YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson803
   なにかを大事にするということ



大事にします、と口で言い、
大事にしよう、と心にかたく誓ったのに、

大事なものを壊してしまった。

ということはないだろうか、
私はある。

「大事にするとはどういうことか?」

愛用のかばんのチャックが壊れた。

高価なものではないが、
親方クラスの職人さんにしか作れない
こったつくりの大きなかばんだ。

そのため、
もよりの修理屋さんに出そうと調べたら。
びっくりするほど高額になる。

「それだけお金がかかるのなら、
 買いかえたほうがいい」

という想いと、

「あくまでチャックという部品だけの問題だ。
 素材も縫製も素晴らしく、ほつれ1つない、
 もったいない」

という想いが、
ぎったんばったんし、

決めきれず、
壊れたチャックをクリップで留めたまま、
くる日も、くる日も、使い続けていたら、

人から見て不恰好というより、
自分自身で見て、わびしい。

じゃあ修理か、買い直すか、
逡巡し、

1年半がたち、

とうとう、困り果てて、
かばんを買ったところに、正直に相談した。

すると、

「親方クラスの職人もちょうど
 手がすいていますから」

と、無償で直してくださることになった。

わずか1週間で届いたかばんは、
チャックが完璧に直っていたのはいうまでもなく、

きれいに磨かれ、
しゃれた袋に入れられ、
これまた、おしゃれな大きな箱に入っていた。

「職人さんの誇り‥‥」

感動し、恐縮した私は、

お礼の手紙に、
そちらで新作が出たら必ず買います、
ということと、

「かばんを大事にします。」

と書いた。
でも、はて、

「かばんを大事にするとは、どういうことか?」

心で大事に思っていたらそれでいい?

ちょくちょく磨く?

手に持つとき、そっと大事に持つ?

どれも、これも、違うような気がする。
日に日に疑問はつのり、
考え続けたある日、

「かばんは、なぜ壊れたか?」

という問いが浮かんだ。
はっきり覚えている。
地方に集中講義の講師で行ったとき、

ノートパソコンや、
学生たちの答案や、
大学でいただいたペットボトルのお水やら、

ぎゅうぎゅう詰めに詰め込んだかばんが、
化粧室で手を洗う際に落ち、
チャックが破れた。

「前のかばんもそうだった。」

いまのかばんは、2代目で、
その前も、同じかばんの色違いを使っていた。

初代のかばんも、
やはり、角ばったノートパソコンや、
大量の学生たちの答案や、ペットボトルを、

ぎゅうぎゅう詰めに、詰め、

使って、使って、とても長い間、使い倒した果てに、

チャックの布の限界が来て擦り切れた。

2つのかばんとも、
縫製は1か所もほつれることなく、

逆に言えば、
チャックという部品の耐久の限界が来ても、
職人さんの縫製はビクともしない素晴らしさだった。

「私が、ムリに大きく重い物を、
 ムリに押し込んだからだ。」

そうか!

「私にとって、かばんを大事にするとは、
 適切な容量を守って、それ以上に大きいものを入れない。
 適切な重量を守って、それ以上に重いものを入れない。
 ただ2つ、これをやり抜くことだ!」

2つのかばんと、
それをつくってくださった方々に、
積年、無自覚に持ち続けた罪悪感のようなものが、

そこですーっと、晴れるような心地がした。

それから、かばんは、
2個、3個、と荷物を分けて持つ。

出先で急に荷物が増えたときも押し込まず、
出先の人にいらない紙袋をもらって入れたり、
予備の袋も持ち歩くようになった。

「なにかを大事にするとはどうすることか?」

これまで私は、かばんを、

「大事にしてきたつもりだった。」

「でも、実際、大事にできてはいなかった。」

なにかを大事にするとは、
キモチの持ちようでなく、具体的な行動だ。

そして、具体策を考える時に、

過去に大事なものを壊してしまった失敗の経験が
役に立つ。同様に、

「体を大事にするとはどうすることか?」

あらためて自分に問うと、
発見があった。

それまでの私は、体を休めること、
と思い込んできた節がある。

心がけて休むようにしたり、
睡眠をとったり、栄養をとったり、
気分のリフレッシュの時間をとったり、
その方向ばかりにとらわれてきた。

でも、過去に体調を壊した原因をふりかえると、

そうして体を甘やかせて、
ゆるいペースで仕事をやっていった場合に、
ひとつの仕事のしあがりが遅れ、
つぎの仕事にしわよせが出て、

期日近くなると、
2つ、3つの締め切りが集中して
一気に仕上げねばならず、

体に無茶をさせることになる。
それが最大の原因だとわかった。

だから、私にとって、
体を大事にするとは「働くこと」だ。

世間では働き過ぎが問題となっており、
決して人にはすすめないし、
私も過労するつもりは、まったくないのだが、

ゆるいペースで仕事をした結果、あとにしわよせがきて、
いくつもの締め切りが重なってしまうことで、
徹夜などをしなければならない体のキツさよりも、

そういう状況に追い込まれて、
想う質まで仕事が高まらないことのほうが、
自分にとっては、よっぽどストレスだ。

きちんと働いていけば、仕事がたまることなく、
体に無茶を強いることもない。

仕事の質もあがり、
納得のいくものができれば、
ほんとうに晴れ晴れと心は昇華され、
私としては、体まで、元気になる。

逆説的だけど、
私個人にしか通用しない考えだけど、

私にとって、働くことが、体を大事にすることだ。

同様に、

世の中の人が、
「友達を大事にする」とか、
「妻を大事にする」とか、
一口に言っているけれど、

きっと失敗も含めたそれぞれの経験から編み出した、
具体的な行動があると思う。

とくに、

「こどもを大事にする」という親の方々には、
精神論で済まさない、現実の具体的な工夫が
多様にきっとあるのだろうと、私は思う。

どんなささやかなものでも、
あなたが大事にしているものは何ですか?

あなたにとって、それを

大事にするとは、どうすることですか?

ツイートするFacebookでシェアする


山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2016-11-09-WED

YAMADA
戻る