YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson728  伝えるポジション

先日、ある人にひどい言い方をしてしまい、
自分で自分にダメ出しをした。

「同じことを言うにも、“言い方”ってあるだろう!」

自分は少なくとも、伝えることのプロだ。
なのになぜ、こんなアマチュアなことをしてるんだろう。

落ち込んだ。

落ち込んで、考えて、
ひとつわかったことがある。

「ひどい言い方をしてしまうときは、必ず、
 それを言ってはいけないと、ため込んで来たときだ。」

例えば、
相手が偉い人で、自分はこんなことを
絶対言える立場じゃない、とか。

これを言ったら相手は傷つくから
絶対に言うまい、とか。

相手に自分で気づいてほしい、
だから自分からは言わないことに徹しよう、とか。

私たちは、よくこうして
自分で自分に「禁句」をつくる。

その時点では、言わずに我慢できると信じている。

ところが、人間そんなに強くない。

禁句にせねばならないようなことほど、
真実であり、切実であり。

「表現したい」は、人の本能、
抑えても、むくむくと湧きあがる。

結果、ささいなことでも飲み込むのは骨が折れ。

「言わずに我慢しよう」とすればするほど、
どんどんたまってツラくなる。

たまらず言ってしまったときには、
相手の気持ちも言い方も何も
考えないカタチで出てしまう。

この構造、いいかげん気づけよ、わたし。

飲み込もうとしても、なかなか飲みこめないと
人を傷つけて、もう、こりただろう、わたし。
ならば!

「最初から“伝えるポジション”をとろう。」

これをいいカタチで伝えるにはどうしたらいいか?
と考えていき、見つかったら伝えるようにする。

一見、とうてい伝えられそうにないことでも、
まず、「伝える」というスタートラインにだけは
立ってみる。

良い方法はあるはずだ、ああでもなく、こうでもなく
と考えていき、見つかるまで探す。
見つからなかったら、1年でも、2年でも10年でも、
かけるつもりで考えてみる。

1年、2年‥‥と言わないのなら、
「言わずにおこう」と結局一緒じゃないか、
と思うかもしれないが、
精神衛生上、まるで違う。

その間、自分を抑えつけ溜め込んで過ごすのと、
相手を想って創意と工夫をこらすのと。

仮に途中で、持ちきれず出てしまったとしても、
溜め込むと決めた方は、無策でぶちまけてしまうが、
伝えるありきて考えていったほうは、
途中まででも配慮がある。

いま新年度で、会社にしても、学校にしても、
「最初が肝心」だと多くの人が思っている。

それには私も賛成だ。

それだけに、いつもより良い人に見せようと
新しい場で、みんな頑張っている。
当然、言いたいことがあっても、
「いまは決して悪印象がついてはいけない時期だ」
と抑えつける。
そうした空気が、連鎖しあって、

「はみ出すな。和を乱すな。」

と無言のプレッシャーになり、
場に閉塞感を生んでいく。

初日から新人にお説教とか、
新人なのに先輩に進言とか、とても言えない。
それは当然のことだ。

だからこそ、
ため込んで閉塞感をつのらすのでなく、

「これをいいカタチで伝えるには
どうすればいい?」
と、少し広く長い目で考えてみよう。

より響く、より納得感ある伝え方がゼロではない。

いま伝えられなくても、
未来に通じ合えるかもしれない。

新しい居場所がたとえ閉塞感に満ちていようとも、
縮まないで、ため込まないで、

伝えるポジションからはじめてみよう。

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2015-04-08-WED
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