YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson854
 就職の選択―先入観をわるための3つの問い



就職のとき、
自分の先入観を割るために、
考えてみてもよかったのになと今になって後悔する、

「3つの問い」がある。

私は就職のとき、なーんも考えてなかった。

考えない良さもあるだろう、
現に私もこうして今なんとか働けているのだから。

ただ、私のような世間知らずの人間が、
なにも考えずにいる状態は、白紙ではない、
かならずそこに、

「先入観」

が入り込んでいる。
いつのまにか思い込みにとらわれて、
未来を狭めていたなという私の失敗から、
より自由になるために、

すごくあたりまえだけど、
多くの人が正面きって考えたことがないだろう、
3つの問いをあげてみる。

就職の選択で、
私が後から考えておくべきだったと思う1番は、
このコラムで何度もとりあげた、

「就職か、就社か。」

私は、今年5つの大学で教えているが、
いちばん驚いたのが、

看護師を専門に養成する大学では、
学生は1人も遅刻しないし欠席しない、という事実だ。

他の大学では、たいてい1人、2人遅れてくる。
一度に何人も休むことだってある。

看護師を目指す学生たちが、
無遅刻・無欠席なのは、

なぜ? と考えて腑に落ちた。

就社でなく「就職」を選んでいるからだ。

就社と就職は、
どっちがいい、どっちがわるいというものでは決してない。
私のように、どっちも経験してもいいし、
両方のいいとこどりのような働き方をしている人もいる。

だけど、

「就職」
=腕に職、脳に職をつけ「職」を絆に社会に出ていく

ことと、

「就社」
=チーム・組織・会社を絆に社会に出ていく

ことは、大学のうちから激しく違う。

医師、美容師、弁護士、看護師‥‥などなど、
「職」を絆に社会に出ていこうとする人は、

社会に出る時点で、ある程度プロでなければならない。

だから、学生のうちから
司法試験を受けるために猛勉強をしている人もいるし、
病院に実習に行って現場で訓練を受けている人もいる。
技術とか、検定とか、国家試験とか、
脳と腕に基礎を叩き込んでいく。

著名な作家が、
大学の文学部にいたときに、
「ここで一番になれなければ自分はプロになれない」
と、実際、小説で一番になったというが、
やはり「作家=職」を絆に
社会に出ていく覚悟があったから、
大学の過ごし方も違ったんだと思う。

一方で、チーム・組織・会社を頼みに社会に出ていく人は、

いい意味で融通が要る。そして、チームワーク力。
いちがいには言えないけれど、
会社に入って、どの持ち場につくかは、上層部が決める。
自分の希望した部署・職につけるとは限らない。

組織の中で、まるで出世魚のように、
いい意味で、持ち場も、職も変わっていく。

最初は、下働きだった人が、リーダーになったり、
別の業務に異動して視野が広がったり、
やがて新しい事業をプロデュースしたり、
経営陣に進む人もいたり、
社長になる人もいる。

チームで協力し、チームを率い、
ときにはチーム自体を立ち上げたりしながら、
組織で働くことのプロとなり、
個人の仕事をはるかに超えた規模で、
社会に働きかけていくことができる。

そこが就社の醍醐味だ。

大学生のなかには、
自分は就社をするもんだと思い込んでいたが、
実際、就活が始まって、よくよく自分の胸に問うてみると、

「ほんとうは自分は医者になりたい」
「美大にいるけれど、私は看護師になりたい」

と気づく人もいる。
私が知る限り、

「職」を目指して
ライセンスや技能を身に着けてきた学生が、
それを捨てて、就社に切り替えるのは、
比較的やりやすいが(といっても心は大変だけど)、

「就社」する気でいた人が、
医師なり看護師なり「就職」に転向するのは、
(もちろん、そこからやり直したって決して遅くはないし
がんばってほしいのだが)
大学を受け直すなど、大変そうだ。

だからこそ、私は、次の問いを
大学の時に考えてみてもよかったと後悔する。

「問1 あなたは初めて社会に出ていくとき、
    就職、就社、それ以外、のどれを選びますか?」


就職の選択で、2番目に私が、
考えてみてもよかったなと思うのは、

「働く私が輝く場所はどこか?」

私自身、「地元を出ない」「県外には出ない」
と決め込んでいた。

ところが、私が仕事で評価されたのは、
地元ではなかった。

入社11年目に転勤になった「東京」だったのだ。

東京に出なかったら今の自分はなかっただろう。

いまから考えると、県外に出ないというのは、
私の場合、思い込みでしかなかった。
それ以外の選択肢に目を向けることをサボる、
隠れ蓑にすぎなかった。

「東京にでるなど家族は絶対許さないだろう」も、
現実にやってみると、
実際、家族は許してくれたのだから、
先入観でしかなかったわけだ。

そこで、

「問2 働くあなたが輝く場所はどこですか。
    地元、東京をはじめとする都市、海外、
    それ以外?」


3番目は、生涯いくつの仕事を持つのか?

学生たちの話を聞くと、
親や先生が、安定を押しつけてぶつかると言う。

私の育ったころには、
一つの会社なり職を一生まっとうするもんだ
という先入観を持つ人は多くいた。

そういう価値観のなかでは、
おとなが安定を望むのも無理もなかった。

しかし、私自身も、
編集者(会社員)を16年したのち、いま
文章表現インストラクターと
教育書の作家(フリーランス)、
大学の教員のようなこともしている。

生涯に2つ、3つの仕事をのりかえるとか、
同時に2つも3つも仕事をかけ持つとか、
全く考えてなかったけれど、
それを想定すると、

安定とはまるでちがった価値基準が大事になってくる。

また、編集者から作家になる人はいても逆はいない。
つまり、転職は、より複雑多岐なものから、
よりシンプルなものへ
一方通行という面もある。

そこで、

「問3 あなたは生涯に、1つの仕事をまっとうしたい、
    2つ以上やりたい、それ以外、のどれですか?」


さいごに、
わかっているようで、
意外にわかっていない問いを、
番外編としてあげてみたい。

自分の進路はだれが決めるのか、という問題だ。

現実に、親に大反対されて今の大学に来た、
という学生を数多く見てきた。

仕事の進路も、
たとえば、医師の家系で、
自分は不本意だけど医師を継がざるを得ないなど、

進路は親が決める、という人も多数いる。

いい意味で、
「進路は自分で決めない、流される。」
と言った学生もいる。
その学生は、現在、芸能界で活躍している。

いまの自分の立場で、芸能界をわたっていくには、
これをやりたいという自己主張よりも、
引かれる手、導かれる行先を大事にしたいのだと。

考えてみたら、
「自分の意志で流される」というのも、
「親の決めた進路に、自分の意志で進む」というのも、
広い意味で、進路は自分で決めるということだ。

私自身は、大学のころ、
進路を自分で決めるということができていなかった。

だれからも進路を強制されたり、
反対されたりはしなかった。
けれどひたすら、ぼーっとして、先入観にとらわれ、

自分の想いに問うことをしなかった。

大学進学にしろ、就活にしろ、
時間切れになって、焦って、
手にはいる選択肢をかき集め、

選択肢の比較や取捨選択だけでも、
進路は決まっていく。

だから、38歳のとき、

生まれてはじめて、自分の想いに問いかけ、
心の底から、

「会社を辞めよう、こう生きよう。」

と決めた、この選択だけは別格だった。

風が気持ちいい、
どこまでも、どこまでも際限がない、
怖いくらい自由な感覚がした。
何もかも新鮮だった。

「想いに忠実な選択をする」

ということが、そこから始まり、
以降、私に後悔はない。

そこで、今日さいごの問い、

「進路はだれが決めますか?
自分で決める、親など年長者にゆだねる、それ以外?」

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2017-12-06-WED

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