おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson726 2とおりの自信 自信には2とおりある。 1つは「自分には才能がある」という自信。 天才だ、あるいは、鍛えて成長して優れている、 実績がある、成果が出せる、 高い評価をもらった、賞をもらった‥‥などだ。 そういうものがないと、 人は自信が持てないとへこみ、 自信を持つため、あくなき努力をする。 でも、この方向の自信、 意外にもろいのではないだろうか。 ゆきづまった後輩の芸能人を、 うまくいっている先輩がアドバイスするという よくあるパターンの番組を見た。 若くして突き抜けて、 やれ「天才だ!」とか、 やれ「史上最年少受賞だ!」とか、 もてはやされて、 まわりも、自分も、「才能」を頼みにし、 次々面白いものをハイペースで生み出すが、 まるで鶴の機織りのように消耗し、 体調を崩すか、 面白いものがつくれなくなるかして、休業。 という構図は、 ミュージシャンにしても、作家にしても、 あらゆる分野で見られる。 その番組で、 完全にゆきづまって苦しんでいるのも、 若くして突き抜けた才能を評価された芸能人だった。 「才能」の頭文字をとって、仮に「Sさん」と呼ぼう。 そんなSさんにアドバイスするのは、 同じ分野の「2人の先輩芸能人」だ。 私が、あらためて驚いたのは、 「2人の先輩芸能人はなぜ、こんなに輝いているのか?」 ということだった。 2人の先輩は、 いわゆる「ふつう」の芸能人だ。 とりたててビッグスターというわけではない。 Sさんのように早くに突出した才能を 評価されたわけでもないし、 輝かしい受賞歴があるわけでもない。 よって、もし、いっせいのせいで Sさんと、2人の先輩が競争で作品をつくったら、 Sさんのほうが、 とんがった面白いものを創るかもしれない。 にもかかわらず、2人の先輩は、 浮き沈みの激しい芸能界で、 ずーっと永きにわたって中堅の位置に居続けている。 いま沈みかけているSさんと、 同じ画面に映っていると、 2人の先輩が、えもいわれぬ輝きに満ちているのが 歴然だ。 「自信があるのだ、2人の先輩には、 あるとしたら、何に自信があるのだろう?」 才能を頼みにするSさんは、 その日も、才能にものを言わせて、 なにか面白い言動をして、 先輩や視聴者に評価されようとした。 しかし、するたび裏目に出て、引かれ、 そのたびにどんどんどんどん画面の中で 擦り減っていった。 一方で、とりたてて何をするわけでもない2人の先輩は、 時間がたつにつれ、えもいわれぬ輝きを増していった。 視聴者に自分の面白さをアピールするわけでもなく、 ふつうに流れにまかせて自然にふるまっているように 見える。 にもかかわらず、見ているほうはなぜか楽しめるのだ。 場面変わって、 大学の授業に、 私やアシスタントが「ボス」と読んでいる 男子学生がいた。 威厳があるからだ。 私は、きっと4年生にちがいないと思い込んでいた。 というのも、 ある授業終わり、3年の男子学生が 私に何か伝えようとして しどろもどろでうまく伝わらなくて困っていたときに、 うしろからゆうゆうと、堂々と 近づいてきたのがボスだった。 ボスは落ち着いて、3年生が言おうとしていたことを 代わってわかりやすく私に説明してくれた。 そしてまた、ゆうゆうと、堂々と立ち去った。 あとから、まだ2年生だとわかったときは、驚いた。 だったらあの、 3年生をも父親のように助ける、 ボスの威厳は? 風格は? 「あの自信はどこからくるのだろう?」 ボスが部活で、全国でもトップレベルの スポーツ部にいることを知り、 「きっとエースで強いんだろう、 たくさん勝ってきたから自信があるんだろう」 ということで私は納得していた。 でも、それはちがっていた。 ボスが授業の課題で、 自作の文章を読み上げたとき、 私は打たれるような気がした。 ボスが、自分で自分にこう言い聞かせるくだりがある。 「お前は弱い。 金も稼いでいない。 一人では食べていけない。 社会的地位も無い。 一人では生きていく事が出来ない。 二十歳にもなって本当に情けない。 この先の未来、 これまでがそうであったように 苦しい事の方が多いだろう。 しかし、そこで挫けてはいけない。 今までお前は逆境を力に変えてきたんだから。」 ああ、ああ、私は勘違いをしていた。 ボスの自信は、 強いから・試合に勝ったから・才能があるから というベクトルとは、まったく逆のもの、 「自分はまだまだ、まだまだ‥‥だ」という自信。 自分はまだまだまだまだだ。だから当然、 うまくいかないし、叩かれるし、失敗もするだろう。 このような未熟な自分であるから、 これからの人生には楽しいことより、 苦しいことのほうが圧倒的に多いだろう。 それでも自分はつぶれずにやっていくだろう、 という自信。 私自身が、きょうまで歩いてこられたのも、 逆境のときに、みなぎってくる、 「自分はまだまだだ」という自信、 「ここから始まるんだ」という自信のおかげだ。 そして、この自信は尽き果てることがない。 才能はうつろいやすい。 才能に「信」を置けば、 そこへのプライドを減らさないで、傷つけないで と守りに入る。 プライドを傷つけられれば腹を立て、 才能を誇示しようとやっきになり、 才能が擦り減るのに従って、自信も擦り減ってしまう。 しかし、2人の先輩芸能人は、 とりたてて天才とか、受賞とか、 そういう栄誉に「信」を置けなかったからこそ、 自分より才能のある人のほうが いっぱいいる芸能界で、 面白くないと言われれば、当然だろうと うらまず、受け入れ、努力をし、 わきへおいやられても自然のことと受けとめて、 そんな自分だからこそ、 場にいる人々の機微を読んで、 なんとかみんなに楽しんでもらおうと工夫をいとわない。 つぶれず、沈まず、守りに入らず、 自分はまだまだまだ、これからと思ってやってこられた。 ふりかえると、こんな自分でも、かなり長いこと 芸能界でやってこれた。 これからもこうやって生きていくんだ。 そんな自信が、2人の先輩を輝かせているのだと思う。 自信には2とおりある。 1つは鍛え上げて成長して強くなって、 自分は「一人前だ!」という自信。 もう1つは、自分はまだまだで、 だから下手くそで失敗もするし、 当然叩かれたり傷ついたりもするだろうけど、 それでも辞めないでつぶれないで 続けていくという、いわば、 「未完成という自信」 この自信を忘れないでいたい、 と私は思う。 |
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2015-03-25-WED
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