたり支えたり。 さながら暖かい家を追われ、 冬空に放り出された人間が、 あちらの焚火、公共の場のストーブで暖をとり、 命をつないでいくように。 「代わりはすぐには見つからない。」 「行く場所」にしろ、 「帰る場所」にしろ、 失ってしまったら、 それが、かけがえない居場所であった人ほど、 そこに居た期間が長ければ長いほど、 喪失感は大きく、 その大きさを一つですぽっと埋めてくれるような 「代わり」はすぐには見つからない。 定年まで働いてきたお父さんにとって、 会社は人生を通しての「行く場所」、 そこで苦楽を共にした仲間は硬い絆、 サシカエられるものをすぐ、見つけるのは、 土台無理な話だ。 と、いまなら言えるのだが、 当時、自分に何が起こっているのか名づけられず、 行く場所と帰る場所の区別さえなかった私は、 無自覚に、代わりになるものを見つけようと、 とっかえのきかないものを失って、 そのとっかえを探そうとして、 ゆきづまっていたなと思う。 だから、何をやろうとしても、 いちいち無自覚にそれまでの居場所と比較してしまい、 陳腐に見えて動き出せなかった。 あんなに自分を追い詰めなくてもよかった。 ひとつ大きな喪失を埋める、 その大きなひとつが見つからなくても、 小さないくつかのゆるいつながりを得て、 ゆっくりと立ち直って、 また社会に出ていく英気を養うという行き方がある。 そんな中で、自分でもよかったと思うのが、 「小さく学校へ行く」ことをしたことだ。 箱に入り直すというほどの大きなものでなく、 「止まり木」のひとつとして、 小さく、けれど、切実に。 私の場合は、週に1回数か月だけだったけど、 脚本の塾に通って、 そこで、書くことを通して 心の一角を共有できる友達を見つけた。 ずいぶん支えられた。 いったん会社という「箱」から離れ、 次の人生をどう進んだらいいかが見つからない、 私のような人も、塾にはたくさん来ていて、 多くを語らずとも深いところでつながりあえた。 女性のひきこもりを取り上げた番組でも、 学校が社会復帰につながった ケースが取り上げられていた。 若い女性Aさんは、 親が病気のために、 直前で内定先への就職を取りやめ田舎の実家に帰った。 その時点でつきあっていた彼とは遠距離恋愛となり、 親の病気が落ち着いて、 すぐに就職が見つかると思っていたら、 思わぬ就活の苦戦に、ひきこもりがちになり、 することがなくなり、太り、 そのせいで遠距離の彼と会いにくくなり別れ、 そのままひきこもってしまった。 見かねた親が、 医療系の資格をとる学校に行くことをすすめ、 Aさんは半信半疑ながらも、 何もしないよりはよいか。 というより、このままではだめだという思いから、 とりあえずの「行く場所」と、そこでの人間関係、 学ぶこと、外に出ていくペースを身に着けた。 結果、Aさんは、再び社会に出ていくことができた。 次の主柱になるような居場所を見つけるのは無理でも、 そこへいつかたどり着くまでの止まり木や 暖をとることができる小さな居場所をつくって そこから英気を養って社会に出て行っている。 今の時代、 こうした期間限定で小さく行く学校もたくさんある。 「ちいさなあちこちの居場所」のひとつと位置付けたら フットワークも軽くなるかもしれない。 インターネットの中で、 趣味や興味の重なる人と心の一角を共有できる場所も たくさんある。私は2.5次元の居場所と呼んでいる。 リアルな家族には及ばなくとも、 ネットの中で自己発信し合ってつながり、 すこしほっとする、 家族的な「帰る場所」ができることもあり、 そこから、趣味の会合、思わず仕事につながり、 「行く場所」ができたりする。 大いなる居場所を失って、 次の大いなる居場所がすぐには見つからなくても、 止まり木のような居場所いくつかで、 たえしのげるぞ。 その状態は悪くはないぞ。 やけをおこしてはいけない。 そこからまた社会に出る道をみつけていこう! 最後に、先週のコラムにいただいた 読者の声を紹介して今日は終わろう。 <結婚退職というひきこもり> 労働基準法はないのか、と 同居の親から言われるような職場でした。 行き詰まって結婚退職をしました。 仕事も息切れしていましたので。 田舎の姑付きの家に嫁ぎ、 主婦二人夫帰らずの毎日。 仕事仲間とも切れ、地域にはなじめず、 全てがイヤでした。 孤立した子育て、姑との気づまりな生活、 夫の脳天気さへの絶望感‥‥。 血縁であるかどうかに関係なく、同じ人といると飽きる。 居場所は少しずつ時間をかけて除々にできていきます。 1人を怖がらないで。 でも社会に出るぞという野心は忘れないで。 1人でも大丈夫。 1人で楽しいことをしましょう。 1人でもやりたい地域サークルや講座に行きましょう。 この投稿も、新聞への投稿も、 私にとっては自己表現です。 出しゃばりと思われてもいい、 という覚悟で書いています。 (ひとそれぞれ) <まず落ち着こう!> 2ヶ月前に病気で手術してもらい入院、 今日からぼちぼち仕事です。 フリーなので働らかなくてはご飯が食べらんない身です。 今回の入院は父母がまだ元気だから、 いろいろな面で助けてもらえたけど、次はない。 これは、人生初めての就職というのを しなくてはいけない。 そう思っているところなのです。 早く就職しないと、と焦って、じゃあ何が出来るのか。 大して努力もしてこなかった、 なんて無駄な時間を過ごしてきたんだ、 という自分への罵倒です。 そもそも何がしたいのかよく分からない。 そして思ったのが、今に集中する事。 今出来ること それはリハビリをして、元気を蓄えること。 そうしたら落ち着いてきました。 本当はやりたいこと、やってみたいことが 霧の向こうに見えてきました。 まず落ち着くこと。 本当に大事ですね。 すっきりした気分になっています。 勇気づけられるっていうか、元気になります。 (りすこ) <居場所は内面に応じて> 先週のコラムは、 ここ最近悩んでいたことを 言葉にしていただいたようです。 私は約20年間地元を離れて東京で暮らした後、 実家に戻ることになった 「40代・既婚・子供なし・高学歴」女です。 旧来の家族形態であることが当たり前という この土地柄での生きづらさといったら、 言葉にしようもありません。 何年も、自分の居場所がどこにあるのか全くわからず、 悶々としていたのですが、 よくよく考えたら、東京にいる間も、 私は社会との関わり方がわからず、悩んでいたのでした。 しかし、ここ数ヶ月、本当は環境・状況に関わらず、 自分が快適で上機嫌でさえあれば 大体うまくいくらしいということが なんとなくわかってきたのです。 特別好きでもない周囲の人と関わろうとすると、 どうしても頭で考えすぎて、 動くより先に嫌になってしまう。 でも、自分の運転がうまくいっていると、 勝手に発信力が働いて、 丸く収まっていく。 自分に無礼のないように生きていきたい。 もっと、自分の望むように生きることを、 自分に許したいです。 (サカモト) <箱を出たとたんの息苦しさ> 個人と社会のつながりについて、 ここ1年私の課題でした。 箱から自由になりたいと思って箱を出た とたんに襲ってきた息苦しさ、不安。 自由などではなかった。 私が今まで感じて求めていた自由とは、 安定した枠の中で束の間感じる気楽さ だったのだとわかりました。 個人としてどう社会につながっていくのかは これからの私の人生の課題です。 (イイダ) <自分に新たな居場所はつくれるか> まさに、社会で自分の居場所を作れるのか? の、問いかけをしていました。 既婚、子供なし、正社員で現役で働いています。 好きな仕事に就け、キャリアも積み 月給は少ないですが、夫の給料でやっていけるので 困ることはありません。 新築マンションも購入し、二年がたちます。 近所の若い方達は、出産し いつの間にか、近所のママ友達と グループのような居場所ができている様子。 それも、勤めに出ている昼間の事なので はっきりわかりません。 うちは夫とも話し合い、子供を持つ予定はありません。 年齢的にも無理なところもあります。 しかし、いまの仕事を一生するつもりもなく、 個人で仕事をしたいのですが、キャリアを失うこと、 居場所を失うこと、収入がなくなり 思う様に動くことができないかも? という気持ちが邪魔をして、 新しい世界に飛び込む勇気がありません。 ママでもない専業主婦になり、 はたして居場所があるのか。 作る場合どうやって作るのか? 新しい世界を求めてキャリアを捨て、 結局ひきこもりの世界に入るのではないかと。 わたしにはまだ時間が必要なようです。 (コロコロ) |
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2014-11-12-WED
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