Lesson758 教育的解決
この春、大学で授業をしていたとき、
なんとも円滑な、かつて感じたことがない、
よい流れを実感した。
授業後の学生のレポートを見ても、
過去最高の反応だ。
気がついたら、
大学の教壇に立って10年以上がたっていた。
この春、抜本的に授業を変えたとか、
そんなことではない、
これまでと変わらぬことをしつつも、
でも、ほんのちょっとしたこと、
たとえば、
「学生の表現への恐怖心をやわらげるには、
事前にこういうことを言っておくといい」
とか、
「なぜ、こんなことをするのかと、
学生が不安を抱きがちなトレーニングでは、
資料のいやでも目に入る部分に
ねらいを短く大きく書いておくといい」
とか、
料理でいうレシピに載らないくらいささいな部分の
コツや工夫がふつふつとわきあがり、
随所にほどこした、
その結果、
ほんのちょっと×ほんのちょっと‥‥の積み重ねが、
全体の仕上がりを大きく変えていた。
「年季がはいる」
とはこういうことだと手ごたえがあった。
逆に、
年季が足りないのかな、という場面に
出くわすこともある。
私は、講演や表現力ワークショップで
全国をまわり、学校や企業や地方自治体など
さまざまな組織と仕事をしているのだが、
たとえば、
パソコンの映像をスクリーンに映して説明する、
その機材の準備ひとつをとっても、
何の問題もなくスムーズにいく組織もあれば、
円滑にいかない組織もある。
すいすい進むのは、
日頃、講演などを数多くやって慣れている組織だ。
組織が大きいか小さいかは問題ではない。
地方か都会かも関係ない。
場数をこなして、経験豊富な組織は、
それなりに小さな失敗も数多く乗り越えてきていて、
あらかじめ失敗を回避する知恵やコツを
数多く持っている。
一方で、円滑に事が運ばず、
いちいちとどこおり、
こちらが胆を冷やす組織もある。
そういうときは、
あとから原因を究明してくださり、
「あの機械は、これこれここが問題でした」とか
「担当者のミスで、よく言って聞かせました」とか、
「今後はこういうことが無いように、
ここをこう直します」とか、
責任ある対応をしてくださりありがたいのだが、
聞いていて、
どうも個々に誰が悪いとか何を直すとかいう問題でない、
「あまりこういうことやり慣れておられないのかなあ」
としか言いようのない場合がある。
不慣れ、というか、経験が少ないというか、
その分野においては、
「未成熟」
ということではないだろうか。
未成熟な分野であっても、
料理でいうところのレシピがあれば、
ひととおりのことはやれる。
だけど、年季の入った仕上がりとは、
まるで違う。
私は、以前、
プロの美容師さんにブローのコツを聞いたことがある。
美容師Oさんがブローをしてくれた時は、
まわりの人から、
「今日はどうしたの?髪がきれい」
といっぱい声をかけられる。
でも、自分でやると、
同じようにドライヤーをあて、
同じようにブラシで髪を伸ばしているのに、
仕上がりがぜんぜんちがう。
美容師Oさんが教えてくれたのは
特別のことは何もない、
ほんのちょっと、ちょっとのことだった。
たとえば、
「ドライヤーの風は上から下にあてる」
下から上に当ててしまうと、キューティクルを逆なでして、
髪がけばだってしまうからだ。
また、
「最後は冷風を当てる」
ゆでた蕎麦を冷水でしめるように、
髪も冷風でしめると手触りがちがう。
ひとつひとつは、ほんとうにちょっとしたこと。
でも、そのちょっと、ちょっと、のかけ合わせが、
仕上がりを別格にしている。
私はこれまで、
ドライヤーの風を、髪の向きに対して、
下からあてることがあった。
これだと、けばだって、
あとの工程をがんばっても、
よくならないはずだ。
「未成熟」というのは、
ほんのちょっとしたコツに発想がいたらない。
そのため、
コツをすっとばすか、
逆をやってしまうか。
そのちょっとちょっと、
マニュアルにも載らない小さな落ち度のかけあわせが、
全体のしあがりを、ぱっとしないものにしてしまう。
「未成熟」とは、
別の角度から見れば、
キャパオーバーのことをしようとしている、
と言える。
そこで問題が起こった時に、
原因を究明したり、
担当者に、その点を反省させたり、謝らせたり、
直させたり、
場合によっては罰を与えたり、
今後そういうことが起きないように、
禁止や監視を強めたり、
という行き方ももちろんわかるのだが、
それでキャパは増えない。
それどころか、すりへる、
ということもありうるのではないだろうか。
なにか問題が起こったときに、
「鍛える」「磨く」「育てる」
という乗り越え方を、私は重視している。
問題解決には、
コツコツ育つしかない、ものもある。
「直す」ことを目標にしたら、
「2度と失敗しない」ことが重要になってくるけど、
「育つ」ことを目標にしたら、
失敗さえも加点となり、
失敗を回避のコツや工夫が編み出される経験値となる。
ちょっとちょっとのコツや工夫が編み出され、
つながって、しあがるには、
時間がかかるから、
「育つ」ことを目標にしたら、
自分も、人も、少し長い目で見るようになる。
何か問題を起こすと人は、
「もうしない」「直す」といい、
まわりは、「ここが悪い」「こう直せ」と言う。
そしてまた繰り返す。
直しても直らない今のその人の器の限界として
問題が起こっているとしたら、
キャパをどう増やすか?
「鍛える」「磨く」「育てる」、
問題が起こったとき、
どっちの方向に、どう育てるかと考え、
10年後の年季が入った仕上がりを楽しみに、
コツコツした一歩を踏み出す機会にする。
そんな教育的解決を
私は重んじたい。
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