YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson797
     やる気はどこから来るか



やろうやろうと頑張っても、
どーしても、できなかったことが、

やろうとも思ってないときに、
苦労もなく、

「気づいたら、できるようになっていた。」

ということはないだろうか?

私は、ある。

自分でも不思議でならないのは、
私が、この1年あまり、

「きちんと自炊をし続けていることだ。」

おもえば約20年前、単身、
東京に転勤したときから、私は料理をしなくなった。

「自分ひとりのために料理なんて、
 やる気がしない。」

料理に手を抜こうが、外食で済ませようが、
だれも困らない。

結果、切るだけ・温めるだけ・焼くだけのような、
料理とも言えない料理で、
どうにかこうにか、しのいできた。

でも、昭和生まれで、
母の心のこもった手料理を食べて育った私には、
その生活にずっと、

「わびしさ」があった。

だから何度も、
「きちんと自炊ができる人間になろう」、
と奮起した。

友達を呼んで、
料理をせざるをえない状況をつくってみたり、

まとめ買いした材料を、
あらかじめ洗って刻んでスタンバイしておく
「効率化」に励んでみたり。

でも、一過性の余興のように終わり、
習慣として日常に根付くには程遠かった。

たまに里帰りしても、
料理は母と姉にまかせっきり。

「自分は、母・姉に、遠く及ばない人間なのではないか。」

劣等感もあるが、何より、
いまこの場で、いちばん若い私が、
美味しい手料理をふるまったら、
みんな心が安らいで、たのしいだろうにと心苦しかった。

「いざ、その気になればやれる」は、間違いだ。

いざその気になっても、
調理道具も、調味料もそろってない、
日頃の訓練も、技もない。
メニューを考えるところから、買い出しから
いちいち大ごとになって、
どんどん料理が「たいぎ」になっていく。

やがて、どこかであきらめていた。

ところが、去年の5月、

風邪で10日間寝込み、4キロ太ってしまった。

体調が回復するまで運動もできない。
食事だけで4キロ戻さなければ、と
必要に迫られ、やせる料理本を手に、
台所に立った。

そのときは、
「きちんと自炊ができる自分になろう」
などとは1ミリも思わなかった。

太った4キロを戻すまでの一過性の料理だ。

おばさんになって4キロ落とすのは
たいへんだ。

やればやっただけ痩せるので面白いのと、
サボったら如実に体重が増えるのと、

なによりおいしい、

通奏低音のようにあった食生活の
「わびしさ」も、消えていったので、

気がついたら、また今日も料理をしている、
という状態が続いて行った。

そして、1年4ヶ月たったいま、
ひとりでもおいしい料理をつくる習慣が、
自分の中にできあがっていた。

これには、私をよく知る母が、いちばん驚いていた。

お盆に帰ったときに、
私が、苦じゃなく、何品も料理をつくって出すので、

母は、そうとう嬉しかったのだろう、

親戚のだれにもかれにも、姉にまで、
私が、まるで料亭に行ったような料理をつくったと
自慢しまくっていた。

頑張っても
毎日おいしい手料理を食べる生活など
夢のまた夢だった私が、

そこをまったく意図しなかったのに、

「料理の習慣ができたのは、なぜ?」

理由は複雑にある、1つではない。
いろいろ理由を考え、どれも納得するものの、
これだ! という決め手が思い当らないままだった。

きのう、

朝起きて、ぽちっ、とテレビをつけたら、
いきなり、画家の横尾忠則さんが出ていた。

80歳でエネルギッシュな絵を描き続ける横尾さんは、
その秘訣をあちこちで聞かれるからだろう、
こう言った。

「エネルギーがあるから描く、のではない。
 描くからエネルギーが湧いてくる、のだ。」

ピーン! と響く言葉だった。

文章表現教育においても、

「書く気が起きない、だるい、自分はカラッポ」
と言っていた学生ほど、
書いているうちに、どんどん活気を帯び、
やがて、生命力に顔が輝き出す。

いざ書き出して、想うように書けなくて、
「ああじゃない、こうじゃない」と
苦悩している学生も、

その苦悩すら、
モチベーションをかきたて、
集中を生むチカラに変わっていく。

ライティング実践の集中講義を手伝ってくださった教授が、

「最初、学生は、起きてないような目をして、
 だらだらと歩いていた。
 それが最後には、姿勢までしゃんとして、
 僕の目を見て、ありがとうございました!
 とお辞儀をした。
 まるで別人!」

と驚いていた。

「書くことで、人は元気になる。」

そうか! 料理も同じだ。

無心に台所に立ち、料理をつくっていると、

水切りしようとして、野菜のきれっぱしを
流しに流してしまったり、

火が強すぎて肉が固くなってしまったり、

かと思えば、ふいに、いい匂いがしてきたり、

味見の一口が、びっくりするほど
いい味になっていたり。

そんな、取るに足りない失敗や納得に、
知らぬ間に、やる気をかきたてられている。

大きなやる気は得られないかもしれないが、
料理一皿つくるエネルギーは、
料理一皿つくる過程でほぼ得られるように思う。

「やる気は料理をつくる行為そのものから来る。」

人によって、やる気はさまざまだろう。

可愛い子どもがおなかをすかせて待っているから
毎日料理ができるという人もいる。

病気の家族が、食べることで元気になっているから
料理をする気が起きる、という人もいるだろう。

でも、それがない私の場合、
自炊へのやる気など、もともと無い。

その無い腹を探って、
「やる気が起きるの、起きないの」
「どうすればやる気が起きるか」だの、
「やる気が出ない自分は女子力が低い」だの、

気負ったり、へこんだりしていたら、
台所に立つまでにエネルギーを消耗して、
たいぎになるのもあたりまえだ。

ごちゃごちゃ言ってないで、
とにかく

「無心に台所に立つ。」

やりはじめさえすれば、あとはなんとかなる。

私は、痩せることに気を取られ、
料理にはまるで頓着がなかったからこそ、

無心に台所に立つことができたのだろう。

続けようとも、続くとも思ってなかったからこそ、
1回限りの料理に、潔く集中でき、
つくる行為そのものからエネルギーを得られた。

この先、やる気が出ないの
自分はだめだの、ごちゃごちゃ言い出したら、

「やる気は、やる行為そのものからも調達できる。」

そんな道もあるよ、
つくる過程で自分と通じ合い元気になるよ、

と自分に言ってやろう、と私は思う。

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2016-09-21-WED

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